71 卑猥とは
魔王様は今日夜まで帰らないって聞いたけど、3階のエントランスに居れば会えるだろうか。
そう考えて、階段を上がってエントランスのソファーに座って待機する。
横を見ると廊下があって、その先には魔王様の部屋がある。
帰って来てたら、ここで座っていてもしょうがないな…とは思うけれど、非力な私にあの扉は開けられない。
あいつは壁だ。
まだ夕方だし、夜って言ってたから大丈夫だろうと、暮れ始めた窓の外を見ながら柔らかいソファーの端に凭れていると、一人になった思考は国の事を色々知った事もあってか、今後の事を考えてしまう。
「婚約かぁ…」
魔王様は王様。
この国の王様なのだ。
私が想像していた王様のイメージが典型的な偉いとか、偉そうとか、頭を上げよ。みたいなイメージだったのに対して、魔王様にそんな素振りは全くない。
だからか、魔王様が王様だって事は忘れていなかった筈なのだけど、実感が伴ってなかったせいか、国と魔王様が繋がる感覚は抜けていた気がする…。
けれど、私は王様と結婚を前提としてお付き合いしてます状態なのだ。このまま行けば立場は王妃になる。
昨晩ジギーさんにもそこを言われた筈なのに、実感がなかったせいか揶揄われた感じで捉えていたのかも知れない…。
王妃。王妃な…。
いや、けど、全然実感が湧かない……。
嫌な訳じゃないけど、王妃って何する人か分からない。
王様のお嫁さん?それって何する人?何の仕事してる人?
ただ分かるのは、国の事を考える立場の人だと言う事。
なのに私、国の事考えてなかった…って言うか全然知らなかった…。魔王様の事しか考えてなかったし、平和ボケも良い所だ…。
魔王様が結界張って守ってるって知ってたのに……駄目だ。マジで浮かれてた…。
「はぁー……駄目だわぁ…」
「嫌だ」
「んぇっ?!」
突然返された声に顔を上げると、私の頭上からとても真剣な表情をした魔王様が、覗き込むように私を見下ろしている。
「あ、おかえりなさい」
「…ユリエ、何故」
「? 何が……っ!?」
と言った瞬間には、魔王様は正面に移動していて、髪が浮くような風圧と共に、私を挟む形で魔王様の両腕がソファーの背を掴んだ。
その手はソファーの背を強く握っているのか、耳元で椅子の軋む音が聞こえる。
そして正面から、とても真剣な表情で私を見ている魔王様はとても近い。
い、椅子ドンだぁ…。
それもダブルの…。
椅子ドンだと言う事は分かっているが、それ以外何が起こっているのか分からずに、目の前の魔王様をただただ見ていると、その真剣な顔が苦しく歪んだ。
「何故、どうしたらいい…」
「な、何がですか?」
「やはり私では駄目なのか?!触れる事ができないから?!!」
「えっ?!ちょっと待って魔王様、何の事言ってるの?!」
「嫌だ。絶対に嫌だ。失うくらいなら……」
そう魔王様が俯くと、またお城が震えた。
もう知ってる。これ魔力暴走しようとしてるやつだ。そして失うくらいなら何しようとしてるんだ怖い。
って言うか魔王様少し気持ちが不安定っぽい?こんなすぐに暴走するとか何があったの?
「魔王様!ちょっと待って、聞いて?何の事言ってるの!?」
「私が…私が多くを望むせいか…なのに何も返せないから…!?」
だから、何の事を言ってるのかさっぱり分からない!
俯いた髪の隙間から、苦々し気に歪んだ顔を覗かせている魔王様。ずっとお城揺れてるし、何の事だか教えてくれないし、弁解も出来ないし、何かこのままだとお城壊れそうだし、聞く耳も持ってくれない。
まず、私の言葉を聞いて欲しい!
「だから!聞いて!って言うか教えて?何の事言ってるの?!」
「望んでくれるのなら何だって叶える!だから…」
顔を上げた魔王様は、泣きそうな顔で、でもやはり何故そんな暴走しているのか答えはくれない。
駄目だ、まず聞く耳がない…。
「……………。何ですか?何だって叶えてくれるなら、私が望めばキスでもしてくれますか?」
「キっ…!!?!?」
キスってワードに目を見開いた魔王様が、目の前でじっとり魔王様を見詰めている私と目が合って、しっかり一瞬で赤くなる。
そして驚きに浮いていた魔王様の髪が肩に落ちて、驚き過ぎたのか固まった魔王様から、嫌な感じの魔力の圧は消えている。
お城の揺れもピタリと止まった。
「魔王様、何か勘違いしましたね?お城揺らす前にちゃんと何の事を言ってるのか教えて下さい」
「…だって…ユリエが、婚約は、駄目だと……」
「え?! あ、あー………違います。正しくは、婚約したのに、国の事考えてなかった自分が駄目だ、と思ったのがポロッと出ただけです」
「では…」
「婚約、嬉しいですよ?魔王様の事も好きなままです。紛らわしい事言ってすいません、嫌な思いさせましたね?」
「い、いや、…そうか……う、うむ…その、早とちりをしてしまった…すまない」
そう言って、少しフワフワ浮ついたような魔王様が私の横から腕を収め、その視線を私に合わせないように泳がせている。
あ、これ、キスってワードがまだ残ってる?
ちょっと刺激が強すぎただろうか…。
「無事に帰って来てくれて嬉しいです。とりあえず座りませんか?」
「う、うむ…」
魔王様は大人しく隣に座った。座ったけれど、魔王様は真っ赤なままで、耐えるように口を横に結んだそんな口元を手の甲で覆い、自然を装って隠している。
そして目はしっかり合わせない。
やはり刺激が強かったか…。
ロイ君の見え過ぎちゃう【魔眼】の事を相談したいのだけど、ロイ君の事を話すとなれば、魔王様にファンタジー水を使って魔王様の魔力回路を整えるって方法を話さなくてはならない。
結構真面目な話なのだけど、魔王様はまだキスってワードから離れられていないのか、そんな事を話せる雰囲気では全くない。
しくじった。
「あの、魔王様…そろそろ」
「ちっ違う!卑猥な事など考えていない!!」
あ、駄目だな。全然落ち着いてなかった。
そして卑猥な事って何だろう。
しかし、そうか。何かそんな感じの事考えてるのか…。
耐えるレベルが上がったらしく、両手で顔を覆う形態に入ってしまった魔王様だが、魔王様の卑猥とか破廉恥ってとてもレベルが可愛いからな、逆に知りたいその卑猥。
しかしそろそろ復活して欲しい。真面目な話を出来る感じじゃないなこれ。いや、全部私のせいなんだけども…。
そう私が魔王様の赤面ガードを解けずに悩んでいると、そんな所へ助っ人が現れた。
「魔王様!またお城揺らしましたね!?何でそうすぐ揺らすんですか!?ちょっと魔力制御甘いんじゃないですか!?」
もー!と頬を膨らませながらやってきたレイ君の隣には、目隠しをしたままのロイ君が手を引かれている。
そんな2人を見て、魔王様が驚いたように立ち上がった。
「ロイ!その目はどうしたのだ!それに、魔力が…」
「その前に。お久しぶりです魔王様。92年と4か月振りくらいでしょうか?言いたい事は山程ありますが、まずはご婚約、おめでとうございます」
「え、あ、…うむ………その……色々、すまなかった…」
物凄く細かく、皆があまり触れない引き籠り期間に容赦なく突っ込んで行ったロイ君の淡々と語った言葉に、魔王様は一瞬呆けたような顔になったけれど、お祝いの言葉に喜んでいいのか、引き籠りを突っ込まれて謝ればいいのか悩んだ結果、最終的に眉をハの字にしてしょんぼり謝った。
ロイ君はツンデレ属性なのだろうか…さっき魔王様の居ない所ではデレていたのに…。
「ユリエ様。魔王様が暴走なさるなど、原因はユリエ様しかおりません。魔王様を無暗に刺激なされるのはお止め下さい。魔王城が魔王様に破壊されるなんて全く笑えませんので」
「ぁ…す、すいません……」
傍観は許されず、私もしょんぼり謝った。