11.
死罪が取り消された金竜は、重罪人が入れられる牢から、軽犯罪者用の牢に移され、面会も容易になった。
以前薬を購入していた客として、ティルギスの王女として、アルカは金竜に本や食べ物を差し入れた。
「先日、レギン様が面会に来てくださいました。私の減刑に尽力してくださったとお聞きしていたので、お礼を申し上げられて、よかったです」
「レギンもきてたんだ」
「はい。……僕の変わりように、かなり驚いていらっしゃいましたが」
金竜は気まずく付け足す。
子供のころ、ブレーデンは病弱なレギンをいじめていたのだ。
そのときからは思いもよらない成長をしているので、びっくりするのは当然だろう。アルカは笑った。
「刑期があけたら、お抱えの薬師として雇ってくださるそうです」
「あれ。レギンに先を越されちゃった。私が雇おうと思って、今日はきたのに」
「それなら。レギン様は、アルカ様がもしそうおっしゃったら、ゆずるとおっしゃられていましたよ」
「さすがレギン。私の行動、よく分かってるなあ」
「よろしいんですか? 僕で」
「金竜がいいんだよ。よろしくね」
金竜が小瓶をとりだした。いくつかの薬草が、とろりとした液に浸っている。
「これを受け取っていただけませんか? お祝いです。陛下とご結婚なさるとお聞きしたので」
「バラ水みたいなもの?」
「はい。肌をよくすることに関しては、バラ水よりよく効きますよ。あなたに最高の花嫁であってほしい」
ありがとう、とアルカはそれを受け取った。
「他にもっと作りたかったんですが。牢屋でそろう材料では、これが精いっぱいで。
でも、代わりに、先生が請け負ってくれました。私のことで、殿下にはずいぶんお世話になったから、と。そのうちティルギスの大使館に、届くと思います」
「先生って……い、いついらしてたの?」
「二日前にお会いしました。陛下と殿下の結婚式で出るごちそうが楽しみ、とおっしゃっていたので、しばらくはニールゲンにいらっしゃるのではないでしょうか」
ちょうど、面会時間の終わりが来た。
金竜に別れを告げて、外を出る。きょろきょろあたりを見回していると、思わぬ人物と出くわした。レノーラだ。アルカと目が合うと、一瞬、ばつが悪そうに眼をそらす。
「こんにちは。レノーラさん。面会ですか?」
「ご機嫌麗しく、アルカ殿下。ええ、そうです。私も金竜の面会に」
連れの侍女は、差し入れらしい、手籠を提げていた。焼き菓子だろう、甘くていい匂いがする。
「わたくしも、もう過去は忘れましたから。これはただただ純粋に、差し入れですわ。お疑いなら、おひとつ差し上げますわよ」
「ちがうんです。ただ、とてもいい匂いだったから」
「お気に召したなら、後で、殿下のお部屋にもお届けしましょうか?」
「ぜひ!」
挑戦的にいったレノーラは、相手が毒気のかけらもなく喜んだので、おもしろくなさそうにした。きれいにととのえられた眉が怒りの形だ。
「金竜の余罪が取消になったのは、あなたの仕業でしょう?」
「陛下はなんと?」
「何も。ただ、ブレーデンのことは表向き死んだことにするといって、金竜の余罪を取り消すとおっしゃっただけよ。
でも、急に考えを変えられるなんて、あなたが何か言ったとしか考えれないわ」
「私は何も。銀竜様です」
「どっちにしろ、あなたでしょ」
「銀竜様です」
アルカはあさってをむいて主張した。
「そういい張られるのはご自由ですけれど。
銀竜様は不公平ね。金竜を気に掛けるばかりですもの」
「そんなことありませんよ。だれも悪いことをしなくて済んだことに、一番、ほっとしていると思いますよ」
レノーラは口元にあてていた扇子をはなした。
しずしずと歩み寄ってきて、にこりとほほ笑む。
「アルカ殿下。ご無礼いたしますわ」
「――いっ!?」
突然、頬をひっぱられる。ととのえられた爪先が食い込んで、けっこう痛い。目の端に涙がちょっぴり浮かんだ。
シャールが止めに入るころには、レノーラはいじめっ子から一転、また礼節をわきまえた淑女にもどった。何事もなかったかのように、さっと優雅に一礼する。
「ご結婚、おめでとうございます。アルカ殿下。どうかお幸せに」
相手の抗議を一切受け付けず、レノーラはさっさと去っていた。アルカは頬をさすって、ただその背を見送るしかない。
「それにしても、金竜の先生がどんな容姿なのか、聞いておけばよかったな。探そうにも探しようがないや」
「ティルギスの大使館にいれば、お会いできるのでは? 贈り物を届けてくださるとおっしゃっていましたし」
ティルギス大使館にもどると、客間に人が来ていた。イーダッドだ。キールにオーレックもいた。大使や職員があつまって、雑談を交わしている。
卓上には、たくさん菓子がひろげられていた。バルクからの差し入れらしい。
それとは別に、イーダッドがアルカに菓子を渡してきた。
「おまえ宛の祝いだ」
「バルクらしいね。結婚式の定番お菓子なんて」
木の実に糖衣をまとわせた菓子が、きれいな小箱に詰められていた。アルカはさっそく一つつまむ。
「結婚おめでとう、アルカ。腹は決まったみたいね。大丈夫、あなたならやれるわ」
「ありがとう、キールおばさま」
「持参金を届けにきたが。ひっこめるなら今のうちだぞ」
「大丈夫だよ、イーダッドおじさま。結婚を承諾する前に、必要以上に行動や人間関係を制限しないって、シグに約束してもらったから。少なくとも、前みたいなことにはならないと思う」
「甘い。ついでにもっと要求を突き付けろ。そんな最低限で妥協するやつがあるか」
あいかわらず、養父のダメ出しは容赦なかった。
「だが、そうやって話し合えるようになっただけ成長したな」
「成長したよ。私も、シグも。それをいったら、逆にシグから、他にないのか聞いてくれたくらいだもの」
「ほう。まあ、とりあえず聞くだけならタダだからな」
「もう少し、自分に子供の世話をさせて欲しいってお願いしてみた。
皇室だと、事故や病気があったときのことを考えて、子供たちを分けて育てて、育てるのも乳母や侍女に任せっぱなしっていうのが普通だけど、それだとやっぱり私がさみしくて。
みんな一緒がいいなっていったら、自分もそうしたかったからいいよって。みんなを説得してくれて。
ああ、ちゃんと私の気持ちも尊重してくれているんだって、うれしかった」
アルカは感動していたが、イーダッドの反応は薄かった。
「なるほど。子供と一緒にしておけば、おのずと行動も交際範囲も制限されると踏んだな」
「なんでそう、悪い方向に解釈するの?」
「そのうち、子供の安全のため、といって、窓に鉄格子がはまらないか気をつけろ」
アルカは養父の口の悪さにむくれた。
「赤竜が嫌になったら、私に言いなさい、アルカ。地の果てまで攫ってあげるよ」
ふふ、とオーレックが笑う。今日もオーレックは男の姿だった。
「オーレック。シグが、だれかと一緒なら、オーレックと会ってもいいっていってくれたから。今度から、堂々、いつもの姿で来てもらって大丈夫だよ」
「それはよかった。でもまあ、この姿も好きだからな」
窓越しに目が合った娘たちに、オーレックはにっこり笑って手をふる。
アルカはかねてからの疑問を口にした。
「オーレックはさ。お、女の人も、好きになの?」
「うん? 男も女も、どっちも好きだぞ?」
「その……女性を囲うシュミがおありなのでしょうか?」
いいづらそうな主人に代わって、シャールがたずねた。
「いいや、趣味じゃない」
「あ、だよね。ごめん、変なこと聞いて」
「趣味じゃなくて、そっちも本気」
さりげなくにぎられた右手を、アルカはどうしていいかわからず、硬直した。
「なーんて、冗談冗談。びっくりしたか?」
「なんだ、冗談かあ。びっくりした」
といいながら、右手をにぎる手が、両手になったのはどういうことなのか。
言葉と行動、どちらを信用していいかわからずに、アルカは混乱した。結局、シャールにそそっと安全圏に引きはなされる。
「こんにちは、お邪魔します」
客間に、職員に案内されて、青い髪の青年がやってきた。レギンだ。イーダッドにむかって、書類をふる。
「大使館の玄関扉の代金のことなんですけれど……端数、切り捨てるか切り上げるかしません?」
「いたしません。その通りにきっちり払ってください」
「中途半端ですよね。面倒でしょう?」
「レギン様。値段を決めるのは、こちらのはずですが?」
どこまでも主導権を握って離さないイーダッドに、レギンは折れた。片手で額を押さえる。
「個人的に、ハルミット様が生きていてうれしいんですが。手ごわい人が帰って来てしまったなあ、と頭が痛くなります。
シグラッドから、ずいぶん巻き上げてくれたみたいで。復帰早々、こちらは泣かされていますよ」
「おやおや。あのくらい、ニールゲンにはたいしたことないでしょうに。陛下もずいぶん粘られましたし」
「短気なシグラッドの性格を見越して、ずるずる交渉を引き延ばすんですから。
あなたがもどったとなると、こちらも引退したマギーを引っ張り出してこないといけませんね。酒と美女で釣って」
レギンがイーダッドの前に腰を下ろす。玄関扉のことだけでなく、他のことでも話し合いにきたらしい。雑談もぞんぶんにしたので、客間にいた集まっていた面々は、それぞれに散っていった。
「アルカ様、お祝いが」
客間を出たところで、職員に呼び止められた。
「金竜からのです、と預けられたんですけれど……受け取って大丈夫でした? 色々薬みたいなのが入っていて、怪しいんですが」
不審がる職員の手から、アルカはすぐに籠を引き取った。精油や香料といった一般的なものから、乳白色に輝く液体や、七色に変わる石、黄金色の粉末など、いったいなんなのか分からない薬まで入っている。
「これ、今さっき? 届けてくれた人は? どんな人だった?」
「今さっきですよ。女性でした。男装した」
「男装?」
「顔にそばかすがあって、髪は三つ編みで……背は、そう、ちょうど、アルカ様くらいです。
そうそう、その人。どこかで見たことあると思ったら、アルカ様に似ていたんだ」
職員はすっきりしたと手をたたいたが、アルカは逆にもやもやさせられた。
「男装で、そばかすあって、三つ編みでって……」
「アルカ様が変装したときの、ルーネの姿そのままですよね」
アルカとシャールは顔を見合わせ、外へ飛び出した。
近くの人に聞き込みをして、本宮の方へと去っていったことを知り、走る。
「アルカ殿下! 止まりなさい!」
突然飛んできた叱責に、アルカは足を止めた。
「ヴォーダン夫人!」
「もうすぐ皇妃になられるというお方が、なんです、そのようにあわてて。淑女たるもの、いついかなる時も優雅にふるまうものですよ」
「いらしてたんですね。レギンの子供、かわいいでしょう?」
「当然です。レギン様に似て、知性と気品を兼ね備えたすばらしい淑女になることでしょう」
アニーは孫自慢のようにいって、リンデの頭をなでた。
ついでに、男装した黒髪の女性が通らなかったか聞くと、鍛錬場の方へと向かって行ったというので、アルカたちは早足にそちらを目指した。
「――おおっ! シグルド様は、力持ちですなあ。さすがは陛下のお子」
鍛錬場で、自分よりも大きな木剣をふりまわすシグルドに、ゼレイアがうんうんと嬉しそうにうなずいていた。
「はやくちちうえにかてるようになりたいです」
「なるほど、シグルド皇子は、お父上のようになるのが目標なのですね。名前に負けない立派な目標ですな。がんばりましょう! 目標、お父上!」
「だとう、ちちうえ!」
「パッセン将軍、あんまりその目標を推奨しないようにお願いします……」
母親に気づくと、シグルドは目をぱちくりさせた。
「ははうえ? さっきとおったの、ちがったんですね」
「その人、どっちに行った?」
本宮の方を指さしたので、アルカたちは小走りに、そちらを目指した。
屋内に入っていく黒髪の後ろ姿を見つけて、アルカはシャールをせかす。
「先に走っていって、つかまえて!」
「はい!」
短髪をなびかせて、シャールはあっという間に走り去っていった。アルカが棟まできた頃には、もうとっくに姿はなかった。
「つかまえられたかな」
肩で息をしていると、ふと、木立の中に、尾のような黒い三つ編みがはねるのが見えた。
あわてて、アルカも木立に飛び込む。
変装した自分にうり二つの顔があったので、アルカは目を真ん丸にした。
「あ――」
お互いに口を開けあい、見つめ合い、指で示しあって、固まる。
「銀竜! どこいった!」
怒号に、どちらも、お互いをしゃがみこませる。地面に伏せて、姿がみえないよう、必死に隠れる。
呼び声の主は、シグラッドだ。そばにシャールがいるので、シャールから銀竜がいると聞いたらしかった。
「あの乞食竜め。ファブロ城七不思議に、いつの間にか消える料理、なんていうものがあるが、あれはあいつのしわざにちがいない。百叩きの刑に処してやる」
右手に持ったムチで、シグラッドは物欲しげに左手をたたいている。
銀竜様は両手でお口を押えた。
「厨房につまみぐいをしに行くつもりだったんですけれど。今日は近づかない方がよさそうですね」
「ひょっとして、よくいらしてます?」
「お祭りがあるときは、だいたい。たまに、お腹がすいて寄り道を」
銀竜様が悲しそうにおなかを押さえたので、アルカはシグルドにあげようと持っていたバルクの差し入れをあげた。
相手はうれしそうに頬張る。自分が食べている様子をながめるというのは、妙な気分だった。
「こんなときになんですけど。結婚、おめでとうございます。あなたは赤竜王様と、つくづく縁があるんですね」
「あなたがそうしたのでは? 銀竜様」
「私が望んでそうしたわけではありませんよ。私はあなたの願いに手を貸しただけ。
私はふつうより、少しだけ多くのものを見たり、聞いたり、感じたり、色んなことができるから。
じつのところ、私の正体は銀の竜ですらないんです。あれも仮の姿の一つ」
相手の黒かった目が、青く染まる。輪郭が少しゆがんだ。銀竜は体の線をなで、揺れる輪郭を落ちつける。
「慣れない姿を維持するのは、むずかしいですね。
私が何なのかは、聞かないでくださいね。私にも自分が何なのか、分からないのです」
「どうして私に手を貸してくださったのです?」
「あなたが私の旧い友達に似ていたもので。彼女は最初のニールゲンの王の妻だった。赤竜王に捕まっていた私を逃がしてくれた恩人でもあります」
「捕まっていたことが?」
「赤竜王がまだ竜だった時に。彼が人間になりたい、人間になって地上を征服したい、自分を人間にしてくれ、なんていってきたので、そんな種族の壁を壊して迷惑なことはしてはいけません、と断ったら、檻に閉じ込められました。
私、一応、竜たちから尊敬されていた存在だったのですけれどね。竜たちの王になった彼には、前々から、私は目障りな存在だったんでしょう。
あれ以来、赤竜王は苦手になりましたし、赤竜王に似た彼も苦手になりました」
鞭をもってうろつくシグラッドを恐れて、銀竜様は身をちぢこまらせた。姿勢を低くして移動する銀竜について、アルカも移動する。
「結局、赤竜王はオルティクスの魔女を頼り、両の翼を代償に人間になりました。
自分の配下も全員、有無を言わせず道連れにして――竜たちの食料となるような大型の動物が減っていた上、度重なる争いで、種を維持できるだけの個体数も割っていたので、彼はもう自分たちの種に先がないと見切っていたから、そうしたようです」
判断力と決断力はすごいのですよ、と銀竜様は嘆息した。
「これがニールゲン人の興り。
地上に降りた赤竜王は、この丘の上で竜笛を吹いていた女性――のちの赤竜妃を妻にしました。彼女、恋人がいたらしいのですけれどね、まるきり無視ですよ。かわいそうに。
彼女はやさしい女性でしたから、自分勝手な赤竜王の振る舞いに、いつも心を痛めていました。
閉じ込められていた私にも同情して、私に笛を聞かせてくれたり、おしゃべりをしてくれたり、私を捕らえる特別な檻を開ける方法を探してくれたりしました。
私の方も彼女に同情し、感謝し、徒人が赤竜王たちに対抗できるようにと夜来香を作り出し、彼女にあげました。
檻が開いた時、私は彼女に一緒に逃げようと誘ったんです。でも、断られました。
彼女はすでに何度も赤竜王から逃亡を試みていましたが、ことごとく失敗していましたので、もうあきらめていました。なんだかんだ、情も湧いていたようです。
やり方はともかくとして、赤竜王は赤竜王なりに、彼女を愛していた。赤竜王は彼女に惚れたこともあって、人間になりたいと思ったほどですから、ほだされてしまったのでしょう」
小さな唇が、口ずさむ。あきらめきれぬとあきらめた。
「良い出会いだけが、さだめではないから。良い縁も、悪い縁も、全部含めて運命なのだから。もう自分はこの縁を受け入れて、彼と一緒にいるといっていました」
銀竜は八方をよく確認して、立ち上がった。シグラッドは銀竜の捜索はあきらめたのか、鞭を持った手は下ろして、心配顔のシャールと何か話している。
「あなたは、どうです? よろしければ、私と一緒に来ます? 旧い友達に似ているよしみで、彼の手の届かないところへお連れしますよ」
「いえ、私の居場所はここだと決めたところですから」
銀竜は差し出した手をひっこめ、お辞儀をした。
「おいしいお菓子をごちそうさまでした。すこしお腹がふくれたおかげで、他の姿になれそうです。あなたの山多き行き道に、幸があらんことを」
いうなり、銀竜は鳥の姿になって、空へはばたいた。飛んできた木の棒を避けて、逃げるように去っていく。
アルカはそろそろと、元の場所へともどりはじめた。シグラッドの舌打ちが聞こえ、シャールがたずねている。
「陛下、あの鳥、どうかなさったのですか?」
「いや、なんとなく。見たら、腹が立ったから」
赤竜王様の勘はすこぶる冴えていた。
「それより、アルカだな。一緒に銀竜を追いかけていたんだろう?」
「もういいかげん、私に追いついていないとおかしいのですが。城内を探し回っていらっしゃるのでしょうか」
「……逃げたんじゃないか?」
ぼそっと、シグラッドが不穏なことをつぶやいた。鞭を捨てる。
「銀竜なんぞで遊んでいる場合じゃないな。アルカを探すぞ。おまえたちも探せ。見つけたやつには金貨十枚!」
「いる! いるから! やめて!」
アルカは裾に枝が引っ掛かるのもかまわず、しげみから飛び出した。
「ああ、よかった。アルカ。そこにいたのか。あまり私を不安にさせないでくれ。結婚式に逃げられたらと、私は毎日毎日不安なんだ」
「そんな。ちょっと姿が見えなかっただけで。大げさだよ」
「最初は地下に逃げられ、次は実家に帰られかけ、結婚一年前には横からかっさらわれ、やっと取り戻したと思ったら離婚だぞ。
また何かあると警戒するだろう、ふつう」
「……そうだね」
ぐうの音もでない、とはこのことだった。
「結婚式まで、アルカを私と手枷でつないでおきたい」
「そ、そういうのはしないって約束でしょ?」
「ただの喩えだ。金庫にしまっておきたいというのはただの思案だし、惚れ薬があるなら飲ませたいというのはただの願望だし、とりあえず婚姻届けに今すぐ署名させようというのはただの妄想で、現実にはなんの実効もないから、約束は破ってない」
なかば脅しに近い。
アルカは頬が引きつったが、裏を返せば、それだけシグラッドが不安だということだ。
前科四犯のアルカはおおいに反省し、シグラッドを抱きしめた。
「まだ不安?」
シグラッドはちょっと考えて、身をかがめてきた。
キスをねだられているのはわかったが、シグラッドの背後には家臣と兵がずらりと控えており、少し離れたところでは、他国の使節が皇帝の姿を見つけて足を止め、こちらを注視していた。
「私といるときは、私以外を見るな」
有無をいわさぬ口調に負け、背伸びする。一度、二度、三度でも終わらず、アルカはその他大勢にバカップルぶりを披露する羽目になった。
「ああ、そうだ、アルカ。妃妾の棟の警備を強化するのは、かまわないだろう? 子供がいるうちは、アルカはあそこで生活するのだし」
「それは、うん、大丈夫」
アルカはすなおにうなずいた。
「柵――いや、掘――いや、いっそ周りを池にして、往来を橋だけに限った方がいいな。またシグルドがこっそり妃妾の棟を抜け出すといけない」
「え」
アルカの心に疑念が首をもたげた。
「ついでに窓に鉄格子をはめておこうと思うんだが、かまわないな? これから子供も増えることを考えると、安全を万全にしておかないと」
「……」
アルカは後ずさった。
身をひるがえし、一目散に駆けだす。
「待て! アルカ!」
「もう監禁生活はいやああああああ!」
「最後も結局これかあああっ!」
先ほどのキスシーンよりも大勢の目を引く、二人の追いかけっこが始まった。
*****
ささいな騒ぎはあったものの、結婚式はつつがなく、予定通りに執り行われた。
主役は赤竜王の異名を取る皇帝と、その正体は銀竜と噂され、銀竜妃と呼ばれる王女。
青い竜が祝杯の音頭を取り、黒い竜が空から花を降らせ、花嫁の乗った緑竜の手綱は、金の竜があずかった。
広間の真ん中では、銀竜の仮面をかぶった銀髪の吟遊詩人が、見事な歌声を披露した。
竜が勢ぞろいしたような祝宴は、のちの世まで長く語り継がれたという。
まだ先がありそうな終わり方をしておりますが、これにて完結です。
未熟な作品にここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
目をいたわりつつ、引き続き楽しい読書ライフをお過ごしくださいませ。




