68 魔法を使って
何とか魔国の総務長に合格点を貰えたらしい私は、今ロイ君の部屋で書類をさばいている。
このアナログ作業は懐かしい。パソコン入力になってから長らく使ってない頭の筋肉。そしてさっきしこたま頭を使ったので、書類を片付ける事すらリフレッシュになっている。
仕事がリフレッシュなんて、正しく新鮮な感覚である。
「これ計算終わった書類、種分けしたけどどこに置く?」
「後ろの棚に、今月の種別で別れた束があるので、そこにお願いします」
「了解」
私はソファーで書類を処理し、終われば棚へ、ロイ君は机で作業している。
そして書類を処理していると、少しだけ世界が見えてくる。魔国がどんな国か、食料事情や物流で、何が多くて何が足りないのか。
魔国は土地はあるけれど、“魔物の領域”と呼ばれる場所に大半を占められてしまっている。
魔物の領域には多くの魔素泉が常に湧き続け、とても魔物が多く、結界がなければ魔物が外に溢れ出てしまう。
魔王様が結界を張っているのはこの為だ。
魔王様は街だけではなく、魔物の領域にとても強い結界を張っている。それは魔物の領域を広げない為の物で、魔物が多く湧く領域から、魔物を外へ出さないようにする為の物。
そしてそんな結界を守るのが、軍部の主な仕事になる。
なので軍部では、“遠征隊”と呼ばれる特別な部隊を作り、常に魔物の領域で鎮圧活動を行っている。
結界は街にも張られているけれど、街と町の間でも、魔物の領域よりは少なくても魔素泉は湧く。なので、そんな街の外の魔物を倒したり、魔素泉を浄化したり、それを生業に市井の生活基準ですら戦う事に傾倒している。
魔族が強さに拘る理由にも頷ける環境だ。
食料事情に関しては、農地はほぼなく、常時肉以外の食料不足。
働き手はなくはないけれど、まず土壌が農地に適していないのでそもそも農業が出来ないし、農地を作っても魔素泉が湧いてしまう。
結界に覆われた土地には限界があるのだし、そんな中に広大な農地を確保するのは難しい。
なので、食料に関しては精霊国に農産物や調味料のほぼ全てを賄って貰っていて、その代わりに魔素の多い魔国で産出される、薬草や魔鉱石、特殊金属や魔物の素材なんかを卸している。
魔物はこの国では資源の一つだ。
でも、食料を他国に依存し過ぎているのは問題だ。
命を握られているのと同じに感じる…。
なら、まず改善するなら土壌開発か…厳しい環境で生き抜ける品種改良か……。
そう考えて書類をさばく手を止める。
あ、駄目だ、頭が考えるスイッチが入ってしまっている。でもこれ考えるの今じゃない。
ちょっと休憩しなければ。
そう一息ついて視線を上げると、私の目の前にあるソファーには、レイ君が横になった状態で見事に膨れている。
膨れながら、書類をさばく私をジトッとした目で見ている。
可愛いほっぺがパンパンだ。
プニッと押したい。
「レイ君、まだご機嫌斜め?」
「いいですよ!バカに話しかけなくても!」
「お菓子作ってあげようか。クッキーとか」
「もう!そんな子供騙しレイには通じませんよ!」
「あ、僕は欲しいです」
「もう!!!」
レイも欲しいです!と言って、レイ君は再びソファーに埋もれる。
ロイ君の本当に本当だけの自己紹介に、最後まで気付けなかったレイ君は、私とロイ君の関係を心底心配していたようで、それがしれっと仲良くなった事に複雑な気持ちを消化しきれないらしい。
確かに、引っ掛け問題のようなあれがただの自己紹介だとは流石に思えないけれど、私にも必要な事だったのだと思うから何とも言えない。
けど、レイ君は大事な弟と私が上手く行かないのは嫌だっただろうし、悪い事したな、と思っていると、ロイ君がレイ君のソファーの横へしゃがんで、レイ君の膨れたほっぺをブニッと潰した。
「レイ、ユリエ様を試してごめんね?嫌だったね」
あ、やっぱり試してたよね。恐ろしい子。
「……ロイは、ユリエ様、好きなんだよね…?」
「うん。好きになったね」
「ユリエ様は、ロイの事好きですか?」
「好きだよ?」
「魔王様は?」
「す…きですよ」
と言って私は息を吐いた。レイ君は本当に恋愛事情が好きだな。
そんな事に苦笑すると、レイ君はヘヘっと笑ってソファーから起き上がり、ドアを開けて振り向いた。
「お昼とってきます!レイのお腹がお昼だと言っているので!」
そう言って走っていったレイ君に続くように、昼の鐘が遠くで鳴った。
レイ君の腹時計も見事な仕事をしている。
そんなレイ君が走っていった方を、ロイ君が静かに見ている。
鳴り終わった鐘の余韻が聞こえそうな程静かになった部屋の中で、ロイ君が立ち上がったその動きで布の擦れた音がやけに大きく聞こえた。
「ユリエ様、先ほどは試すような真似をして申し訳ありませんでした。奴隷に関してはお忘れ下さい。必要な説明でしたが、ユリエ様には不要な情報です」
「…必要な情報だったよ。理解が行き着かなくて申し訳ないけど…」
「そこまで望んではおりません」
そう薄く笑ったロイ君を私は見ている。
レイ君が居なくなって、一気に薄くなったロイ君の存在が、とても、とても気薄に見えて、私は目を離す事が出来ない。
この感覚を、私は良く知っている。
この存在の乱れたような薄さ…私も、魔王様もなったあれに似ている……。
魔力回路を乱された、消えそうになるあの恐ろしい現象……。
そんな感覚に冷えた思考で、どうしても目が離せない私をロイ君が見ている。
その視線さえ、合っているのか分からなくて指先が冷える……。
「レイが居る時は頑張っているので。ユリエ様は今、僕に違和感がおありでしょうね」
「正直、消えそうで怖い…」
「それが魔力回路が脆弱な生物の見え方です。意識が行きにくい、と言うより、存在を気に留めない程度、と言った方が正しいでしょうか。魔素に大きく乱されるのと似ています」
変な汗が浮かぶ。
ロイ君が私に何かを伝えようとしている。その内容を知るのが少し怖くて、私は次の言葉を出せずにいる。
「ユリエ様」
そんな私を正面から見据え、窓から差す光と影の中にいるロイ君が、私に微笑んだ。
「僕に、ユリエ様の魔法を使って頂けませんか?」
私は息をのんだ。返事が返せない。
だってそれは…
「話はレイから全て聞いています。魔王様の魔力回路を整えるのに、魔素水を介して魔法をお使いになると。その魔法をその方法で使った場合、どうなるのか。上手く効くのか、問題はないのか、あるなら何か。僕でお試しなって下さい」
「でもそれは……」
私は言い淀む、正直、嫌だとすら思っている。
だってこれは…
「奴隷時代の実験みたい、ですか?」
私の思考を口にしたロイ君は、ずっと薄く笑っていて、そんなロイ君に自分の眉が険しく寄る。
ロイ君の言いたい事は分かる。このお城の人達は、とても魔王様を大切にするから……。
けれど、その為に、犠牲のような献身は納得できない。
ただ治すなら頷けたのに、検証しろと言われたそれは人体実験だ。
必要な事かも知れない、でももっと他の方法で検証出来るかも知れない。でも、誰に。そう思うと、嫌だと言いたいけど言えなくて、口を結ぶ事しか出来ない私に、ロイ君が少し困ったように笑う。
「大丈夫ですよ、もうずっと昔の話です…と、言いたい所ですが、確かに僕は、今もあの時に囚われている。だからこの提案も、とても嫌だと思っています」
「じゃあ……」
やめよう、と発した私の言葉は最後まで聞いて貰えない。
ロイ君が更に困った顔で、首を横に振って言葉を遮ったからだ。
「そう言った意味で、僕はとてもいい人材なのです。何せ拒絶する反応があるのですから、魔王様の魔法を掻い潜る実験にもなるでしょう」
「………」
「ユリエ様、魔力回路に染みつくイメージとは、とても厄介な物なのです。だから必ず一度で成功させなければならない。ですから、この実験はとても有益なものになる」
「…一度で、成功させないといけない、理由は…?」
「魔力回路とは厄介なもので、本人の強い思いや、自分はこうだと思うイメージが、魔力回路で作用し続ける。魔王様の制御できない乱れはそれです。 僕らのような長命種が、一度魔力回路に染みついたそれは最早最初からそうあった、と言ってもいい程に染み付く。 魔王様に使う方法がもし失敗すれば、そんなイメージがまた魔王様に付くかも知れない…。そうなれば、他に手がなくなるかも知れません」
それは…分かる、言ってる事は……。
でも、そこじゃないでしょう?
私は人体実験みたいな事はしたくない…。でもそれが言えない……。
この件に関する理詰めはずるい…。
私の顔が更に険しくなって、ロイ君が小さく息を吐いた。
「僕の場合は分かりやすい。魔力回路を実験と称して酷使され続け、魔力回路が疲弊し、戻れないイメージが強くついた。今は、そんな自分のイメージに自分が壊され続けている。それが楽しい訳ではないので、嫌な思いのある実験と言えど、やりたくない事もありません」
そうかも知れないけれど、とまだ納得の出来ない私は何も言えずにソファーに座った足元を見ている。
ロイ君はそんな私の横にゆっくりと座り、険しさのとれない私を覗き込む。
「ユリエ様の魔法が上手く効くなら、その方法が有効なら、魔力回路の癖や乱れが本当に整うならば、僕の魔力回路は戻る筈です。それは僕にも益があります。上手く効かなくても、失敗しても、純粋な魔王様と違って僕は捻くれているので、次回が効きますので大丈夫です」
「……」
「それに僕の体は小さい。魔力も魔王様のように多くはありません。治す為に必要な魔素水も、そう多くはかからないでしょう」
ロイ君の言っている内容は、魔王様を、王を治療すると言った点に置いてはとても正しく、やはり何も言えない事でしか意見できない私に、ロイ君は視線を外して正面を見た。
視界の端にあるその横顔は、透けるように落ち着いていて、消えそうな儚さの中に、それでも信念のような存在感があった。
「ユリエ様…僕は弱い。長らくユリエ様にお会いする事を僕は避けておりました。それは僕が弱く、人族に会うのが怖かったからです…。魔族の癖に魔法を使えず、身体は言う事を聞かない。存在を保つだけで精一杯で、こんな紙の山を盾に、劣等感から隠れている……。でも、弱い僕でも、魔王様のお役に立ちたい。お願い、できませんか?」
そう言って、もう一度私を見たロイ君は困ったように笑っている。
言いたくない事まで言わせて、これでは私が我儘を言って困らせているだけのよう。
「ずるい…」
「僕はずるい子です」
「泣いていい?」
「それは困ります」
困ると言ってロイ君はふふ、と笑う。
私は、レイ君早く帰って来てロイ君止めてくれないかな、と思っていた思考をとりあえず止めて、そのロイ君の覚悟に大きく息を吐いて腹を括った。




