73 小鳥
その光にたどり着くと、微かに漏れる光の照らす輪郭は、やはりと言うか魔王様の部屋の扉だった。
でも待って。私知ってる。
こいつ、超重い。
開けないと進めないのは分かっているが、その扉を押してみてもやはりその扉はびくともしない。
…ここは開いとこうよぉ……。
心の中で呟いたそれすらも情けなくなる程に、光だけは覗かせるけれど全く開く気配のない、空気を読まない扉を唸りながら体当たりして押していると、そんな私の目の前に、とても白くて細い腕が現れた。
スッと視界に現れたその細い腕は軽々と扉を開き、扉の中にあった光が溢れるように暗闇に広がる。
闇に慣れた目は急な光量に驚いて閉じてしまったけれど、光に慣れ始めた目の前にその細い腕はもうなく、代わりに開いた扉の中には2人の人が立っている。
1人は白いドレスを着て、髪を結いあげた女の人の後姿。まだ光でよくわからないけれど、とても優しそうな雰囲気を纏っている。
その人の隣には背の高い男の人が立っていて、少し長めの髪を後ろで縛り、マントを揺らす様が少し魔王様に似ていた。
そんな2人が微笑み合う様子はとても穏やかで、とても絵になる。そう思って呆然と私はそんな2人を眺めてしまう。
けれど、2人は笑顔で何かを話しているのにその声は私に聞こえない。
この空間からは全ての音が消えたように、何も聞こえないけれど不思議と怖さも感じない。
そんな不思議な空間で、けれど2人が居る場所は私と魔王様が掃除をした知ってる部屋。
でも、雰囲気が全然違う。間取りは確かに同じなのだけど、そこは光に溢れ、子供の使うような玩具や絵本で満たされている。
私がそんな部屋の様子を観察していると、2人は連れ添いながらその先の、開かれる事のなかった扉へ向かったので、私は慌ててその後に続いて足を踏み出す。
少しの躊躇いと共に踏み込んだ扉の先は、広い部屋の左手に並ぶ窓から沢山の光を取り込んで、右側の壁には扉が2つ見える。
その2つの扉の手前の扉は閉じられていて、奥の扉は開いている。
そんな開いている扉の奥には寝室が見えた。
その寝室の前、この部屋の一番奥はお城の塔の部分に当たるのか、円形の間取りをしている。そんな丸い壁に並んだ窓から、降り注ぐ光の中には1人の子供が立っていた。
とても小さい、年の頃は4歳くらいの、銀色の長い髪を揺らして振り向いたその子は輝くように笑う。
魔王様だ…。
幼いけれど、その面影をしっかりと持った小さな魔王様は、部屋に入って来た女性のドレスの足元に埋まるように抱き着いた。そしてドレスに埋もれて苦しそうな顔を上げ、また嬉しそうに笑う。
その光景は、とても幸せに溢れた家族に見える。
魔王様に抱き着かれたその女性が、小さな魔王様に目線を合わせる為に膝を折ると、魔王様はその腕の中に納まってから、少し悲しそうな表情になり、あやされるように女性と何かを話している。
その女性はとても優しく、腕の中に居る魔王様の髪を撫でていて、そんな女性の髪は魔王様と同じ銀色で、ああ、お母さんなんだ、と思った。
じゃあ、そんな2人をとても優しい表情で見詰めている男性はお父さんだろうか。
よく見ると、目元がとても魔王様に似ている気がする。
でも次の瞬間、私は胸が潰れるかもしれない。そう思った。
この先に何が起きるのか、分かってしまったからだ。
私の視線の先には、光に囲まれる中に小さな鳥籠が立っている。
その中には、少しぐったりとした小鳥が、労わるように敷かれた布の上に横たわっている。
お母さんから離れた小さな魔王様は、再びその光の中で籠の中の小鳥を心配そうに見詰めるけれど、その小鳥は震えるように羽根を動かし、苦しそうにくちばしを広げ、命の最期を告げている。
小さな魔王様は慌てたようにその鳥籠を開け、そして、その小さな手の中に、小鳥を抱いた。
「……だめ」
思わず呟いた言葉は音にならない。
私の耳にも届かず、そして小鳥を抱く小さな魔王様にも届かない。
泣きそうだ…。
でも泣いてはいけない。
見なければいけない。
小さな魔王様に抱かれた小鳥は淡く光り、そして、光の粒子になって消える。
小さな魔王様は目を見開いて、その光の粒になった小鳥を唖然と見ていた。
そして、それを理解してしまったように聞こえない叫びを上げる。
その悲鳴に気付いたお母さんが魔王様に駆け寄り、魔王様をその胸に抱いた後、崩れるように倒れ、それに気付いたお父さんが魔王様に伸ばした手がその肩に触れ、膝を突き、苦しそうに耐えた後、魔王様の目の前で倒れた。
小さな魔王様は、それを涙で濡れる両目で全て見ていた。
唖然と、表情を忘れたように、大きく開かれた目は倒れた両親を捉え、その胸は荒く短い呼吸に震えている。
ゆっくりと、胸の前で握られた手は、触れてはいけないと理解したように強く握られ、その瞳は両親を捉えたままどうすればいいのかを探している。
そんな中に、使用人なのか同じ服を着た人達が駆け込んできて、悲鳴をあげたのか小さな魔王様の肩が大きく揺れた。
そしてその人達が触れようと伸ばした手から、小さな魔王様は逃げた。
光の溢れる窓に、その小さな背を預け、何かを呟く。
今度は部屋に知った顔が入って来る。
プリシラさん、ヨウグさん、リリーさん、ジギーさん。プリシラさん以外は皆少し若い。
プリシラさんが何かを言いながら魔王様に近寄ると、魔王様は首を小さく横へ振る。
ジギーさんが何か指示を出し、慌てたようにヨウグさんとリリーさんが両親を抱えて部屋から出る。
残ったプリシラさんは何かをゆっくり話ながら、少しずつ小さな魔王様に近付くけれど、近付いて、触れる。そう思った瞬間声が聞こえた。
『触れてはいけない』
それは小さな魔王様の声だった。
何の抑揚もない、感情を失ったような、ただ真実を述べたようにそう言った小さな魔王様は、その場から消えた。
その瞬間、寝室の扉が大きな音を立てて閉まった。
無音の中に響いたその音に驚いて視線を向けると、そこは今までの光の中の光景とは違い、とても暗く、埃を含んで、沈んだ空気がその場を支配している。
静かに、ずっと閉まっている事が当たり前のように、私の目の前には閉ざされた寝室の扉が沈黙を落としていた。
周りを見渡すと、薄暗い部屋をほんの小さな照明が照らすそこには、うず高く本が積み上げられ、曇った窓の外は夜に染まっている。
暗く沈んだ、時が切り取られたようなその部屋の、丸く窓の並んだそこには、さっき見た光景と同じく鳥籠がある。
けれど、その鳥籠には布が掛けられ、何年も長く触れられていなかったのか埃を被っている。
「これは…現実?」
小さく呟いた言葉は、これが現実だと教えるように空気に触れて自分の耳に届く。
なら、この寝室の扉の先に、魔王様は居るんだろうか…。
私はその扉の前で、胸に手を当てて小さく息を吐く。
不思議と落ち着いている。
もっと動揺するかと思ったけれど、“トラウマがある”、そう知った時からなんとなく分かっていたのかも知れない。
『生き物に触れると壊れる』。それは、壊してしまった事があるからだ。
それを、心に刻んでしまったからだ……。
何かの答え合わせをするように見たあの光景は、胸が潰れる思いだった。
けれど、起こってしまった事は変える事はできない…。
そして、目の前には、まだその光景の中で、あの小さな魔王様と同じように、どうすればいいのかを必死に探っている魔王様が居る。
「行こう」
ふっ、と覚悟を決めるように吐いた息は私の髪を少し揺らし、視線を上げた先の扉に私は手を添えた。




