69 小さな氷
「少し、魔力回路探っていい?」
「どうぞ」
差し出した私の手に、ロイ君の小さな手が乗る。
こんな小さな手で、小さな体で、ずっと不安定な自分を支えて来たんだと思うと、治したい。そう強く思う。
実験だと思うと拒否感が出るけれど、治す事に焦点を当てれば拒否感はない。
だって何もしなければ、ロイ君はずっと治らない。
確かに魔王様を治す事にも役立つ内容ではあるんだろうけど、要はロイ君を治した結果がそこに繋がるのだ。
だから私が集中すべきは、ロイ君を治す。それ一択。
それに、ロイ君のこの状況、出来るだけ早くどうにかしたい。
存在が揺らぐほど魔力回路が不安定になると言う事は、ネガティブになってしまう気持ちと向き合い続けているって事だ。
そんなの、あんな気持ち、あんな怖い状態をずっと食らってろと言われたら、それだけで心が折れそうな気分になる。
なのに、目の前のロイ君はずっとそれと戦ってきた。
強い。素直にそう思う。
そして治したい、強くそう思う。
手の中にある小さな手に、自分を探る時と同じように集中する。皆の魔力量を測る時と感覚は同じだ。
ロイ君に触れるとロイ君の魔力量が分かる。レイ君と同じくらい。ただ、魔力の保有量は同じでも、今ある魔力量はとても少ない。
魔力回路が魔力を留めておけないのだ。
壊れてる訳じゃない…。疲弊。まさにそんな感じ。
私がこの世界に来て最初の晩の、あの崩れそうな瞬間が魔力回路に染みついている。
そんな状態のロイ君に、思わず言葉が零れた。
「しんどいね…」
「…ユリエ様は魔法も流さず、触れただけで状態が分かるのですね」
「うん。多分ユニークスキルの[計算]と[速読]だと思う。こうやって人に使ってみるとよく分かるね…」
「お役に立てて何よりです」
そんなロイ君に苦笑が漏れる。
確かに、人をこんなに詳しく探る感覚も、人に魔法を使う感覚も、魔王様相手にぶっつけ本番ではきっと失敗しただろう。
ロイ君の想いに応える為にも、この感覚をちゃんと覚えて、もっと自分の魔法を使い慣れないといけない…。
「ありがとう…」
「いえ。不快ではありませんのでお気遣いなく」
薄く笑ったロイ君に小さく息を吐いて、気持ちをしっかり切り替える。
治す。ロイ君を治すのだ。
そしてその全てを糧に出来るように、しっかりと覚えて、しっかりと鍛えて、皆の愛する魔王様を治すんだ。
ロイ君の体は小さいし、魔力回路が弱ってるだけで壊れてる訳でもない。魔法と絡んでない為か、探った感覚だとファンタジー水の必要量も多くなさそう。
昨夜張り切って作った魔法入りファンタジー水が、こんな形で役に立つのが何だか複雑な気分だけれど、作っておいて良かった。
ロイ君の手を離してソファーから立ち上がり、ロイ君の前に魔法の籠ったファンタジー水の水瓶を出す。
念のため、魔法の入っていない魔力補充用のファンタジー水も出してからロイ君を見ると、ロイ君はファンタジー水を見ながら不思議そうに首を傾げている。
「これが【死の泉】の魔素水ですか…。もっと恐ろしい物だと思っておりましたが、綺麗ですね」
「綺麗だし、後は凄く美味しいかな」
「…それは…ちょっと興味がありますね」
淡々と準備を進める中、不安を紛らわせるように話しているそれは、私の不安なのか、ロイ君の不安なのか、それとも両方か。
両手で自分の頬を挟んでそんな不安を振り払い、これからの事に集中する。
大丈夫。魔力を流し過ぎない事、魔法を使い過ぎない事、壊さないように、丁寧に。
その感覚だけは怖くてしっかり何度も練習していたのだから、自分を信じろ。大丈夫。ここで私が揺らいでいては話にならないのだ。
気合を入れろ。覚悟を決めろ。集中しろ。
水瓶の中で、魔法に満たされた水は淡く光る。
そのファンタジー水の入った水瓶の淵に、互いの手を漬けるように沈めると、正面にある小さな手が細かく水を揺らしている。
「震えてるね…」
「武者震いと言う事にしておいてください」
「体調は?」
「ユリエ様が淹れて下さったお茶のおかげで、とても良くなりましたよ」
そう薄っすら笑ったロイ君は、その震える手をじっと見ている。
口元は少しだけ笑っているけれど、それは不安だろうか、それとも期待だろうか……。
「駄目だと思ったらすぐに言ってね」
「はい」
覚悟を伝えるように、しっかりと私を見たその目に頷いて、目を伏せ、深く息を吐いて、ロイ君に、その水に、全力で魔法を使った。
『魔力回路が整いますように』
そう強く願った魔法を伝えるように、互いの手の間にある水が揺らいで、淡く、強く、金色に光っている。
けれど、魔法は効いていない。届かない。
そんな状況に眉が寄る。
魔素水には願いを届ける魔法が十分に入っている。私の魔法もそこへしっかりと伝わっている。けれど、ロイ君に入っていかない……。
いつも魔法を使う時は染みこむように広がっていくのに、その感覚が止まっている。
止められている。
ファンタジー水を介してその感覚を辿ると、止めているものの正体に触れられそうな感覚がする。
その感覚を深く知ろうとする毎に、どんどん自分から魔力が減っていく事が分かる。
でも、魔法の入ったファンタジー水から魔力を使う訳には行かない。これはロイ君を治す為の物だ。
今手は離せない。離せば魔法が散ってしまう。魔力の補充は出来ないのなら、自分の中の魔力だけでどうにかしなくてはならない。
けれど、自分から消費されていく魔力の量に、焦りと共に訪れる吐き気と眩暈に額に汗が浮かぶ。
でもここで止めてはいけない。
探らないといけない。
止めたら、失敗する…。
失敗する訳には、いかない!
額を滑った汗の存在だけを感じながら、目を閉じて、こちらの魔法を止めているその感覚に、全身を集中させて深く意識を潜らせると、潜り切ったその底で、深い闇の中で声が聞こえた。
『――嫌だ――』
その声に、胸の奥が痛くなる。
これは、ロイ君の声だ……。
その声に込められた感覚は拒絶。
ロイ君が、自分を拒絶している……。
こんな体になった自分を嘆きながら拒絶する声。
魔力回路が治らなくて、魔法が使えなくて、強い事が求められる魔族の中で、そうあれない自分を、ロイ君は認められない、認めたくない…。
それでも、それが“嫌だ”と戦っている事に、涙が出そうになるそれを必死に耐える。
当に半分を切っている自分の魔力に、どんどん薄くなる体の感覚を辿るように、目を開けて、言葉を紡ぐ。
「………ロイ君。ロイ君は、自分の事に、詳しいよね…」
「…それは、自分の事ですから…」
「ロイ君は、私に、沢山教えてくれた。大事なもの、好きなもの、嫌いなもの……嫌な記憶も、自分の嫌な所も…」
「…………」
「自分の事、弱いって言うけど、本当に弱い人は、それを、本当の意味で口にすることは出来ないって、私は思う。…自分を一番知っているのは、自分だから。自分で上手く隠してしまう……」
ロイ君が視線を上げて私を見る。私は魔法を使うその手元から、不安と困惑を浮かべて私を見ているロイ君に視線を合わせた。
そこには、頑張り続けた小さな男の子がいて、自然と私の顔には微笑みが浮かんだ。
「ロイ君はずっと戦ってたよ。どんなに“嫌”でも、自分を諦めなかった。私はそれを、弱いとは思わない。それは強さだよ。 だから、ロイ君は強い。とても強い」
そう言葉にすると、ロイ君の見開いた瞳が大きく揺れた。
その瞬間、一気に魔法が走り、ロイ君の魔力回路を伝うように広がって、魔素水からも、私からも、魔法が、魔力が、しっかりと流れて行くのが分かった。
そして私の目の前で、呆然と私を見ているその戦い続けた小さな男の子の瞳から、大きな涙が一粒落ちる。
手元の水は無くなっていた。
そして少しずつ、ロイ君の目が虚ろになり、ゆっくりと傾いて、その体はソファーの上にそのまま倒れた。
「ロイ君!!」
「ロイ!」
私が叫ぶと同時にレイ君が扉を開けて駆け込んで来たけれど、そちらを見る余裕は私にない。
咄嗟に震える手でロイ君の体に触れようとして、けれどその手が止まる。
私の魔法で、もしロイ君を壊していたら…そう思うと、触れるのはとても怖かった。
けれど、そんな引いた私の手首が強く掴まれる。
掴んだのはロイ君。
「違う…待って……」
小さく唸るように声を出したロイ君の表情は、何かに耐えるように歪んでいる。
「ロイ君…?」
「ロイ!大丈夫なの!?」
私とレイ君がソファーに倒れ掛かっているロイ君を心配そうに覗くそれに、ロイ君は目を開けるのが億劫だと言ったように眉を顰め、けれど薄く目を開ける。
そしてその目で私を捉え、小さく息を吸い込んだ。
「大丈夫ですなのでユリエ様は魔法に変なイメージ持たないで周りが困ります…っ」
「ぁ、はい…」
捲し立てるように私を制したロイ君の言葉に、思わず素直に頷いた私を確認したロイ君は、少し苦しそうな視線だけこちらにやって、再び目を閉じて息を整える。
そして大きな深呼吸の後、薄く開いた目で微かに笑って、私の手首を離したその手の平をこちらに見せた。
「見て」
そう差し出された小さな手のひらの上、そこには小さな氷が、キラキラと光りながら浮かんでいた。
レイ君が泣いている。
ソファーに横になっているロイ君の上で。
「レイ、重いんだけど……」
「うっうぅ…だって…だってっ」
「……まぁいいです。入ってくるの、我慢できていたので」
そう言って、ロイ君は諦めたような溜息を吐いてレイ君の頭を撫でている。
私は向かいのソファーに座り、呆然とそんな2人を眺めている。
良かった…失敗してなくて、治ってくれて、上手く頭が回らないけれど、とりあえず色々、本当によかった……。
そう安心したら一気に倒れそうになったけれど、出しておいたファンタジー水をがぶ飲みして何とか持ち堪えた。
これは先に出しておいて本当に正解。魔力回路を治すような魔法を使うと、本当に魔力がギリギリになってしまう。
そんな状況で、[貯金]から何かを出せる感じは全くしない。
そんなギリギリの感覚を思い出して私が息を吐いていると、レイ君の頭を撫でたままのロイ君がこちらを向いた。
「ユリエ様、ご無理を強いたようで申し訳ありませんでした」
「大丈夫。もう魔力も戻ってるから。それよりロイ君は大丈夫?」
「まだ少し酔っているだけなので、心配はいりません。ご安心下さい」
ああ、一気に取り込むと酔うって魔王様言ってたな。
そして色気と共に酔ってたな。
「しんどくない?平気?」
「問題ありません。急に魔力回路が治って、一気に魔素を取り込んでしまいましたが、酔う程度で済んでいます。しかし、見えて初めて分かりましたが、何ですかその馬鹿みたいに濃い魔素水。想像以上です。屈辱です」
「屈辱…」
「後、ユリエ様の魔法が、僕の隙を突いた感じで入ってきた事も屈辱でした」
「す、すいません…」
私がそう謝るとロイ君は薄く笑う。
「けれど、とても綺麗な魔力で驚いた。今なら、ユリエ様を無条件で信用したレイの意見にも頷けます」
ロイ君は大きく呼吸して、レイ君を撫でながらぼんやりと正面を見詰めている。
その姿は何の無理もなくしっかりとそこにあって、ああ、ちゃんと治ったんだな、安心していいんだな、そう思える柔らかい雰囲気に包まれている事に、漸くじわじわと喜びが湧いてくる。
「……少し、眠ってもいいですか?」
「うん、ゆっくり眠って」
うつらうつらと睫毛を揺らし、そう尋ねたロイ君に私は笑顔を向けて立ち上がり、書類でも片付けようかと手を伸ばすと、後ろから眠りに落ちる途中の小さな声が聞こえた。
「ユリエ様、ありがとう…」
振り向くと、眠っているロイ君の上で、泣き疲れたレイ君が眠っている。
微笑ましいその光景を少しだけ眺めた後、何か掛けてあげられる毛布とかあればよかったな、と思いながら私は残りの書類を片付けた。




