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74 黒い塊

 

「魔王様、居ますか? ユリエです。入ってもいいですか?」


 深い色をした両開きの扉をノックするけれど、中から返答は返ってこない。

 けれど、居る。不思議と確信があった。


「入りますよ」


 もう一度声を掛け、私はその寝室の扉の片方に手を掛ける。少しだけ重さはあるけれど、その扉は身体で押すとゆっくりと開いた。


 その開いていく扉からはさっき見た寝室と同じ、けれどとても同じには見えない、暗く静まり返った部屋の中を、窓から入る二つの月明りだけが時が進んでいる事を告げている。


 そんな寝室の、天蓋の付いた大きなベッドの真ん中には大きな黒い塊がある。

 その黒い布団に包まれているのはきっと魔王様だろう。


「魔王様、そんなに包まれてたら熱くないですか?」


 到って普通に声を掛ける。覚悟をしたって切り出し方は分からなかった。

 普通を装う、お城のみんなの気持ちが少し分かった気がする。


 もちろんそんな質問に返答はなく、思わず緊張に早くなる胸の動きを押さえるように長く深い息が出る。


 しっかりしろ。そう自分に言い聞かせ、足を踏み出して魔王様が居るベッドにそっと腰を下ろすと、黒い塊が避けるように少し動いた。


「私が居るの、嫌ですか?」


 意地悪な質問だとは分かっている。でも声を聞かせて欲しい。何か反応が欲しかった。


「…………嫌ではない…」


 小さくそう呟かれた言葉は布団に阻まれてくぐもっている。けれど、ちゃんと返ってきた言葉に魔王様の優しさと寂しさを感じた。


「……小鳥、悲しかったですね」


 その私の言葉に、黒い塊は小さくなる。

 そんな魔王様に少しだけ苦笑して、私は言葉を続ける。


「あの子は、病気だったんでしょうか。それとも寿命?」

「………」

「…大切にされていましたね」

「………」

「きっと幸せだったと「そんな筈はないッ」


 幸せ、の言葉に被せるように、魔王様が私の言葉を否定する。

 私の発した言葉が安易な言葉だとは分かっている。でも、幸せな時間はあったと思う…。

 それは忘れてはならない大切な思いでの筈なのに、もっとこうしていれば、もっとああしておけば、そう自分を責める気持ちに塗りつぶされて、幸せだった記憶は薄れてしまう…。

 大事な相手を失った後に残される後悔は、幸せな記憶を塗りつぶす程に辛い…。


 その気持ちは、よく分かる………。


 ベッドの縁に座り、膝に置いた自分の手を見る。

 幸せだったかは分からない。けれど、不幸せだったのかも同じように分からない。

 一つだけ分かるのは、失うのは悲しい。自分が原因ならもっと辛い。


 でも、苦しむ姿をただ見ているのも辛い。

 何もできないのも辛い。


 もし、その愛した者の苦しむ姿を救える方法があるのなら、迷わず手を伸ばしてしまう程に……。


「……魔王様は、助けたかったんですよね。苦しむ姿を見て、助かるかもしれない方法が自分の手にあったから。だから、助けてあげようとした」

「……」

「それは、悪い事ではないと思います」

「………あの子は…私が壊したのだ…助けたのではないっ」


 黒い塊が、その布を巻き込むように更に小さくなる。


 あの時、幼かった魔王様は【魔力譲渡】で助けようとしたんだろう。

 きっと小鳥の体調が治らなくて、治癒魔法を使ったり、色々やっても駄目だった。

 そしてこの世界の生き物は魔力で生きている。だから、魔力があれば生きられると、そう思ったのかな…。


 でも…あの弱ってしまった小鳥にはそれは魔力過多だった…。


「でも、生かそうとした事は事実です。壊したかった訳じゃない」

「……」


 言葉は返さないけれど、聞いている。そう思う呼吸がそこにあって、私は少し詰まった息を吐いてから窓の外を見る。


 向こうの世界にはなかった二つの月。

 もう余り思い出す事のなかった前の世界を、私はゆっくりと思い出す。


「………私の住んでいた世界の寿命は、長くて100年程でした。でも、そこまで生きる人は稀です。私はその世界で、その半分を生きた」

「……」

「私の両親はとても優しい人達でしたが、私を遅くに生んだので、私一人を置いて先に逝きました…。病気で、最後を看取る事は出来ましたが、私は仕事が忙しく…今思えば、必要な事以外何もできていなかった…。本当は、思い出を作ったり、幸せを感じたり、必要じゃない事もしたかったから、そこには少なからず後悔が残っています」

「……」


 昔の思いに私が苦笑していると、私の言葉が止まって黒い塊が少し動く。

 そんな様子に少しの笑みを向けて、私は再び話を続ける。


「先に父が病で亡くなり、それを母と見送りました。父が亡くなると、それを追うように母も病に臥せり、日に日に、昔の面影が嘘のように小さく細くなって……ああ、母も父と同じように逝ってしまうんだなって理解してても、受け入れる事ができなかった……。母までいなくなったら私は一人になる。それは、とても、怖かった……」


 もう過去の事だと割り切っていても、伝えるように言葉にするとやはり気持ちがざわつく…。


 そんな胸から息を吐いて、言葉の続きを口にする。


「母は、起き上がれなくなり、私がお世話をする度に、苦しそうに、なのに笑うんです。「忙しいのにありがとう」って……。私は、何も出来ていないのに、その病から、母を苦しめるものから、助ける事なんて出来てないのに……その度にどうしていいか分からなくて…私には、何の力もなくて…その命が減って行くのを、ただ見ている事しか出来なかった…」

「………魔法は…」

「ふふ…向こうの世界に魔法はありませんよ」

「…………」


 思わず、と言った感じに聞こえた声に少し笑ってしまうと、黒い塊は再び沈黙したけれど、話の続きを待っているのは伝わってくる。


「……そんな両親に、私が出来た事は最後を看取る事だけでした。その枯れたような、冷たい手を握っていただけ…。それでも、両親とも最後に立ち会えたのは、寂しがる私への、両親の最後の優しさだったのかも知れません」


 そう一つ息を切って、私は黒い塊に目を向ける。


「もし、あちらの世界で、この世界のような魔法が使えて、それを両親に使う事がどんな結果になるのか分からなくても、助かるかもしれないなら私は必ず使っていました。 私はそんな自分を責めません」

「……」

「助けたいと、側に居て欲しいと思う事は悪ではありません。命の先を、望まれているか、そうでないか、それを知る術がないのなら、私は大切なものは生かしたい。私は、魔王様のした事が悪い事だとは思いません」


 そう言いきって言葉を終えると、ぽろりと零れた涙は指で押さえるように止める。


 どうしても…どうしても思い出してしまう。


 両親が居なくなったいつもの家で、家の中だけ時が止まって、外の世界に置いて行かれたようなあの居場所のなさを、受け入れられなくて、泣けなくて、逃げるように1人部屋を借りて、ここで終わるのだ、そう感じた最後の場所。

 もうそこには居ないのに、こんなに幸せな場所にいるのに、今何を泣くことがあるんだろう。


 短く息を吐いて、押さえた手を除けると涙は止まっている。


 それをくれたのは、こんな幸せをくれたのは魔王様なのに、魔王様はまだあの終わりを待つだけの場所に、あんな寂しい場所に、私の愛おしい人は囚われているんだろうか……。


 そう思って振り向いた黒い塊は、少しだけ焦ったように包まった布を擦らせてちょっとだけ私に近付いた。


「…ユリエ…な、泣いているのか?」

「…少しだけ…でも大丈夫ですよ」


 余りにも長く言葉を止めたからか、心配そうにくぐもった声を出す黒い塊が、そこから出ようかどうかを悩んでいるようで笑みが浮かぶ。


「魔王様、私は魔王様に出会えてとても幸せ者なんです。魔王様はきっと最後まで一緒に居てくれるでしょう?」

「…いる」

「私は、孤独から逃げました。向こうの世界にあのまま居たら、逃げた先で一人死んでいたと思います…。確かにその覚悟もしていましたが、怖いような、寂しいような思いは拭えなかった……。だから、いつか死ぬとしても、魔王様が側に居てくれて、私はそれを幸せだと感じています」

「…あ…あまり死ぬなどと、言ってくれるな…」


 すいません、と少し笑って、私はその黒い塊の正面に正座して、まっすぐに見る。


「だから、私は幸せを最後まで与えられ続けたあの子は、幸せだったと思います」

「…」

「それが真実かどうかは、これからもずっと分かりませんが、あの子は最後まで、魔王様の温もりと、助けたい、守りたい、そう願う優しさを受け取っていた。それは真実だと思います」


 その言葉に、布団が少し擦れた音を立てながら、俯いたように項垂れる。


「でも、残された魔王様は、沢山辛かったですね。一人で、逃げられずに、辛かったですね」

「………私が…辛いなどと、言っても、よいのだろうか……あ、あの子は、もっと辛かったのではないだろうか…あんな小さな体で…あんな最後で……」


 そんな震えた声に、見えない涙が見える気がした。


「魔王様、私、布団に触りますね」

「…何……」



 そう言って、私はその震える大きな黒い塊を抱きしめた。






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