七枚の糸
冴の研究室で、三者会議が開かれた。
嶋田がパイプ椅子に座り、安西がノートPCを開いてデスクに向かう。冴はホワイトボードの前に立ち、七つの事件の概要を書き出した。普段は使わないホワイトボードを引っ張り出してきたのは、全体像を一度に俯瞰するためだ。
マーカーが乾いた音を立てる。
「整理する。第一の事件、藤原美咲。交通事故を装った殺人。車内で首を絞められ、逃走中に轢かれた。現場に甘い香水の匂い。長身の黒コートの人物の目撃証言」
「第二の事件、柏木亮太。転落死を装った殺人。屋上で精神的に追い詰められ、自ら後ずさって転落。防犯カメラにフードの女性。同じ香水。入退館ログに不明な入館者、転落の十二分前」
冴はマーカーを置き、二つの事件の間に線を引いた。
「共通点。同一犯――長身の女性、黒コート、甘い香水、銀色のペンダント。歩行パターンの一致率九十五パーセント以上。この犯人は私を刺した人物とも一致する」
「そして被害者の共通点」
安西がノートPCの画面を回した。
「藤原美咲は東栄製薬のインターン。柏木亮太はIT企業のプログラマーだが、PCの検索履歴に『鏡花』『被験者リスト』『東栄製薬 臨床試験』のキーワード。二人とも、同じプロジェクトの痕跡に触れている」
嶋田が腕を組んだ。
「まだ二つしか調べていない。残りの五人は」
「園部真司は東栄製薬の研究員だ。直接的に製薬会社の内部にいた人間。関口義人は元刑事の私立探偵。水野遥はフリージャーナリスト。仲村明日香は東栄製薬の元広報。高梨昇は元新聞記者のノンフィクション作家」
冴はホワイトボードに七人の名前を並べた。
「全員が鏡花プロジェクトの存在に何らかの形で触れた。研究員、インターン、広報、調査者、記者。内部からと外部からの両方だ」
「つまり口封じ」
嶋田が唸った。
「鏡花プロジェクトの存在を知った人間が、片っ端から消されている」
「そしてその口封じを実行しているのが、フードの女性」
安西が発言した。
「朽木先生。先生は第一・第二の事件でこの犯人の存在を確認しました。残りの五つの事件でも同じ犯人が関与しているとすれば、私たちが扱っているのは七件の連続殺人です」
研究室が静まった。七件の連続殺人。素数月ごとの間隔で、三年以上にわたって行われてきた計画的な殺人。
冴はホワイトボードの前に戻り、七枚の写真を一枚ずつ磁石で留めた。七人の顔がホワイトボードの上に並ぶ。冴が記憶を食べた七人の死者。
「もう一つ、仮説がある」
冴は嶋田と安西に向き直った。
「七枚の写真は、脅迫ではない」
「脅迫じゃないなら、何だ」
「招待だ。犯人は私に、七つの事件を調べさせたがっている」
沈黙が落ちた。嶋田が眉を寄せ、安西がノートPCの画面から顔を上げた。
「犯人がわざわざ写真を残した。私しか知らない情報を裏に書いた。要求もない。脅しもない。ただ写真だけを渡した。そして殺意がない刺し方で私を生かした」
「先生を生かして、事件を調べさせる。何のために」
「真実を暴くためだ。犯人自身が、鏡花プロジェクトの真実を世に出したいのかもしれない。だが自分ではできない。だから私に――記憶を食べられる人間に、やらせようとしている」
嶋田は長い沈黙の後、缶コーヒーを一口飲んだ。
「犯人が味方だと言いたいのか」
「味方とは言わない。ただ、敵とも限らない」
嶋田が低い声で言った。
「だとしたら、先生は犯人の掌の上で踊らされていることになる」
「そうかもしれない。だが踊らされたとしても、辿り着く先が真実なら、私は構わない。七人の死者が声を上げられないまま埋もれるよりはいい」
冴の声は静かだった。だがその静かさの中に、譲れないものがあった。嶋田はそれを聞いて、何も言わなかった。ただうなずいた。
安西がキーボードを叩きながら呟いた。
「犯人のプロファイルをまとめます。三十代前半の女性。身長百六十八から百七十二。細身。特注の香水『鏡花』を使用。カメラの位置を把握する情報収集能力。解剖学的知識を持つ可能性。そして――朽木先生と同じ能力を持つ可能性がある」
「能力?」
安西が冴を見た。冴は答えなかった。嶋田が「あとで説明する」と引き取った。
三者会議は日が暮れるまで続いた。調査の方針が固まった。第三の事件から順に再調査を進め、七つの事件すべてに同一犯の痕跡があることを確認する。同時に「鏡花プロジェクト」の実態を解明する。神崎の監視を避けながら。
嶋田と安西が帰った後、冴は研究室に一人残った。ホワイトボードの七人の顔を見つめる。窓の外は暗くなっていた。
スマートフォンにメールの着信音が鳴った。差出人は桐生薫。
冴は一瞬ためらってから、メールを開いた。
「冴。美咲の検屍所見について法医学的見解をまとめました。爪下繊維片の素材組成が助手席シートの繊維と一致する可能性は高いです。また、頸部圧迫痕の位置から、加害者は被害者より身長が高く、左利きの可能性があります。これは事故ではありません」
薫の分析が、冴の推理を裏付けた。左利き。新しい情報だ。
冴はメールに返信しようとして、指を止めた。画面の奥に、三年前の薫の顔が浮かぶ。能力のことを話せなかった。隠し事の重みに耐えかねて離れた薫。今、同じことを繰り返している。
返信を短くまとめた。
「ありがとう。重要な知見だ。また連絡する」
スマートフォンを置き、窓に歩み寄った。ブラインドの隙間から外を見る。向かいのビルの五〇三号室は暗いままだ。だが街路を歩く人影の一つ一つが、冴には監視者に見えた。
影は消えたのではない。もっと近くに来ている。
そのとき、スマートフォンが震えた。SMS。番号付き。非通知ではない。
冴は画面を見た。
「七つの事件の真実を知りたければ、三番目の死者の場所に来なさい。――あなたと同じ目を持つ者より」
冴はスマートフォンを握りしめた。犯人からの直接のメッセージ。初めての、名前のない対話。
「あなたと同じ目を持つ者」。
冴は窓の外を見つめた。夜の街に、無数の灯りが瞬いている。その灯りの一つの向こうに、もう一人の能力者がいる。冴を刺し、七枚の写真を残し、今、招いている。
三番目の死者の場所。園部真司が遺棄された河川敷。
冴は上着を取り、研究室のドアに手をかけた。だが開けなかった。
今夜は行かない。まだ準備が足りない。だが遠くない未来に、冴はその場所に立つことになる。
七枚の糸が、一本に束ねられ始めていた。




