83 扉
声を掛ける間もなくガルさんが走って去って、食堂にはプリシラさんとロロさんと私が残された。
ガルさん、何の迷いもなく地下に降りて行ったけど、今男子会って地下でやってるの?そして場所分かるの?
「どこに行くつもりなんだろう…」
「ジギーさんの部屋に集まってる。匂いで分かる」
「匂い…」
「姐御、獣人は鼻が利く」
私の隣に立っているロロさんが、その小さな鼻を指先で押して、姐御の匂いも覚えた。と言っている。
うん。何だろう…いい匂いだと、いいな……。
「魔族は魔力で相手を特定する。エルフは魔力を読むのが上手い。精霊は詳しく魔力の情報を知る事が出来る。獣人は匂いで相手を覚える。身体能力を探るのも得意。便利」
「なるほど」
「どうぞ」
そう言って耳を差し出すロロさんの、耳と耳の間をそっと撫でると、上目遣いにロロさんが顔を上げて私を不思議そうに見てくる。
「姐御、魔法、使って、ない…?」
「え、何も使ってないよ?」
「姐御は不思議。弱いのに強い?何故」
「うーん。弱いのは分かるけど、強いのはよく分からないなぁ」
「何で猫が怖くない」
「怖い? 何が?」
私が単純に疑問に思った言葉を返したそれに、目を見開いたロロさんの瞳孔がギュッと縦に伸びた。
「猫は…もっと強くならなければ……」
そう呟いたロロさんは、自分の頭にあるスベフワ耳を両手で握って、フラフラとプリシラさんの前の席にトスリと座る。
そんな様子を疑問に思いながらも、私がガルさんを追っても仕方ないし、とりあえずお茶でも淹れようかと表厨房でファンタジー水入りのお茶を新たに淹れる。
今日も皆が飲めるように作ったお茶はあるのだけれど、込めた願いが『元気にすごせますように』なので、新たに作るお茶は、緑茶風味の『落ち着きますように』と願ったお茶を作った。
今は少し落ち着きたい。
そんなお茶を持って、両耳は握ったまま机に突っ伏してしまっているロロさんの隣に座ってお茶を出すと、今日のお茶を一気に飲み干したプリシラさんが、頂戴、と言ってカップを差し出して来たので、そちらにも新しいお茶を注ぐ。
「ロロは何で不貞腐れてるの?」
「え?これ不貞腐れてるんですか?」
「獣人が耳を握ってるのは何かショックだった時だから。分かりやすい」
「え、ごめん、私何か変な事言った?」
隣で不貞腐れてるらしいロロさんにそう声を掛けると、反対を向いていた頭がこちらを向く。
そんなロロさんは、難しい顔でほっぺをテーブルとの間で潰しながら、ブツブツと小言を言うように言葉を漏らした。
「…猫は、自分がなかなか強いと思っていた。自惚れだった……」
「? でも軍の隊長さんなんでしょう?強いんだよね?」
「でも姐御は全然平気。確かに魔力はとても多い。でも弱い。何かの魔法で防御してるんだと思ってた。だから魔王様のいい人なんだと思った。でも違った。身体能力はとても低い。ずっと魔法も使ってない。何故怖くない。猫が強いなら怖い筈」
ムスッと潰れたままの頬で、困った顔になったロロさんに首を傾げる。
「だって変な事しないって信用してるし」
「それとこれとは話が違う」
そのまま口をへの字にしてしまったロロさんに、何が違うのか分からないと悩んでいると、お茶をすすったプリシラさんが軽く笑う。
「ユリエ、生き物は本能で強い相手を怖がる。確かに一定の強さを手に入れればそれに耐える事もできるけど、きっとロロは身体能力の弱いユリエが、何故強い生き物を恐れないのか分からないんだと思う」
「いや、きっと魔物とか見たら怖いって思うと思いますよ。まだ見た事ないですけど」
「猫は魔物以下……」
「あ!違うから、そう言う意味じゃないから!」
悲しそうな顔で、そして耳を握るロロさんの手が強くなる。
「えー…何だろう、気にした事なかったから全然分からないんだけど……えっと…鈍感、なのかなぁ…」
自分で言っててそれなりにショックを受けていると、そんな私をプリシラさんがまた笑った。
「ユリエ、自分のユニークスキル忘れたの?」
「え、今使ってないですよ?」
「自分に何か害があると体が判断したら、勝手に発動してるから」
「あ、なるほど」
なるほど? え? 驚きの弱さだから、強い人に耐えられなくて、スキルが常に発動していると?
……………。確かに、自分に魔法を使うと既に薄っすら使っている感じがあって、どれだけ使えてるのかよく分からないのはそのせいか…。
何だろう…この、何とも言えない虚無感。
いや、分かってはいる。強さとかそう言うの、鍛えても無理だよ、とやんわり申し訳なさそうに魔王様が教えてくれた。
弱いのは重々承知で、それを影ながら【生活魔法様】がフォローして下さっていた訳だから、お礼を言う事はあっても不満を訴える所ではない。
どうせ強くなっても剣を振ったり戦ったりが出来る気はしないし、そんな感じで強くなりたいと思う訳でもないけれど、せめて赤子レベルからは成長したいと言う志はある訳で……そして、人前に立つだけでも厳しいよ、と言われると、それなりにクるものがある訳で………。
だが、しかし。そう、諦め、諦めが肝心な時もある。知ってたじゃないか。何度も反芻した筈だ。
お前は芋にも扉にも負ける、と。
「ゆ、ユリエ、何その笑い。怖いんだけど…」
「いえ、これは悟っているだけです。己の弱さを受け入れる為には必要な悟り…」
「姐御の、ユニークスキル?」
「そうですよ、ロロさん。私には体の調整が得意なユニークスキルがあるのです。ですから、そのスキルが調整してくれなければ、私は生きる事すら叶わないと言う事です。ですので、ロロさんが弱い訳ではありません。私が弱過ぎるのです。分かりますか?ロロさん」
「う、うん…分かった、分かったから…姐御?猫は強いけど、今凄く怖いから…その笑顔…やめて欲しい」
しょうがないじゃないか。悟らねば心が保たない。
私が悟りから現世へ帰り、大きな溜息を吐くとプリシラさんが苦笑に変わる。
「それだけじゃないと思うけどね」
「でも、私が普通に過ごせるのって、スキルのおかげなんですよね?」
「ユリエは前に魔素泉の魔素には乱された。あの時は魔力の制御も熟練度もまだ低かったからだろうけど、それでもユリエは最初から誰も怖がってはいなかったし、ユリエが怖がらないのは、魔力回路の強さも関係してる。魔力回路が弱いと、魔力が荒れて魔法も上手く使えないから」
「へぇ」
「じゃあ姐御は肝っ玉が魔王様より強い。 なるほど……どうぞ」
魔力回路の強さは胆力があるって事になるんだろうか、と思いながら、再び差し出された耳と耳の間を撫でてそっと回避しているけれど、撫でられたままのロロさんの尻尾はご機嫌に揺れている。
払った代償はデカかったけれど、ご機嫌が直って何よりです。
ロロさんのご機嫌も直り、私は魔力回路が強いと根性があると言う事になるんだな、と新たな理解を深めながら、私の淹れたお茶を飲んだロロさんに何度目かの耳を差し出されたり、魔族はムッツリだから男子会は碌な事話してなさそう、と溜息を吐くプリシラさんとしばらくお茶をして、魔族ってムッツリなんだな、とまた新たな情報を得た後、私は本日のお仕事の残りを片付けに席を立った。
ロロさんにまたね、と挨拶してから向かったのは家事室だ。
広場は掃除したけれど、まだ洗濯物が残っている。
現在家事室は普通に入れる。以前のように洗濯袋がギュウギュウに詰まる事はない。
部屋に入ってすぐのラックには、各自の名前が入った洗濯袋が提出されるので、それをそのまま洗濯し、洗濯の終わった袋は終わった洗濯物を置く方のラックに並べるのが最近のスタイル。
魔法があるのでそこまで時間は掛からないけれど、外のポンプまでタライを持って行って水を汲み、洗濯袋を運んで何度か往復するので、私としてはそれなりの運動だ。
そんな洗濯物を終わらせると、そう言えば広場に箒を置きっぱなしだったと気が付いて、箒を取りに1人で城内広場へ向かったのだけど、忘れておりましたが、バーンと開く筈の正面扉が開けられなくて、私は扉の前で項垂れている。
「何か…何と言うか、生活に支障があるレベルで弱いってなんだろう……」
さすがにバーンと開く筈の扉だと認識しているので、今更壁には思えない。
そしてこの扉を見ていると、どうしても魔王様を思い出す。
「バーンと開けてくれないかな…」
恥ずかしくて私と会えない魔王様。そんな魔王様もよく考えれば可愛いし、長い寿命なのだからこんな感じもたまにはいいのかも知れない、とは思うけど、もう数日全く会えてないし、このまま長く会えなくなったらどうしようと言う思いが、軽く受け止めたい気持ちを揺らす。
嫌いになったとか会いたくないなら嫌だけど、そうではないのだし、気楽に考えよう。
そう言い聞かせるように吐いた息はやや重い。
しかしとりあえず、今は箒を取るにはこの扉を開けねばならぬ。だが開かぬ。
なのでここはきっぱり諦めて、少し回り道にはなるけれど、開けられる方の扉から出よう。そう私は再び大きな溜息を吐いた。




