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38 近い

 

「うわっ、ここも結構酷い」


 扉を開けた瞬間に舞い上がる埃の多さに、ハンカチで口と鼻を押さえてはいるけれど、咳き込みそうな程に埃が酷い。

 そんな部屋の空気に顔を歪めていると、後ろにいた魔王様が慌てたように私を呼んだ。


「ユリエ!喉を傷める!私が先に入るから少し下がって」


 そう言って、数歩下がった私の横に並んだ魔王様が部屋に向かって手をかざすと、薄暗い部屋の奥に一つだけ見えている窓が勢いよく開き、薄い光を受けてキラキラ舞っていた埃が追い出されると、さっきまでは息もし辛かった部屋は見事に換気される。

 凄い。


 凄いと思うと同時に、違う意味でも凄いと思う。


 たまに魔王様は近くなる。今の距離は1メートルあるかないか。



 最近魔王様と一緒に、3階にある各部屋を掃除して回っている。

 3階のエントランスや廊下の掃除を終え、今度は100年以上掃除されていなかったらしい部屋に手を入れ始めた。


 3階に住んでいるのは私と魔王様だけなので、残りの部屋は空き部屋か倉庫。さっさと掃除はしたいのだけど、私には重くて開けられない扉や、入っていいのか分からない部屋が多く、そんな事を魔王様とお昼ご飯を食べている時に相談すると、自分も手伝うと言ってくれたので、一緒に回っている。


 ただの部屋なら私だけで掃除している事もあるけれど、時間を見付けては魔王様も手伝ってくれていて、そんな時は力仕事もある倉庫を掃除する事にしているのだけど、数をこなす内に狭い部屋もあったりして、その度に少しだけ魔王様との距離が近くなる。


 今この部屋もそう。


 基本的にお城の部屋は広い。30畳くらいのリビングに水回りと寝室がセットになっている。

 たまにもっと広かったり部屋数が多かったりもするけれど、それとは逆に、この部屋のように10畳程で、沢山の荷物や箱が詰め込まれただけの倉庫になっている物置部屋がある。


 部屋の両サイドに積み上げられた箱に対して、動けるスペースは縦に2畳程。

 そうすると必然的に距離が取れなくなる為か、魔王様との距離が少しだけ縮むのだ。


 そんな近い距離で横を見上げると、部屋の中を見ている魔王様の横顔が見える。

 私の視線に気付いたのか、こちらを見た魔王様が少し顔を赤くして数歩下がり、天井近くまで積み上げられた木箱にぶつかって重そうな箱が少し揺れた。


「魔王様、箱揺らすと危ないですよ」

「うっ、うむ、すまない。少し、近かったもので…」

「近いの慣れないかもしれませんが、怪我したら嫌ですよ?後、埃が付いてる」

「ん?どこに…」


 魔王様は自分の肩や腕を見ているけれど、揺らした箱から降って来た大きな埃は、魔王様の髪に付いている。取ってあげたいけど、嫌がるだろうな…。


「髪に付いてます、右上の、少し横の部分」


 私の言葉の誘導に、魔王様は首を傾げながらその辺りを手で軽くはたいたけれど、取れない。何ともどかしい。


「……魔王様、絶対、絶っ対触らないから大人しくしてて下さい」

「え、しかし…」

「埃を取るだけ。埃を摘まむだけ」


 そう言って私が一歩踏み出すと、また魔王様が一歩下がって、積まれた箱にぶつかった衝撃で新たな埃が舞う。


「……魔王様」


 そんな事に私が困った顔を浮かべると、魔王様も困ったように首を振る。


「しっしかし、それは近すぎる!あっ危ない…だから自分で……」


 と言葉の途中から、魔王様の視線が私の頭の上に移動する。


 結構埃、舞ったもんね。

 きっと私の頭の上にも降ったんだろう。埃が。


 小さな溜息を吐いてから自分の頭の上を軽く払うのだけど、魔王様が困ったように眉を寄せている。


「取れてないですか…」

「取れてないな…」

「結構気になりますよね」

「うむ…気になる…」


 魔王様が私の頭上に指先を向けると、少しだけ髪が浮いた感覚がある。多分魔法で埃を取ってくれたのは有難いのだけれど、魔王様に付いた埃はそのままだ。


「私にはそんな便利な魔法は使えないので、やっぱり大人しくしてて下さい」

「……いや…その」

「大丈夫です。埃を摘まむだけです。入り込んでないから、外側だから、大丈夫」


 困った顔の魔王様にまた一歩近付くと、これ以上下がれない魔王様が緊張したように固まって、私が手を伸ばすとその肩も大きく揺れ、魔王様が密着していた箱まで大きく揺れた。


 ああ、また埃が降るな。そう思っていると、魔王様の表情がとても険しく変わったと思った瞬間、何かが大きく崩れる音と共に後ろへ倒れる感覚と、背中を木箱に止められた感覚がした。


 ガラガラと大きな音が鳴り止んで、思わず閉じていた目を開けたそこは薄暗い。


 そして目の前に、銀の髪がさらりと揺れた。


「ユリエ、動いてはいけない」


 とても真剣で、とても近い距離から聞こえる魔王様の声に、私は小さく「はい」と返す事しか出来ない。

 目の前に魔王様の髪がある。見えているのはとても近い胸元。


 動いてはいけないと言われ、視線でしか追えないけれど、これは私、やらかした。


 魔王様がその腕とマントで私を覆うように庇ってくれているけれど、きっとこれは、積まれていた箱が崩れたのだ。


「魔王様、怪我は…」

「結界を張っている。怪我はないが、箱を除けるまで少し我慢して欲しい」

「すいません…私が不用意に近付いたせいで…」

「ユリエが謝る必要はない。私が崩したのだ。ユリエこそ怪我はないか?」


 大丈夫です、と返したけれど、申し訳なさで少し泣きそうである。


 強引過ぎた…。触れるの怖いって言ってる人に、不用意に手を伸ばした私が悪い。


「このような体勢、恐ろしいだろうが、もうすぐ終わる…」

「恐ろしくはないですが、申し訳なくてちょっと泣きそうです」

「な、泣いてくれるな…それはどうすればよいのか分からなくなる」

「すいません…」


 私が縮まるように再び謝ると、目の前に見える魔王様の髪が少し揺れて下がる。


 降る声が、近付いた気がする。


「ユリエ。ユリエが近付こうとしてくれているのは嬉しく思う…だが、本当は怖いのではないか?」

「怖くはないですが、今は申し訳なくて…」

「このように私に近寄られれば恐ろしくもあるだろう。そんな私に無理をして近付かなくとも…」

「だから!申し訳ないだけで、それとこれとは違います!」


 私が泣きそうになってる事で勘違いしたのか、また自分が怖いからだろうと言い出した魔王様に違うと伝えたくて顔を上げると、そこには私を見下ろしていた魔王様と、とても近い距離で視線が合った。


 うわ、近っ…。


 そう私が認識した瞬間、伏し目に私を見下ろしていた魔王様の目が大きく開く。


「んなっ!!?」


 その近すぎる距離に驚いた魔王様が一気に顔を真っ赤に染めて、体勢が変えられない為か仰け反るように頭を上げると、その頭は結界にぶつかったのか結構な鈍い音がした。


「だ、大丈夫ですか?」

「…う、動くとは、思っていなかった…」

「あ、すいません…」


 そう謝って再び上げていた顔を下げると、近すぎる距離で見た魔王様が目に焼き付いたように思い出され、こちらも顔が熱くなってしまうのが分かる。


 これは、もう、違う意味でも顔は上げられない……。


「…し、しかし、わ、私も異性なのだ…このような距離で顔を上げるなど…その、少しは危機感を…」

「そこは、それなりに、は、恥ずかしいです……」

「っ!……そっ、れ、は、その…すまない…!!」


 マントの中に籠っているせいか暑くなった気がするけれど、魔王様が照れたせいか、私が照れたせいかは分からない。

 分からないけれど、意識したら駄目だと思っていた所を突いて来るのはやめて欲しい。


 異性がどうのとか、私も恥ずかしいが魔王様だって恥ずかしがっているのは嫌でも分かる。

 魔王様が恥ずかしがる分だけ私も恥ずかしくなってしまうし、魔王様が自爆すると私まで被弾するので、恥ずかしいから照れるのやめて欲しい。

 恥ずかしい……。


 そんな空気の中、魔王様が照れ続けるので何度か魔法で浮かせただろう箱が落ちるような音はしたものの、作業が終わったのか私を覆っていた魔王様の腕が離れ、マントが遮っていた明かりが戻る。


 今明るみに曝されるにはちょっと困る感じにまだ照れているのだけど、こればっかりは仕方ない。


「す、すまなかった…その、ど、どこも傷など負ってはいないか?」

「だ、大丈夫です」


 マントから出たそこは、しっかり崩れていた箱は元の位置へ戻っているけれど、私はまだまだ照れている状態から戻れていない。

 そんな顔を見られる訳にはいかないと、私を窺う魔王様の視線から顔を背けると、魔王様が更に私を覗き込む。


 今は困るとその視線から更に顔を背けると、心配したのか「本当に?」と伺いながら私を追うように魔王様が覗き込んで来るので、恥ずかしさに耐えながらも逃げる事をやめた。

 でも視線を合わせるのは無理だった。


「…!?」


 まだきっと真っ赤になって照れている私を確認した魔王様が、心配で落ち着いていた顔の赤さを再び戻し、また後ろに数歩よろめいて箱にぶつかる。


「……魔王様、危ない」

「…す…すまない」


 その後、何となく掃除はまた今度にしようって事になり、埃まみれになったのでお風呂に入ろうと魔王様と別れて部屋に戻った私は、冷水に顔を沈めて大きく叫んだ。


 恥ずかしくて死にそう!!


 水の中で叫んだせいで本当に死ぬかと思ったけれど、顔の熱りはなくなった。

 でも、心臓だけは治まってはくれなくて、少し苦しいその胸から私は大きく息を吐いた。


 あんな近距離、魔王様だけではなく私だって慣れてない。困る。

 誠に困る…。


 そう苦しさの取れない胸をどうにかしたくて再び溜息を吐いたけれど、やはり取れない胸の苦しさに、困る。ともう一度冷水に頭を沈めてから気付いた。


 水の中に頭を沈めてたら、そりゃ苦しいのはとれないんじゃないか、と。


 落ち着け私。






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