↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リミッター・ハイ  作者: あめたす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
76/98

第74話:バグの伝染

第74話:バグの伝染


 豊田零司が、マウンドを降りた。

 夏の太陽に焼き尽くされた横浜スタジアムが、異様な静寂に包まれる。


 スコアは1-0。星海大附属が1点を先制。

 なおも、ノーアウト一、二塁。

 グラウンドに残された聖隷の内野陣は、主を失った石像のように立ち尽くしていた。


 ベンチから、背番号18がゆっくりとグラウンドへ向かう。

 次期エース、2年生の鳴海聖。

 普段はマウンドで猛獣のように振る舞う武闘派だが、今の彼の顔には、明らかな蒼白さが浮かんでいた。

 王の死に様を、間近で見すぎたのだ。


 鳴海が、豊田の膝の跡が残るマウンドに立つ。

 キャッチャーの黒田がサインを出すが、鳴海の呼吸は浅く、速い。

 ネクストバッターズサークルには、先ほど豊田を粉砕した神崎が、冷酷な笑みを浮かべて控えている。

 プレッシャーが、鳴海の筋肉を物理的に硬直させていた。


「……力んでる」


 ベンチの奥。

 一条湊は、鳴海の投球練習を冷徹にデッサンしていた。

 肩に力が入っている。

 腕の振りが、本来の軌道から数センチ外側に膨らんでいる。

 あれでは、唯一の武器のスラッターが曲がらない。ただの打ちごろの半速球になる。


 プレイボール。

 星海大の5番打者がバッターボックスに入る。

 鳴海は、大きく息を吸い込み、強引に腕を振った。

 だが。

 極限の緊張が、致命的なエラーを引き起こした。

 リリースの瞬間、ボールの縫い目にかけた中指と人差し指の力が、均等に伝わらない。

 指先が、ボールの表面を滑る。

 すっぽ抜け。

 誰もが、そう直感した。

 スローモーション。

 指先から離れた白球は、スラッターの軌道を完全に外れ、キャッチャーのミットよりも遥か手前の地面に向かって、一直線に落下を始めた。

 暴投。

 打者はバットをピタリと止め、黒田が慌てて体を前に投げ出す。

 しかし。

 ボールは、黒田のプロテクターをかすめることもなく、ホームベースの遥か手前で急激に「消えた」。

 いや、消えたのではない。

 強烈な縦回転が、ボールを真下へと異常な角度で叩き落としたのだ。

 ドスッ。

 ボールは、アンツーカーの土に深く突き刺さり、そのまま鈍く転がった。


「……え?」


 鳴海自身が、一番間抜けな声を漏らした。

 黒田が、泥だらけのマスク越しに目を見開いている。

 星海大の打者も、何が起きたのか理解できずに固まっていた。

 フォークでも、カーブでもない。

 ただ、重力に逆らうことを突然やめたかのような、不気味な落下。

 ベンチの湊は、瞬きもせずにその軌道を脳裏に焼き付けていた。

 隣で、結城陽葵の鉛筆がカリカリと音を立てる。


「……今の、何?」


「回転軸の異常。完全な縦回転に、わずかなジャイロ成分が混ざってる。縦のスライダーね」


 陽葵が、真っ黒なノートを見つめながら呟いた。


「すっぽ抜けた瞬間に、人差し指だけが縫い目に深く引っかかったの。意図して投げられる球じゃない。完全に、物理的な『バグ』よ」


 バグ。

 その言葉に、湊は自分の右手の裂けたマメを見た。

 120キロで強者をねじ伏せるための、狂気の産物。

 湊がこの夏、チームの秩序を壊しながら撒き散らしてきた「非常識」と「不規則」。

 それが。

 王の死という極限のプレッシャーの中で、次期エースの潜在意識に「感染」したのだ。

 才能の突然変異。


「……鳴海先輩」


 湊は、ベンチの最前列に身を乗り出した。

 マウンドの鳴海と、目が合う。

 湊は、自らの右手の人差し指と中指を、はっきりと鳴海に見せた。

 そして、中指をスッと浮かせ、手首をロックするジェスチャーを作る。

 『ミスのメカニズム』の言語化。

 先ほどのすっぽ抜けを、もう一度、意図的にやれという指示。

 鳴海は、一瞬呆気にとられた顔をしたが。

 すぐに、猛獣のような獰猛な笑みを浮かべた。

 豊田の背中を追いかけ、武闘派として生きてきた男が。

 湊の「狂気」を、自分の血肉として受け入れた瞬間だった。


 2球目。

 鳴海は、湊のジェスチャー通りに、中指の力を意図的に抜いて腕を振った。

 放たれた白球は。

 再び、打者の手元で、空気に穴が空いたかのように真下へと消失した。

 打者のバットが、虚空を激しく叩く。

 パァン。

 今度は、黒田のミットがしっかりと爆音を鳴らした。

 スタジアムが、どよめきに揺れる。


 偶然ではない。

 新しい武器バニッシュボールの誕生。

 絶望の淵で、狂気が伝染し、新たな怪物を生み出したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。