75 お布団
黒い塊は逃げなかった。
私の腕の中で固まっている。
腕の中にある柔らかい布団は、夏用の薄い掛け布団を二重にしたくらいしか厚みがない。こうやって抱きしめてみると思ったよりも中身が分かる。
布団越しに、泣いているであろう魔王様の頭を胸に抱え、その背中を撫でると少し凭れるように私に重さが掛かった。
「ユリエ…危ない…」
「私が触れてるのは布団ですよ」
「…布団なら、仕方ない……」
「そうですよ、仕方ないし大丈夫ですよ」
そんな布団を引くように手に持った魔王様の腕が私の腰に回る。
ゆっくり、私に沈むように掛かる重さが少しだけ震えて、息を殺したような泣き声が止まるまで、私はその背中を撫で続けた。
どれくらい時間が経ったのか、部屋に入る月の光が斜めに傾いて、布団の中は静かになった。
腰にある腕はそのままなので、生きているとは思うけれど、布団の中はとても熱いんじゃないだろうか…。
その暑さは知っている。
「魔王様、熱くないですか?」
「……」
「魔王様?生きてますか?」
「…………」
このまま布団を剥くのは危ない気がするので、そっと横に寝かせようと支えながら体を倒すと、腰にあった腕は全く外れず、魔王様と一緒にそのまま横に倒れてしまう。
これは………起きてたら破廉恥所では済まないな…。って言うか、生きてるんだろうかと魔王様の頭辺りの布団を捲ると、少し暑い空気と共に、寝ている魔王様の寝顔が覗く。
きれー…睫毛ながー…
15センチ程先にある、その美しさを堪能したのはいいけれど、どうしようこれ。全く動ける気がしない。
腰に回った腕は解ける気配がない。固定力が強い。
少しもがけば起きるかと思ったけれど、起こすのもかわいそうな気がして、寝ぼけて絞められたら死ぬな。と思いながらも、早々に脱出を諦めて私はその綺麗な寝顔を眺めている。
何となく持て余した手で布団越しに魔王様を撫でながら、月が沈み、日が昇り始め、薄っすらと明るくなっていく部屋の様子で時間の経過を知る。
私まで寝てしまったら、いざと言う時困るので、私はうつらうつらと眠気に抗いながら、綺麗な寝顔で薄く寝息をたてる魔王様を眺めている。
寝そう。凄く、眠い。
こんな安心しきった寝顔を見てると、ほんと眠くなる。
考えるべき事とか、考えを纏める事も沢山あるけれど、今はもういいや。と思ってしまうくらいには眠い。
きっと私も、こんな安心しきった寝顔の魔王様を見て、安心してしまっているからだろうなぁ…。
魔王様がこんなに人を近くに感じたのはいつ振りなんだろう……魔王様、小さかったな…。
そう頭に浮かんで、少しだけ目が覚めた。
あの時、魔王様が触れたのは小鳥だけじゃなかった。
小鳥に【魔力譲渡】を使ってしまい小鳥が消える。きっと動揺した魔王様はその後【魔力譲渡】を制御できなかった。
そして両親が触れて、魔力過多で両親の魔力回路は損傷を負った。でも、消えてはいなかったからきっと壊れきってはいない。
そしてその時に、『生き物に触れると壊れる』、そんなイメージが魔法を生んだ。その魔法は、魔王様の魔力回路に制御できない物として染みついたんだろう…。
あの時、その後はどうなったんだろうか。ご両親はどうしたんだろう…。
消えてはいなかった。けど、損傷は負った…もしかして亡くなった?……でも、亡くなっていたら、こんな優しい魔王様はトラウマ所では済まなかったんじゃないだろうか…。
じゃあ、何故このお城に魔王様の両親は居ないんだろう……どこに居るんだろう…。
そんな事を考えていると、布団の中身が朝に気付いたのかもぞりと動いた。
その綺麗な寝顔の睫毛が薄っすらと開き、その隙間から深い蒼が覗く。そして、まだぼんやりとした目は15センチ先の私を捉え、目が合ったのでにっこり笑う。
「えーっと、おはようございます?」
「……」
「まだ眠いですか?」
「…………………夢?」
ぼーっと私を見詰めたまま、これは夢かと考えている魔王様の腕が、これが夢かと確認するように少し動いて、私の形を認識したのかピタリと止まる。
「夢では、ないですよ?」
「!!??!」
魔王様の腕が止まった瞬間、少し苦笑した私が夢ではないと伝えると、ガッと勢いよく目を見開いた魔王様が消えた。
ああ、やっぱり近いとまだ転移するんだな…。
消えて、私をしっかりとその目で捉えた状態で、ベッドの横に現れた魔王様は、覚束ない脚が後ろへよろめき、大きな音を立ててその背を壁に激突させた。その振動で、ちょっとベッドが揺れる。
痛そう…。
そんな魔王様を見ながら寝ていた態勢から起き上がり、とりあえずベッドの上で正座する。
「大丈夫ですか?」
「……ユ…リエ?」
「そうですね。ユリエですね」
「…な、な、何故、ここ……………」
震えるような、裏返りそうな声で、何故ここに居るのか。そう聞きたかったんだろうけど、その答えを思い出したらしい魔王様が、やっぱりゆっくり赤くなっていくのを私は苦笑で見守った。
まぁ、こうなるだろうな、とは思っていたので、焦る気持ちは全くない。
「魔王様、座って」
そう言って、私は正座した目の前のベッドをポンポン叩く。
そんな私を見ている魔王様は、どうすればいいのか判断が付かないのか、驚きと困惑を混ぜて二乗したような真っ赤な顔のまま、私から目を離す事なく、ゆっくりと言われるがまま這うようにして私の前に正座する。
「昨日の事は覚えていますか?」
「…」
魔王様は無言で頷く。
反応は出来るけど、考える事は出来てない感じだ。
「ええっと…大丈夫ですか?」
「…」
魔王様はゆっくり首を横へ振る。
そうか。大丈夫ではないよね。うん。
色々話したい事はあるけれど、聞ける状態でも答えられる状態でもなさそうだ。
どうしたものかと考えて、落ち着けば話せるようになるだろうかと思い至る。
「またお布団しますか?」
「……それは…したい」
素直。そしてそこはちゃんと答えるんだな。
そう思いながら、私は自分の前に掲げるように布団を広げ、包むように魔王様をギュッと抱きしめる。
「お布団落ち着きますね」
「………とても」
遠慮がちに、少しだけこちらに預けられた重さに愛おしさを感じながら、薄い布団に隠された魔王様の頭に頬を置く。
その温もりは、何となく、あの小さかった魔王様を抱きしめているような、そんな気がした。




