59 ファンタジー水
魔王様が出した光の渦に手を入れると手首が消えた。
ああ、これもしかして、収納魔法ってやつですね?
異世界で定番の収納魔法、使う予定はないけどちょっと…いや、結構羨ましいと思いながら見ている私の前で、魔王様がその光の中を探るように腕を動かすと、大きめで程よく装飾の施された、白っぽい半透明の綺麗な蓋付きの水瓶が出て来た。
「これならば外の魔素の影響を受けずに保管できる」
「綺麗ですね。少し結界石に似てる」
「うむ。結界石を使って作られた物だ、持っていてよかった」
でも、結構大きいな。
これに手で水を掬って入れていくの?
その水瓶は立っている私の腰より高く、横も私の胴よりとても大きい。
そんな大きさに思わず自分の手を見てしまう。
何回掬うんだこれ。
とりあえずやらなきゃ終わらないので、その綺麗な水瓶の蓋を開けて地面に置き、当たり前かのように私が泉に手を入れた瞬間に魔王様が慌てた。
「ユリエ!?その…もしかして何度も手を…ずっと手で!?」
「だって他に方法がなさそうなので」
「ま…待って欲しい、いくら平気だと分かっていても、その…耐えられそうにない。心臓が保たない」
「でも…」
掬わねば満たせぬ。そう困った顔を返した私に、分かった、分かったから、と魔王様は私が泉に手を入れるのを制して泉に向かう。
私の横に立った魔王様が泉にその手を向けて、集中が深まったのか少し眉を寄せた魔王様の瞳が光る。
すると泉の水が湖面から水瓶一杯分程、不安定な球体になって浮かび上がり、ふよふよ宙に浮いている。
「おお!凄い!」
「…この泉は、流石に、難しい。…形が、上手く保てないな…」
魔王様は言葉は返してくれるけれど、不安定なその水を顔を顰めて睨むように見ている。
そうか、水みたいに見えるけど、ここの水は凝縮された魔素なんだ。
圧縮された空気の中で空気の丸を形にするようなものなのかな…それは…魔王様どうやってるんだろう。やっぱり魔王様はすごい。
「魔王様かっこいい」
私が呟いた瞬間に、その不安定な球体はドバッと崩れ、絹を擦るような音と共に泉に還った。
そんな光景に横を見上げると、少し赤くなった魔王様が複雑そうに眉をハの字にして私を見ている。
「…ユリエ…とても集中力が要るのだ」
「…すいません」
そんな困った顔の魔王様がもう一度先程と同じように球体を作ると、それはさっきよりも形になっている気がするので、すごい、と言いそうになったのを我慢する。
集中力。
「私が、汲み上げるから、ユリエは、水瓶に入れる時に、魔法を、使って、欲しい」
「分かりました」
しっかり魔法を思い浮べながら両手を掬う形で水瓶の上に出すと、水瓶の真上に来た球体から一本の筋が流れて来て、私の手に溜まっては指の隙間から水瓶に落ちて行く。
確かに、触れる時間が長いと集中力が要るかも…。
魔法を使いながら、手から零れて行く水の感覚だけが続く。
水瓶に水が落ちれば音がしそうなものなのに、微かにサラサラと絹が擦れた音だけが続いていて、音だけを拾って聞くと、やはりこれは水ではなく、魔素で、ファンタジーな水なんだと変に再確認してしまう。
長いような短いような集中の中で、手から零れる水の感覚がなくなって閉じていた目を開けると、水瓶はファンタジー水で一杯になっていた。
そして視線を上げた目の前には、少し俯き加減の、さっきよりも疲れた様子の魔王様がいる。
やはり、これは、飲んで貰わなくては。
「魔王様、ファンタジー水飲みましょう」
「ふぁんたじーすい?」
「コップ、何かないですか?」
「え…ユリエ?まさか…」
私が頂戴、と言う意思で手を出すと、魔王様は一度本気で?みたいな顔をしたけれど、諦めたように収納魔法から透明なワイングラスを出してくれる。
しかしこの水を飲むのなら注意が必要だ。魔力を摂り過ぎると体に悪い。むしろ魔力過多を起こしてしまう事になる。
飲んで貰うなら細心の注意が必要だ。
自分の魔力量はもう分かる。物なんかも触れたりするとよく分かる。でも、魔王様には今どれだけ魔力が足りないんだろう…。
触れられたら分かるかも知れないけれど、まだ触れられないもんな…。
魔力量と言えば、以前レイ君は相手の魔力が見えると言っていた。強くなれば見えるとも言っていたし、魔法、結構頑張って来たし、そろそろそう言うの、少しくらい見えてもいいんじゃないでしょうか。
と【生活魔法様】を意識しながら魔力の量が知りたいと魔王様を見ていると、何だか薄っすら魔力量が分かる気がする。
んんん…このぼんやりしたやつが魔力なんだろうか…?
目を細めて見るそこには、いつも魔王様との距離を知る時と感覚が似ているけれど、それよりももっと漠然とした、光の量を感じるような物が見える…気がする。
何と言うか、見えにくいと言うか、もっと強く輝けるのに、今はエネルギーが少なくて上手く光れない光的な何か。
それでも分かる。その光の具合と、もっと光れる筈の差みたいな分量。
何でだろうと考えて、あ、と気付いた。
[算術]スキル!
さすが【生活魔法様】、と頷いて、そのグラスに水瓶のファンタジー水を掬い入れる。
薄っすらなので確実ではない気もするけれど、とても多いと言っていただけあって魔王様の魔力の量はとても多い。
でも、自分の量とそんなに変わらない気もする…。
やっぱり減ってる状態だとそう言う感じになるんだろうか。
少し不安なのでちょっと少なめにしておこう。
足りなかったら足せばいいのだし。
そう頷いて、これくらいなら平気だろうって量のファンタジー水を掬ったグラスを魔王様に渡すと、難しい顔をしながらも魔王様は受け取って、はくれた。
けれど、持て余すように自分の手に持つグラスを眺めている。
「大丈夫、本当に美味しいですよ」
「そこではないのだが…」
美味しいよ、と勧めた私に、困った顔の魔王様が私を見る。
あ、うん。そうだった。美味しいから飲むのは大丈夫だろうって思ってたけど、触れたら駄目な水なんだから、飲めと言われても抵抗あるよね…。
「これは魔素水ですよ。お城でも使われてる魔素水の、ちょっと濃いやつってだけです。量もちゃんと計りましたし、私も飲みましたよ?」
やはりまだ抵抗があるのだろうかと心配しながら魔王様を見ていると、小さく息を吐いた魔王様が再びグラスに視線を落とした。
「いや…何というか、自分の液体を飲むようで少し…」
「……。それは…確かに、そう言われると…」
「…いや、だが、そうだな。これは魔素水。ただの魔素水だ」
うむ、と物凄く難しい顔をしながらも頷いた魔王様が、意を決したようにグラスに口をつけ、グイッと勢いよくその中身を一気にあおる。
そう仰向いたまま、空になったグラスを離した魔王様の口から、は、と熱い息を吐いたような艶のある息が漏れて、その声で私の背筋を何かが走った。
何だ…今の声。
上を向いていた魔王様が深く息を吐くように顔を下げたそこには、照れた時とはまた違う、少し火照った肌の、流すように細められた睫毛の内側に、蒼い瞳を潤ませる魔王様がいる。
そして顔を上げたそこにサラリと流れた銀の髪が、形の良い唇を滑ってまた熱い息が漏れる。
わぁ……これは…駄目だ。色気が酷い。
ファンタジー水を飲んでる所を見てるだけなのに、何やらとてもいけない事をしてる気持ちになる。
これ、精神魔法なんじゃないだろうか……。
じわじわ熱くなった顔を冷ますように、正しくは隠すように、両手で自分の顔をゆっくり覆う。
これが魔王様の実力か…何て恐ろしい…。
「あ、あの……」
「これは…ユリエの魔力も感じる…そして確かに美味い…美味いが…少し、一気に魔力を摂り過ぎたせいか、浮いたような気分だ…」
「なるほど。それは、その、大丈夫なんですよね?」
「減った状態から一気に魔力を取り込むと、多少酔う事がある。自分の容量を超えた魔力の摂取でも、度が過ぎなければ大丈夫だ。酔う程度で済む」
酔う。なるほど。確かに。そんな感じだ。
その凄まじい色気の正体は、魔力を一気に摂り過ぎて酔っている。と言う事ですね。
理解しました。以後、しこたま気を付けます。
「魔王様?」
「…なんだ?」
「これから人前でこの水は飲まないように。後、魔力も一気に摂り過ぎないように」
「? 分かった」
そう注意した艶々しい魔王様はしばらくすると治まった。治まってくれて本当に良かった。
通常でも破格に綺麗なのに、そこに色気を足されたら今度は私の心臓が保たない所だった。
けれど、魔王様はその美味しさをお気に召してしまい、また少しなら飲んでもいいだろうかと言っていたので、きっと私はまたいつかこの色気と戦う日が来る予感を感じながら、人前でないのなら、と頷いた。
その後しっかり回復した魔王様は、なんと泉の水をもう少し採っていこうと言い出した。
かなり美味しかったらしいし、その気持ちは分かる。
私としては、魔王様が【死の泉】に良いイメージを持ってくれた事や、『生き物に触れると壊れる』イメージから少しでも離れてくれるのは嬉しいし、今後必要になるのだからその提案は有難い。
だが、魔王様がまた飲む。
またあのお色気バージョンになるのだと思うと、何とも言い難い葛藤に苛まれるが、採らないと言う選択肢はない。
覚悟を決めて、沢山とりましょう。と頷いた私にご機嫌な魔王様がいくつか取り出したさっきと同じ水瓶に、再びさっきの作業を繰り返す。
そして疲れてきたらファンタジー水を少し飲む。
魔王様が飲む分量には細心の注意を払った。[算術]が仕事をしてくれて本当に助かった。
私は飲んでも酔ったようにはならないのを不思議に思っていると、そんな疑問には魔王様が説明をくれる。
どうやらスキルやユニークスキルは、魔力がなくならない限り、使わない選択を意識しないと体に異常を感じて勝手に発動するらしい。
要は危機察知でオート【生活魔法様】状態だ。
最強か。
でも飲み過ぎはやはり駄目だと強く釘を刺された。そんなに私が飲む印象が強いのだろうか…私は魔王様が飲む印象の方が格段に強いのだけど。
結果ファンタジー水を飲みながら、10壺もファンタジー水が入った水瓶を作って、私達はようやく作業を終えた。
目の前に並ぶ水瓶に光が当たって、落ちた影の中に薄い水色がキラキラしていてとても綺麗。中身は魔王様の魔力回路を治すのに必要なファンタジー水。手に入ったのがとても嬉しい。
そんな満足感を醸し出す水瓶に私が触れると、触れた水瓶がスカッと消えた。
「えっ!?」
水瓶どこいった?!
そう慌てて隣に居る魔王様を見ると、魔王様はとても落ち着いている。
何故。
「魔王様、水瓶が消えた…」
「うむ。見た」
「どこに行ったんですか?!」
「? ユリエが収めたのだろう?」
「え? どこに??」
何をどうやってどこに収めると言うのか。
そう私が困惑していると、魔王様が何かに気付いたように頷いて見せた。
何に頷いてるの?
「ユリエ。ユニークスキルと言うのは基本過剰性能なのだ」
「過剰性能ですか」
「そうだ。例えばユリエの[語学]は『文字・言語を理解できる』だったな?」
「はい」
「だが、理解する事と使える事は違う筈だ」
「ああ。確かに」
なるほど。
私が思う以上に、そして言葉以上に、ユニークスキルと言うのは多様性があると言う事なのか。
しかし、それが水瓶が消えた件とどう関係が…?【生活魔法様】にそんな内容あっただろうか…。
「ユリエは[貯金]を使ったのではないか?」
「え、ええぇぇ……?」
「この水瓶は結界石で作られている。結界石はこの国で採れる鉱石。『金属』だ」
「金…属…金…貯金…金を貯める。金属を貯める??え!?何かやだ。どこに貯まったの!?」
思わず腹を押さえてしまった。
そんな私を見て魔王様が楽しそうに声を出して笑っている。
いや、そこは笑ったら駄目な所だと思うんですけど?そこでこそ破廉恥使うべきでしょう!?
私が少しムスッとすると、魔王様はすまない、と言って耐えるように笑う。
まだ笑ってるんですけど!?
「お…おそらく収納魔法と同じ筈だ。貯金のスキルを意識すると、その意識の中に所有している内容が分かると思うのだが……」
そうまだ少し笑っている魔王様に頷いて、目を閉じてしっかりと[貯金]スキルを意識すると、その意識の中に空間が見える。そしてその中に、ポツンとさっきの水瓶が小さく見えた。
「…あ、なるほど、確かに、頭の中って言うか、思った中に水瓶がありますね」
「その存在を、今度は目の前に移すように意識を向ける」
「あ、できた」
魔王様の説明に従って集中すると、空間の中にあった水瓶が消えて、目を開くとその目の前に水瓶が現れている。
中身を確認すると入っていたので安心した。腹に溜まってなくて本当に良かった。
収納の原理で言うならば、慣れてくると目視できる範囲の中で出す場所を指定できるようになるのだと魔王様は教えてくれた。
出す場所。
頭上とか笑えないな、と思ったので気を付けよう。
「中身も一緒に収まるんですね」
「そこは試した方がいいかも知れん。この水瓶の中は魔素水、いわば魔素だ。空気と同じような扱いだった可能性もある」
「なるほど」
ならば試してみようと、魔王様が出してくれた沢山本の入った大きな金属の箱を私が収納してみると、驚く事にそのまま収まった。そして出してみると中身もちゃんとあった。
これは…もしや…収納魔法を使えると言っても過言ではないのでは…!?
え、普通に嬉しい!
異世界に来て、異世界っぽい魔法を使ったのは初めてなんじゃないだろうか!
だって収納魔法だ!定番の!ちゃんとしたやつ!
あ、いや、ちゃんとは…してないかも知れない…。金属の箱に入れないといけないし…魔王様の収納魔法みたいに白いうずうずとか魔法っぽい効果もないし……それに、金属の箱に入れないといけないなら、家具を移動させたりは出来ないし、掃除にはあんまり役に立たないのかも知れないな……。
んん…でも、金属の箪笥作って、そこを魔法収納箪笥として使えるのは、服とか整理ができていいかも知れない。
いや、けど金属の引き出しとか私開けられるのか?金属の蓋もだ。
私がそんな使い道を考えていると、とても優しい笑顔を浮かべる魔王様に見守られていた。
「………すいません。ちょっと使い方に没頭してしまいました」
「いや、ユリエを見ているのは楽しい。嬉しそうにしたり、ガッカリしたり、また嬉しそうにしたり。とても愛しい」
「!?」
ふっ不意打ち!!
顔が一気に熱くなる。いつもは何でも照れる癖に、何でそう言う事はサラッと言えるの?!
私が真っ赤になっているであろう顔で反応を返せずにいると、自分の発言に気付いた魔王様が少し頬を赤らめて、その綺麗な目を細めて笑う。
「そう想う事を許されているのも嬉しい。ユリエが側に居るのが嬉しい。こんな想いをくれたユリエがとても愛しい」
「…あ……あの…わ、私も…嬉しい、です…よ」
照れたから引くのかと思ったのに押してきた。
むしろグイグイ押してきた。
確かにそう言って貰えて嬉しいのだけど、そのとても嬉しそうに輝かせた綺麗な笑顔で迫られると、照れない方がおかしい訳であって、だから、ちょっと、この辺で……。
ゆ、湯気が出そう…っ。
と、照れて顔を覆った私を嬉しそうに見ているご機嫌な魔王様との距離は20センチ。
そんな様子に慌てて話題を変える。
何か魔王様がずっとこの調子だと、色気まで出て来そうな気がしたのだ。そうなれば私が照れ熱で死んでしまう。
「ゆ、ユニークスキルって便利ですけど難しいですね。まさか貯金で収納できるとは思ってもみませんでした」
顔から手を下ろし、熱を逃がす様に息を吐いた私に、嬉しそうに笑っていた魔王様が目を伏せるように頷いた。
「ユニークスキルはとても強力だ。故に、その全貌を知る事も、制御も、とても難しい。思っても望んでもいない事でも、発動してしまう事がある……。きっと私も、そうやってこの恐ろしい魔法を創ったのだな…」
「魔王様…」
魔王様は苦しそうに笑った。けれど、いつものような耐える物ではなく、それを受け止めるように胸に手を当て、その苦しさに笑ってから、切り替えるように息を吐いた。
「ユリエには怖い思いをさせてしまったが…ここへ来て、逃げていた事に向き合う事ができた。はっきり分かったのだ。私の魔力回路にどんな魔法が存在しているのか…」
「うん…」
「乱れてしまった魔力回路を治す事は私には出来ない。だが、ユリエが治してくれた暁には必ず…」
魔王様は胸に当てていた自分のその手を見詰め、その手を強く握って私を見る。
とても優しく、そして強さを持って笑う魔王様は、とても純粋なものだけでできているようで、その笑顔は凄く綺麗だった。
「必ず制御してみせる。ありがとう、ユリエ」
その苦しさを受け止めて魔王様は笑う。
ああ、やっぱり強いのだと思った。
弱さや苦しさを受け止める強さ。逃げたくなる心を留める強さ。その支えになれたらいい、心から思う。
好きだな、純粋にそう思えた。
「魔王様、好きです」
私も愛しくなったので笑顔で素直にそう言うと、魔王様はボンっと音がする程真っ赤になった。
言うのはいいけど、言われると弱い。
でも、やっぱり魔王様は照れてるくらいが落ち着いてしまう。
そしてそんな所も好きだなって思った。




