50 5センチ
その静かなエントランスに私の言葉が響いて、魔王様は時が止まったように自分の手を見ている。
疑問に思った。魔王様は本当に魔法が得意だ。
細やかな魔法、そんなイメージを固める感覚。自分で魔法を使ってみると、その細やかな魔法を制御する感覚がどれだけ凄いのかがよく分かる。
なのに、そんな人がこんな長い間自分の魔力を制御できないなんて何かがおかしい。
【魔力譲渡】はきっと魔法に変換せずに魔力をそのまま流して、対象に魔力を吸収させる事ができるスキル。
もし人に触れるのと多く魔力を流してしまうとか、物に触れた時は魔力を流さないとか、そんな差があるのだとしたら、それはある意味制御の範疇。
その差の感覚が分かるなら、魔王様程の人が掴めない筈がないし、制御できない筈もない。
今までだって物には触れて来た筈なのに、この考えに気付けなかったのは、それ所ではなかったか、魔王様の言っていた「魔力回路の乱れ」でその辺りが曖昧になっていたんだろう。
けど、もし魔王様の魔力回路に、魔力を扱うって言う基本的なスキルである【魔力譲渡】を制御できないような乱れがあれば、それは他の魔法も制御できないような大きな歪みになる。
なのにそれは起こっていない。
魔王様は物に触れても壊さない。
なら魔力が制御出来ない訳じゃない。
じゃあ制御できないのは、【魔力譲渡】ではなく“魔法”なんじゃないだろうか。
魔王様はユニークスキルで【魔法生成】を持っていると言っていた。ならそれは、魔力過多と同じ現象を起こす『生き物に触れると壊れる』、そう言うイメージの魔法なのでは?
私がそう考えながら魔王様の様子を窺っていると、魔王様はじっと自分の手を見ながら、呟くように口を動かした。
「【魔力譲渡】では…ない?…しかし…私は……」
「魔王様、魔力回路に乱れがあるって言ってましたよね?それって何が乱れてるんですか?」
「…探った事は、なかった……知りたく、なかったから…。ただ、漠然と、制御出来ない何かがある、と…」
そう言った魔王様の顔が苦し気に歪んだ。
「ある…魔力回路に、混同したような何かがある…。しかし…掴めない…分からないっ………何故っ!!!」
そう魔王様が声を荒げたと同時に、エントランスが大きく震えた。
「まっ魔王様…ちょっと…!」
チリチリと細かく何かが焼けるような、そんな音さえする程に、魔王様から何か物凄い圧縮された圧力が魔王様の周りに展開されている。
私が止めようとしても、魔王様は手を見詰めたまま、泣きそうな、とても悔しそうな、苦しそうな、そしてとても必死に何かを探っている。
でも、このままこの状態って、大丈夫なんだろうか。
「魔王様!何か危ない!落ち着いて!!」
「嫌だ!!ここまで分かっているのに!何故!!何故分からない!!それさえ分かれば私は…!!」
魔王様の光る目に涙が浮かぶ。
ああ、必死なのだ、ずっと自分を苦しめてきた正体が分かりそうで、分からなくて、必死に、どうにか理解したくて探っているんだ。
ずっと【魔力譲渡】だと思っていたそれ。
【魔力譲渡】を隠れ蓑に、魔力回路に当たり前のように存在し、魔王様を苦しめ続けたその魔法。
自分を、自分の魔力を、自分の魔力回路を探って、どうにかその苦しい魔法を制御したいと魔王様は必死なのだ。
……でも、お城物凄い揺れてるし、崩れそうで怖いし、何か色々凄く危ない感じがするから今すぐやめて貰わないと、このままでは本当にヤバそう。
「魔王様!!止めて!!でないと…
触りますよ!!!!」
「!!!?」
そんな言葉と共に私が勢いよく魔王様に手を伸ばすと、魔王様がソファーに仰け反るように距離を取る。
そして手を伸ばした私を唖然と見ている。
でも良かった。何か危なそうなチリチリが弾けて消えた。
「何か、色々すいません。でも、危ない事はなしで」
「でも……」
「ゆっくり考えましょう?解決策の糸口掴めたんでしょう?」
「しかし……」
まだ魔王様の目が薄っすら光っているのだけど、私はチリチリがしっかり消えた事を確認して、伸ばしていた腕を下ろす。
ソファーの端に詰まった魔王様が泣きそうな顔で、でもだってを繰り返していて、大人しくだだをこねる子供のよう。
「焦ってやっても良い事ないでしょう?」
「……ある」
「あるんだ」
「ある。触れる事が出来るようになる。今すぐ、何の憂いもなく、そうでないと、間に合わないかもしれない。盗られるかも知れない」
「? 何を??」
私がそう尋ねると、言葉に詰まったように強く口を結んだ魔王様の両目に涙が溜まって、それはそのままぽろぽろと零れた。
うわぁ…きれい…。いや違う。そうじゃない。
「魔王様、泣かないで?ゆっくり頑張りましょう?私も一緒に考えますから。ね?」
「一緒に?」
「はい」
「ずっと?」
「はい。約束、忘れましたか?」
「…覚えている」
そう、私と魔王様の約束。
私は必ず方法を見付けて魔王様を治す。魔王様はちゃんと待ってる。
けれど、そんな約束に少し涙が収まったけれど、魔王様の顔はまだ晴れない。
「…その、後は…」
「後?」
「もし、触れる事が出来るようになった、後は…」
後……まさか、200年も触れる事や近付く事さえ拒んでいた魔王様から、その後の話をされるとは…。
「後の事は……考えてませんでしたね。まず魔王様に魔法使う事を考えていたので」
「……では、ずっと触れられなければ…ユリエはどこへも行かない…」
ぼそりと呟かれたその一言に、私は大きく目を見開いた。
「いやいやちょっと待って!それは駄目!」
「何故!治らなければユリエはずっとここに居るのだろう!?それともやはり嫌なのか…っ」
再びその目に涙を貯めた魔王様が、悔しそうに私を見る。
魔王様、何故か大暴走。
「嫌じゃないです!そうではなくて…ええっと…ええーっと……どう言えば、いいんだろう…魔王様はきっと不安、なんですよね?」
「……不安だ」
「私がどこかへ行かないか、とか、不安なのはそこですか?」
「……」
どこか渋々、といった感じで頷いた魔王様に、私はどう返せば納得して貰えるのかを考える。
考えて、あ、と思いついてしまった自分に悟りが開きそうだった。
「………いや、魔王様。重大な事忘れてますよ」
「何を…」
「私、とても弱いので、一人でどこかに行くのは無理です。ろくに扉も開けられないし、戦えないので、一人で外にでるのはちょっと…。なので、私がお城から出るのって、逆にできるんですかね。」
「…………」
そうだった。みたいな顔はやめて欲しい。
地味に傷つく。
「…ならば、城に誰も入れなければ…?」
視線を落としてそう呟いた魔王様。お城に誰も入れなかったら何なんだろうか。
むしろ、既に人居ないし、これ以上減らすのはどうかと思うんだけど…。
「魔王様、私が一人で街に行くって言った時止めてくれたでしょう?自分がいるって」
「…う、うむ」
「あれ、結構嬉しかったんですよ?とても心強かったし、安心したし。ここに居られて私は本当に幸福なので、わざわざ自分から出て行ったりしたくないです。それに、魔王様に魔法を使う方法を考える事と、魔法の練習したいので、その後の事は、その後で一緒に考えませんか?」
「…その後、一緒に…」
ゆるゆると赤くなった魔王様の身体から少しずつ力が抜けて、その目に残った涙が少し伏せた睫毛を濡らしているのが綺麗だな、と思う気持ちと、触れたいな、と思う気持ちがとても自然に思えた。
「それに、私も触れられたらいいなって思いますよ?そうすれば、涙も拭いてあげられるのにって」
少し苦笑しながら力作のハンカチを差し出すと、魔王様はその差し出したハンカチ見て、手を、伸ばした。
魔王様との距離は、5センチ。
受け取ったハンカチを何故か使わず眺めている魔王様。使わないのかな?と思って見ていると、私を見た魔王様がハンカチを持つ指を強くしたのかハンカチに少し皺が寄った。
「欲しい」
「ハンカチですか?」
こくりと魔王様が頷いたので、いいですよ、と言うと、懐にハンカチを収めた魔王様は自分の両手のひらで擦るように涙を拭いた。
使わないんだ。ハンカチ。
そして攻撃的な魔法はやっぱり自分には効かないんだな。なんて考えていると、小さく息を吐いて、落ち着きを取り戻した魔王様がチラリと私を見て、申し訳なさそうに目を伏せる。
何か、その仕草が子供のようだと思って気が付いた。
ずっと子供の頃から、魔王様が甘えを見せられる対象なんて居なかったのだ。
お城の皆は昔は甘えていたと言っていた。でも、触れられないようになってから、魔王様はその一切を止めたのだ。距離を取って、求めないように、ずっとずっと我慢して、自分に甘えを許さなかった。
なら、私は今、そんな魔王様に許されているんだな。
そう思うと、心の距離が近付いた気がして、そんな対象になれた事がとても嬉しく思える。
「落ち着きました?」
自然と零れた笑みでそう問うと、顔を伏せたまま、やはりチラチラとしかこちらを見られない魔王様が少し赤い顔で整えるように息を吐いた。
「…その、先程は、すまなかった」
「いいですよ、私も不用意に煽ったみたいになってすいません」
「…あれは、私が悪いのだ。ユリエは悪くない」
このままだと謝罪合戦になりそうなので、食べませんか?ともう一度所在なく置かれていたアップルパイを勧めると、うむ、と少しばつの悪そうな魔王様が布の擦れる音をもぞもぞエントランスに響かせて体を起こし、今度こそアップルパイをその指で掴み、少し観察するように見た後口に入れる。
もぐもぐと咀嚼するに連れ、魔王様の曇っていた表情が少しずつ明るくなる。そして少し驚いた表情になって呟くように感想を零した。
「……うまい」
凄い、と顔に書いてある魔王様が私をしっかりと振り向いて、そして嬉しそうに笑う。
ああ、良かった。笑ってくれた。
つられたように笑った私に、少し照れて頬を染めた魔王様に、沢山ありますよ、とアップルパイを勧めると、嬉しそうに頷いた魔王様は再びアップルパイに手を伸ばす。
アップルパイを食べ進める内に、どんどん明るくなっていく魔王様を見ていると、何だかそれだけで幸せになる。
やっぱり魔王様は笑ってる方がよく似合う。
「ユリエ、これはとても美味い!驚いた!サクサクしているのが楽しいし、中のリンゴがしっとりしていてとても美味い!」
「全部食べてもいいんですけど、晩ご飯入らなくなりますよ?」
「大丈夫だ、食べられる」
最終的にアップルパイの籠を抱えた魔王様は、嬉しそうに全てを食べきった。
私としては嬉しいし、そして有難いのだけど、泣いてた人が笑うくらいに美味しかったのか、それは魔法の効果なのか…。
もし人の精神に影響する魔法が籠っていたなら、それはやっぱり怖いものがある…。
笑顔に出来たのは良かったけれど、そこはちゃんと聞いた方がいいかも知れない。




