32 悩み 魔王side
触れそうになった手の先で、大きく肩を揺らした使用人が青い顔で笑った。
「魔王様、如何されましたか?何かお取りしましょうか?」
ただの食事。フォークを取ろうとした手が、皿を置いた使用人の手に触れそうになった。
ただ、それだけだ。
それだけの事に、恐怖が染みついた笑顔が向けられ、震えた声を掛けられる。そして、そんな事に泣きそうになっている幼い頃の自分を、少し遠くから見ている私が居る。
ああ、夢か。
嫌な夢だ。何故今更こんな事を思い出しているんだろう…。こんな物を見なくとも、もう嫌と言う程分かっているのに…。
吐いた溜息は音にならず、見ようとも思わないのに目の前の光景は淡々と進む。
食事が続けられなくなった私と、困っている使用人達。食べねば心配させる、けれど、あの頃は泣くのを堪えるので精一杯だった……。
嫌だったな…。あの目が、恐怖を押し殺した目が。とても嫌だった…。
自分が悪い。そう見られても仕方ない。耐えねばならない。そう分かっていても、耐えられなくなる日が来るのは早かった。
触れないように、近付かないようにと気を付ける事ばかり考えて、料理の味は分からなくなり、景色は断片的にしか覚えられず、誰かが居ると逃げ方を考えた。
人が居る場所を避けるようになって、部屋に籠るようになって、誰もそこへ入れないよう、その中だけに安息を求めた。
そこに、安息などある訳もないのに……。
哀れなものだ…。
力の使い方を知らず、逃げるに逃げられず…さりとて1人では生きられず……。
そんな自分を終わらせる事も出来ずに、ただ目を閉じた暗闇の中で、それを受け入れねばともがく事しかできなかった哀れな自分。
この時は、それが精一杯だった…。
そう息を吐き、夢の中でもう一度目を閉じた。
「もうよい」
そう呟いた自分の声で目が覚める。
まだ朝の鐘は聞こえない。薄く開いた目で見た窓の外は暗いまま。どれだけ寝たのか。寝たんだろうか…。
吐いた溜息は今度は耳に届いたが、届いてしまったその重さに息苦しさを覚えた。
そんな息苦しさから逃れるように、足が向かった先は昨日ユリエと掃除して過ごしたその部屋。
やはり心地がいい。
ユリエが魔法で掃除したこの場所は、整えられた魔素が心の揺らぎをなくしてくれる。
まだ本人はその効力を分かっていないようだが、ユリエの魔法はさすがはユニークスキルと言わんばかりの力がある。
見事なものだ。
再びそう感心しながら、その部屋のいつもの場所に座る。
目の前に見える長いテーブルの横、私が座るそのすぐ近くにユリエが運んだ椅子が見え、思い出したユリエの姿に体が少し顔が熱くなる。
……近いな…。
遠くから給仕したいと言うのであれば分かるものの、遠いと不便だと言われた事には虚をつかれた。
ユリエは私を全く怖がらない。
確かに側に居て欲しいとは願ったが、城に勤めるのであれば触れてはいけない事を知らせる必要があった。
避けられる覚悟を決めて知らせたそれに、ユリエが返したのは近付くと言う選択。
待っていて、そう言われた言葉が頭から離れない。
それを思い出す度に何故か胸も苦しくなる。
やはり同時に触れてはいけない事を強く思い出すからだろうか…。
だが会えばきっとそれも薄れる。ユリエはいつも笑顔をくれる。恐れを隠した目で私を見る事もない。側に居ても大丈夫だと、その行動の全てが教えてくれるようで、側にいると安心する…。
会いたい……。
しかし昨日の最後は挨拶が出来なかった。
明日会う約束も出来なかった…。
こうなるともう会い方が分からない…。どうやって会う約束をすればよいのだろうか…。
手紙は出したが、また会いたいと伝えただけで、いつなら会えるのか、どこでどう会えばよいのか、そんな事は書けなかったし、どう聞けばよいのかも分からなかった…。
困った……。会い方……。城の誰かに聞けば教えてくれるだろうか…。
いや、会うのを避けて来た私が、そこを聞くのはどうなのだろう…。
久々に会った皆は、私に気を遣って平静を装ってくれている事は分かっている。私もどう接してよいものか分からないのでそれはとても有難い。
だが、そうなるとこれはもう聞けない。
普通に会えばよいと言われてしまいそうだし、会い方が分からないなどと聞けないではないか。
「……羨ましい…」
テーブルに項垂れて頭を預けると、夜に冷やされた金属の冷たさが今は有難い。
ヨウグはユリエに会ったと言っていた。皆は普通にユリエと会っているのだろう…。
普通に…普通とは……。
どうすれば普通に会えるのだ。
偶然を装えばよいのか?
「……。無理だ。何を話せばよいのか分からん…」
今日からしばらくは結界を回らねばならんし、朝は会えない。
よく眠れたか?と聞く事は叶わない。
ならば、何と話し掛ければよいのだろうか……。
皆何を話しているのだろう…。
魔法。ユリエは魔法に興味を持っていた。ならば使い方が分かるか聞けばよいのだろうか…、慣れたかどうかとか……。いや、ユリエは私がユニークスキルに着目している事を知っている。ならばそれは、待っていて、と言われた事を急かす事になるのではないだろうか…。
…いかん。それは駄目だ。
確かにユリエのユニークスキルを見る限り、限りなく望んだ要素は含まれている。
だが絶対ではないのだ。
確かに希望はある。あるが、そうなれば私の魔力を越えねばならない。常人ではそんな事は無理だ。魔法を使おうと私に触れれば、私の魔力が勝ってしまう。
もし、それを超えるのだとしたら、ユリエは途方もない鍛錬を積まねばならない…。
それを私が急かすような発言をして、ユリエに嫌がられたら耐えられない…。それに、ユリエに気負わせたくはない……。そんな事をして、ユリエが私と会いたくないなどと思ったら……。
う……苦しい。 嫌だ。とても嫌だ。
怖い。聞けない。絶対に言えない……。
「はぁー……」
テーブルに頭を預けたまま、大きく吐いた溜息が部屋に響いた。
昔に比べれば、自分は強くなったと思っていた。
魔法の使い方も、魔力の使い方も、魔物を倒す事も容易い。
しかし、幾千の竜に囲まれるよりも、ユリエに拒絶されると考える方が断然怖い。
既に【死の泉】で失敗しているのだ。もう失敗は許されない。上手く話さねばとは思っているが、ユリエに会うとそれが出来ていたのかすら分からなくなる…。
あの笑顔で笑われると、何の恐れもなく私を見ているだけのあの目を見ると、どうにもそれだけで何も考えられなくなる…。
怒ったり泣いたり、喜んでいたり、楽しそうに笑っていたり……私に笑い掛けるその全てが、それだけで他の事が頭から抜けてしまう…。
苦しい。 だが会いたい…。
「どうすればよいのだ……」
項垂れたまま呟いたそれは、まだ暗い部屋の中で響いて返り、自分に問われたようで身が竦む。
分からんから悩んでいるのだ。
訊かれても分からん。
そんな胸の苦しさに、何度目か分からない溜息が零れた。
今まで読んだ本の中には、人との会い方など書いてはいなかった。何故書いておいてくれないのだ…。暗号になった召喚式すら書いてあるのに、何故会うなどと言う簡単な事が書いていない!
そして、何故私はその簡単な事が出来ない…。
「レイの言っていた通りではないか……」
引き籠って本ばかり読んでいるから。
その通りだ…。
上手く話せない。会い方が分からない。仕方なかったとは言え、こんな事になるのならばユリエと会う少し前から頑張っていたのに……。
「……会う、か…」
そう言えば、初めて会った時もユリエは笑っていたな…。
魔法がない世界から来ただろうに、こちらが浮いていたにも関わらず驚きもしないとは…。ユリエは肝が据わっている。
昨日啖呵を切った時も、泣きながら怒っていたな…。
「ふふ……」
きっと、恐れる物を前にしても、ユリエは私のように怯んだりはしないのだろう…。
強い。
ユリエは強いな。きっと心は私よりもとても強いのだろう…。
それがとても心地よく、とても安心する。
あのように弱いのに、それでもそれを乗り越えて尚そこに立つ姿は美しい。
ユリエはいつもそれを体現する。
きっとそれはユリエにとって当たり前な事なのだろうが、悩む様も、考えている間も、目を背けない強さを体現している事を本人は気付いているのだろうか…。
もっと見ていたい。もっと側で、あの瞳を…。
そう考えていたらそのまま寝ていた。
気付いたら昼を回っていて、慌てて準備を済ませて結界を回ったが、帰って来てからふと気付いた。
昨日はすまなかった。と言う話し掛け方があったのではないか、と。
しかしもう時は夕刻。今から会って話すには遅すぎる……。
そして話し掛ける方法が分からないまま悩む日々が始まった。
触れられない事よりも、どう話せばよいのかと言う答えが出ない事に、このように悩む羽目になるとは思ってもみなかった……。
会いたい、会えない、会い方が分からない…。
何度も廻るその思考に、苦しい胸から何度目か分からない溜息を吐いて、結局会えずにその日も終わる。
最初の一言は、何と話し掛ければよいのだ!




