EP 5
「戦場のミリメシ格差! ゲロオムレツの悲劇。〜絶望の黄色いスポンジ〜」
ポポロ村の近郊から数キロ先。
ルナミス帝国とレオンハート獣人王国の国境沿いに広がる「第7戦区」は、冷たい雨と泥濘に覆われた絶望の塹壕地帯だった。
「……補給部隊が到着したぞォ! 今日のメシだ!!」
泥だらけの小隊長が、木箱を抱えて塹壕に飛び込んでくる。
死んだ魚のような目をしていたルナミス軍の兵士たちが、フラフラと立ち上がり、木箱に群がった。
「た、頼む……! 1型(カレー缶)か、せめて2型のレトルトであってくれ……ッ!」
兵士たちが祈るように木箱の蓋をこじ開ける。
しかし、中に入っていたのは「無地の茶色い薄型真空パック」。
それを見た瞬間、最前線の兵士たちから、この世の終わりを見たような絶叫が上がった。
「ぎゃあああああっ!! 3型だ! 『ゲロオムレツ』だぁぁぁっ!!」
「なんでだよ! 俺たち先週、死ぬ気で獣人の突撃を凌いだんだぞ!? なんでご褒美が『スライムの死骸と籾殻の廃棄物』なんだよォ!」
ルナミス帝国軍・戦闘糧食3型(超圧縮長期保存型)。
コスト削減の極致として生み出された、通称『ゲロオムレツ』。
兵士の一人が、震える手でパックを開封する。中から出てきた黄色いスポンジ状の塊から、強烈な胃酸の匂いと腐った靴下の風味が鼻腔を突き抜けた。
「……おぇぇぇっ! ダメだ、匂いだけで正気を失いそうだ……」
「かじってみろよ、タイヤのゴムみたいに硬えぞ。これを食うくらいなら、そこらへんの泥をすする方がマシだ」
飢えと疲労が限界に達しているにも関わらず、誰もその黄色い塊を口にしようとはしなかった。
しかし、歴戦の兵士たちはタダでは転ばない。
「……おい、泣いてる暇はないぞ。これを『魔導ヒーター』で限界まで熱しろ!」
小隊長がゲロオムレツをヒーターに放り込み、グツグツと煮えたぎらせた。熱を加えることで、最悪の異臭が数倍に膨れ上がる。
「よぉし! 対獣人族用・非致死性悪臭兵器、装填! 投げェェェッ!!」
兵士たちがパチンコ(スリングショット)を使い、熱々のゲロオムレツを一斉にレオンハート獣人軍の塹壕に向かって発射した。
『アウゥゥゥゥッ!? な、なんだこの最悪の匂いは!? 鼻が、俺の鼻がもげるゥゥゥ!』
『ルナミスの悪魔め! うんこを煮込んで投げ込んできやがったぞ!! 撤退だ! 撤退ィィィッ!』
人間の数万倍の嗅覚を持つ犬耳族や人狼族の兵士たちが、ゲロオムレツの悪臭に当てられて次々とパニックを起こし、泡を吹いて倒れていく。
兵器としての有用性は極めて高い。だが……。
「……敵は撃退したけど、俺たちの腹は減ったままだな……」
ルナミスの兵士たちは、空腹で鳴る腹を押さえながら、虚空を見つめてシクシクと泣き始めた。
◇
「……すみません、誰か食べ物を恵んでくれませんか……。ゴブリン討伐の帰りで、もう一歩も動けないんです……」
地獄のような塹壕に、二人の若い男女がフラフラと歩いてきた。
ボロボロの鉄の剣と鎧を身につけた、勇者ユート(20)。
そして、純白のローブを着た美しい聖女クレア(20)だった。
「お前ら、民間人か? 悪いが、ルナミス軍に恵んでやれる食料なんて……いや、これならあるぞ」
小隊長が気の毒そうに、未開封の『ゲロオムレツ』を一つ、ユートに差し出した。
「あ、ありがとうございます! 助かりました!」
ユートは涙を流して感謝し、真空パックを引きちぎって、黄色い塊に勢いよくかぶりついた。
「むぐっ! ――ッッッ!?」
バタァァァンッ!!
ユートは白目を剥き、一言も発することなく泥水の中にぶっ倒れた。
「ユート!? ちょっと、死なないでよ! あんたが死んだら、誰が魔王を倒して懸賞金1億円を稼ぐのよ!」
聖女クレアが慌てて回復魔法をかける。
「げほっ! ヴぇぇぇぇっ! な、なんだこれ、食べ物じゃないぞ!? あ、頭の中に直接『諦めろ』って声が聞こえた……!」
息を吹き返したユートが、ゲロオムレツを放り投げて恐怖に震えた。
彼の持つユニークスキル【ブレイブ】は「民衆の支持と士気」で能力が上下するが、この絶望的な戦場と最悪のメシのせいで、現在のステータスは『村人A』以下にまで落ち込んでいた。
「くそっ、これじゃ今月も『女神ルチアナ』への返済が滞っちまう……。この鉄装備の借金100万が払えなきゃ、俺はマグローザ漁船(蟹工船)にドナドナされちまうのに……」
「だから言ったでしょ! リボ払いなんてするからよ! アタシみたいに、毎月コツコツNISA(積立投資)で手堅く老後資金を作らないからこういう目に遭うの!」
クレアが呆れたようにため息をつく。
「お前らも借金持ちか……。この世界、世知辛すぎるぜ……」
小隊長がユートの肩を叩き、兵士たちと勇者パーティは一緒に泥の中で膝を抱えた。
飯は最悪。借金は膨らむ。希望などどこにもない。
誰もが「もう死のう」と思い始めた、その時だった。
プァァァァァァンッ!!
突如、戦場に似つかわしくない、陽気な『魔導クラクション』の音が鳴り響いた。
兵士たちが顔を上げると、泥濘だらけの荒野の向こうから、真っ黒に舗装されたばかりの『ポポロ・ハイウェイ』を通って、数台の真新しい魔導トラックが爆速で近づいてくるのが見えた。
「な、なんだあれは! 補給部隊の増援か!?」
トラックがキキィッと塹壕の前に停車する。
荷台から降りてきたのは、タローマンの作業服を着た配達員――俺の会社で日雇いバイトをしている、農家のオッチャンたちだった。
「おーい! ルナミス帝国第7小隊の皆さーん! ゴルド商会を通した『三国正規契約』の第一便、ポポロ村から特製レーションのデリバリーだよー!」
オッチャンが、保温機能のついた真新しい『魔導真空断熱ポット』を、ドンッと塹壕の真ん中に置いた。
そして、ポットの開栓ボタンを勢いよく押し込んだ。
プシューーーーーッ!!!
その瞬間。
暴力的なまでの『肉椎茸』の旨味、甘辛い『醤油草』とシーラン国の『魚介出汁』の香りが、白い湯気とともに塹壕地帯全体へと爆発的に広がった。
「「「………………ッ!?」」」
ゲロオムレツの悪臭にやられていたルナミス兵の、そして対岸の獣人兵の動きが、完全に停止した。
勇者ユートと聖女クレアの胃袋が、雷鳴のように激しく鳴り響いた。
戦場に、かつてない『メシテロの嵐』が吹き荒れようとしていた。




