58 0センチ?
動けない。でも動かなくては。
目の前の光景に焦りが手を震わせる。
魔王様はそこに居るのに、その姿は瞬き一つで見失いそうな気さえする。
体の中で暴れる恐怖を必死に抑え、私は魔王様から目を離さない。離せば、魔王様が消えてしまう気がした。
魔王様の姿が、存在が、零れるように歪んでいる。
その姿が認識できない。見えているのに見えない。霧が掛かったように、けれど霧などなく、存在がある事は分かるのに、姿がある事も分かるのに、捉えられない魔王様の姿に頭が痺れるような焦りが湧く。
嫌だ。
怖い。とても怖い。
でも動け。考えろ、集中しろ。
繋ぎ留めろ。
「魔王様、聞いて」
「……」
「魔王様、私の魔法を、覚えていますか?」
「……」
大丈夫、まだ大丈夫。返事はない、けど魔王様は私を見ている。
「私の魔法は、作った物に願いを込める。それが、どう言う事か分かりますか?」
「……」
「私が、この泉に、『世界よ滅びろ』と願ったら、どうなるか、分かりますか」
私は、輝く泉を背にその恐ろしい言葉を口にした。
「……それは…」
声が返って来た。泣きそうになる。
けど魔王様の姿はまだ揺れている。
私の手は震え、足も感覚が薄く、立っているのかも分からない。魔王様を失いそうで、そして、自分の言葉に心が壊れそうな恐怖を感じている。
「そんな恐ろしい選択肢が、私にはある。でも、私はそんな事は願わない」
「……」
「恐ろしい選択肢を持ってるのは怖い。でも、選ぶのは自分です。 魔王様はその創り出した魔法を、私に使いたいと思いますか?」
その質問で魔王様と目が合った。
「思う訳がない!!」
ワッと何かが弾けて魔王様が見えた。
何の揺らぎもなく、いつものように銀の髪を揺らし、険しい顔でそこに立って、私を見てから一歩、しっかりと私に近付いた魔王様が居る。
「…それが、本当の心じゃないですか…」
そう言葉にして 泣いた。
怖かった。
ちゃんと魔王様が居た。揺らいで、見えなくて、消えそうで怖かった魔王様がそこに居る。そして、泣いた私を見て慌てて駆け寄って来た。
「ゆっ…ユリエ、す、すまない、私は」
「酷い…失うかと思った…消えようとした…」
「ユリエ……」
「待ってるって言ったのに…置いて行こうとした…」
しゃがんだ膝に顔を埋めて泣く私に、魔王様が困ったように私の前に膝を突く。
困ってるけど許さない。酷い。凄い怖かった。
そんな私をふわりと布が包む。
魔王様のマントだ。
悔しい、いい匂いがする…。
その包んだマントを私の前で握っている魔王様が、私を覗くようにその困った顔を近付けた。
「すまない、怖い思いをさせてしまった…まさかここまで油断するとは思っていなかった」
「………何に」
「この泉の魔素の乱れだ。もう今は魔力を張っているので大丈夫。呼び戻してくれてありがとう、ユリエ…」
「……」
ムスッとした顔をしている自覚はある。けどその乱れは知っている。くらった事がある。
ネガティブの隙を突かれるあれだ。知っているから一応顔は上げるけれど、私はまだ怒っている。
「私は怒っています」
「そうだな、私が悪かった」
「賠償を請求します。魔王様はそこから動いたら駄目」
「う、うむ…分かった……?」
私がムスッとした顔のままそう言うと、私が何をする気か分からない魔王様が緊張したように頷いた。
私はそれを確認し、もう一度顔を伏せる。
伏せて、目を閉じると魔王様のマントが頬に触れる感触が気持ちいい。そしてそのマントを握る魔王様の手に、私の髪が少し掛かったのが分かる。
そんな少しの事だけど、ちょっとだけ触れてる気がして笑みが零れる。
「ゆ…ユリエ?何をしている?」
その触れた髪の感覚に、魔王様の体温が上がっていくのが分かる。照れながらも私を窺っている魔王様の前で、私はマントに顔を埋めたまま存分に息を吸った。
「ふふ…いい匂い」
「なっ!!?」
ふふふ、破廉恥な事をしてやったわ。
その状況を堪能し、機嫌が直った私が顔を上げると、少し頬は赤いけれど落ち着いている魔王様が、結界石に魔力を注いだ時に取ったままの、その手袋をしていない自分の片手に掛かっている私の髪を不思議そうに見詰めている。
そして私が顔を上げ、その手から流れて去った私の髪を追って魔王様の視線と目が合った。
「触れましたね」
「…触れていた」
「壊れませんでしたね」
「壊れなかった……しかし…髪は」
ああ、魔王様は髪を無機物だと思っているのかな。
確かに髪だけじゃ動かないもんな。
「魔王様?髪は有機物ですよ」
「ん?」
「生き物の一部です」
「え…」
キョトンとした顔の魔王様が、笑った私を見て、でも…とまだ理解できていないように私の言葉を待っている。
「やっぱりイメージなんですね。魔法」
「…それは」
「使わない選択肢、選べますね」
「…!」
マントを握る手が強くなって、魔王様は唖然とした中に沢山の感情を込めて私をじっと見詰めている。
触れられる。
魔法さえ分かれば。
魔力回路さえ治せば。
選択肢は選べる。
制御は出来る。
「魔王様の魔力回路にある乱れは私が治してみせます。だから、魔王様は沢山練習しましょう?使いたくない魔法を制御するイメージ」
「ユリエ…」
「約束」
「…覚えているよ」
約束、その言葉に魔王様は柔らかく笑う。
綺麗だな。魔王様は笑ってる方が似合う。
そんな魔王様との距離は…0センチ?
とりあえず少し休憩しようと魔王様と3センチに凭れてお話する。
さっきの姿が歪む怖いのは何かと尋ねたら、【死の泉】の周辺は空気中の魔素の乱れが多く、大きな隙を見せると魔力回路が乱されて姿まで歪むらしい。
分解一歩手前だ。怖い。
そして以前私もなったらしい。
マジか。
「あ、分かった。最初の夜、魔王様と話してから気を失う前の事だ」
「うむ。あの時は肝が冷えた。また壊してしまうのかと思った」
そう言って大きく溜息を吐いた魔王様は、眉を困らせて泉を見ている。
魔王様から意識せずに零れた『また壊す』と言う言葉。それはきっと、魔王様のトラウマを作った話に繋がるんだろうけど、今そこまで踏み込んでいいんだろうか…。
そんな思いで隣を見ると、魔王様は少しボーっとしている感じがする。気が抜けていると言うか、結構疲れてるのかも知れない。
姿が歪んだ後は私も気を失う程に疲弊したのだ。なら、いくら魔王様だって疲れてるだろう。
うん。ここはトラウマには触れず、また今度にした方がいいんじゃないかな…。
「やっぱり魔力を失うと駄目なんですね。半分切ると吐き気がしますもんね」
「そうだな。一気に魔力を失うと負担が多い。半分程度なら吐き気、それを過ぎれば気を失ってしまう」
「体の防御反応ですね。魔王様は今大丈夫ですか?」
「うむ。ここまで魔力を削がれたのは久方ぶりだが、まだ半分は切ってはいない。平気だ」
話題を変えても気付いてないし、平気と言う割にはやはりボーっとしている魔王様。
魔力を一気に失うと負担が多いならやはり疲れてるんだろうな…。
魔力消費して吐き気がする時はしばらくしたら戻るけど、戻るまで結構時間かかる。
けど、そんな辛さも魔力を補充すれば治るんだろうな。
魔力か、と思って見ている目の前には【死の泉】。
魔力の元である魔素の塊。
「………。魔王様、何か水を入れられる物って持ってません?」
「ん?………まさか」
私が訪ねた質問に、魔王様はそこにはしっかりと気付いた。
「皆に欲しいってお願いもされているので」
「…あ、ある…あるが……」
まだイメージの拭いきれない魔王様が渋っている。
でも、とりあえず飲まないにしても、少しでも手に入れてはおきたい。
まだ確証はないし、本人に変な期待をさせるのは怖いから言えないけれど、魔王様を治す為に【死の泉】の魔素水は必須アイテム。
少しでも手に入れて、ちゃんと使えるか調べたい。
なのでどうにか首を縦に振らせたい。
そして出来れば、魔王様の【死の泉】に共感するイメージを逆に利用して、【死の泉】のイメージアップキャンペーンを図りたい所だ。
「魔道具やお野菜なんかにも使えるみたいですよ?」
「…うむ、でも」
「お薬も作れますよ?」
「しかし…」
「私もお掃除道具できて嬉しいなー」
「掃除…どのような?」
渋い顔の魔王様は掃除に食いついた。
そうだ、魔王様はお掃除仲間。
私は熱意を込めて話した。洗剤要らずのクリーナが出来るんじゃないかと言う事、お洗濯が楽になるだろう事、拭いただけで綺麗になる雑巾や、掃いただけで塵がなくなる箒。そんな夢のような道具が作れるかもしれないと、お掃除仲間に猛プレゼンを繰り出した。
「魔王様も、私のお掃除魔法が使えるようになるんですよ?ピカピカにできますよ?」
「ユリエの魔法を、使える…」
その言葉に魔王様は折れた。
難しい顔だが、しっかりと頷いてくれた。
本当にありがとう【生活魔法様】。流石です。




