31 成長 ヨウグside
俺の日課は朝昼晩と決まった時間に魔王に食事を運び、それを下げに行く事。
その日課は魔王が籠ってからもう100年以上続いているが、途中から数えるのは止めた。
数が増える度に、重さばかりが増すからだ。
だがその日課も、もしかしたら変わるかもしれない。
そんな思いに食器を下げに向かう足がいつもより軽い気がする。
これからも忘れる事はないだろうその日。手の付けられていない朝食が残っていたあの日だ。
手付かずの朝食を下げ、いつもと同じく昼飯の準備をしていた時、魔王から手紙が届いた。
魔王が姿を見せる事はないが、何か要件があるとたまに手紙を転移させて用件を伝えて来る。
ただの白い紙に用件だけが書かれた一枚の紙。俺の元に届くのは大抵大した内容じゃない。今日のいつの飯がいらないとかそんな何てことない用件だが、俺にとって、この城に住む者にとって、その白い紙が届く事は、魔王がそこに居て、俺たちの事を忘れてないって安心をくれる物で、そして魔王自らが接点を持ってくれる嬉しい物だ。
だが、その日届いた手紙の内容に、俺は首を傾げた。
『異世界人を連れて帰る。女性。好奇心は控えよ。準備頼む。』
いつもの整った文字とは違い、急いで書き殴ったようなその手紙に、俺は魔力を流してみたが内容は変わらなかった。
どうやら暗号ではなかったらしい。
内容をそのまま受け取って良い物か考えていると、慌てた様子のリリーが走って来た。手には同じ紙を握っている。
状況は飲み込めないが、一応準備をしておこうと意見がまとまった時、外からレイのデカい声が聞こえて来た。
「魔王様ー!!魔王様の大好きなユリエ様連れて来ましたよー!!」
どうやら手紙の内容はマジだ。
その後、“ユリエ”と言う娘の飯を取りに来たレイに話を聞けば、魔王が直接世話を焼いていると言うから更に驚いた。
あの魔王が? 余りに突拍子もない内容に頭が上手くついて行かない。だが城の雰囲気が変わった事実に、何かが変わろうとしているそれに、込み上げて来る感情に手が震えた。
また会えるかも知れない…。
その思いに、久しぶりに思い出した魔王の顔は、幼い頃に笑っていた200年以上前のもの。
引き籠った魔王を引っ張り出した奴。
どんな奴が来たんだろう。どうやって魔王を引っ張り出したんだろう…。
そんな事を考えて数日、今日、本人に会った。
黒い髪の、細い娘だ。もっと食った方がいいんじゃないかと思う。
そんなユリエはいい奴だった。異世界人だけあって変わったユニークスキルには驚いたが、礼儀正しく真面目で、人相の悪い俺を前にしても怖がらず、驚くくらいで済んでる胆力もある娘だ。
淹れてくれた茶は馬鹿みたいに美味く、貰った説明そのままのユニークスキルが入っているんだとよく分かる。
嘘はない。見た通り、感じた通りの性根の良い娘なんだろう。
だが、本当は少し疑っていた。いや、信じられなかったんだと思う。
ユリエをって言うよりは、現状の方を。
俺が魔王を直接見たのはもう100年以上前。レイやロイよりも小さい、子供の頃の姿で止まっている。思い出せるのもその姿で、どうにもその感覚が抜けない。
会ったと言われても、そんな魔王が世話を焼いてると言われても、全く実感が湧かなかった。
しかし俺は今。心底ユリエに感謝している。
もっと褒めてやれば良かった。
いつも通り食器を下げに魔王の部屋をノックし、一応のような「入るぞ」なんて言葉と共に扉を開けた、そこに、居たんだ。魔王が。
「…ッす……すまん。もう、奥に帰ってると思って…急に入っちまった…」
俺がそう謝ると「構わない」と短く返して、テーブルの奥に座る魔王はこっちを向いた。
幼い頃の面影を残した、だがずっと大人に、大きく成長した魔王の姿がそこにある。
目の前に居て、こっちを見ている。
ああ…デカくなった。立派に育った。
飯は足りてるか、俺の事は覚えているか、言いたい事や伝えたい事が胸の奥から溢れそうになるのを必死に耐える。
普通に、普通に接しろ。
魔王がこれ以上変な気を遣わないようにと城の全員で決めた事。
普通に接する。
そんな出来てるのかも分からない普通を装い、溢れそうな感情に堪えていると、そんな俺に魔王は言葉を続けている。
「この部屋の居心地が良かったので、つい長居してしまった」
「あ…ああ、昼飯運んだ時、すごく綺麗になってて驚いた。確かに心地のいい、とても落ち着く雰囲気になってるな…。日が暮れると、温かみが増したように思える」
俺は必死に言葉を繋いだ。もう次話すのはずっと先になるかも知れない。だから、話さなければと思った。話したいと思った。
だが、ここで帰っておけば良かったとすぐに思った。
「うむ、そうなのだ、ユリエが頑張ってくれた」
そう言って、魔王が笑った。
笑ったんだ。
ずっと一人で苦しんで来た、あの小さかった魔王が…嬉しそうに、幸せそうに……。
やばい、泣きそうなんだが。
鼻の奥が詰まったように目頭が熱くなる。
だが普通にって決めたんだ。泣く訳にはいかねぇ。
けどここで出て行くのも許されない。せっかく魔王が楽しそうに話してるんだ、耐えろ俺!
「…あ、ああ。新しく、城に来た嬢ちゃんな。今日…さっき会った。いい娘だな。異世界の料理を教えてくれと頼んだら、今度、料理してくれる事になった」
「ユリエが?料理? それは…」
やめてくれ魔王。そんな「いいな」が丸わかりの顔。小さい頃からよくそんな顔で菓子をねだった。昔から変わらねぇ…すぐ表情にでる……やばい、ちょっともう涙が出る。
そう自然な感じで目元に手をやって、どうしようもなかった涙を抑える。震える声をごまかすように少し強めにしか話せない。
「もっ、持ってくる!ユリエが作ったやつな!ああ、大丈夫だ!必ず持ってくる!」
「そ…そうか」
すこし照れたような、嬉しそうな声が返って来たが俺はそれを見る事は出来ない。
今、目から手は離せない。
「どうした?ヨウグ、泣いているのか?」
そう言う所、昔から無駄に鋭い。
「いや、大丈夫だ……。ちょっと、さっき切った玉ねぎが目にしみて…」
「そうか…遅効性の玉ねぎもあるのだな」
とても真面目に返って来た声。
ない。 そんな玉ねぎはないんだ魔王。だが今はその遅効性玉ねぎに頼るしかない。
本当にすまん。
「明日は朝から出る。夕食まではなくて構わない」
「…分かった」
移動した魔王の声に少し強引に涙を拭って声の方を見ると、魔王は奥の部屋へ帰って行く所だった。
ああ、身長伸びたな。昔は俺の膝丈くらしかなかったのにな…。
次は、いつ見る事が出来るんだろう…。
そんな事が頭を過って、その歩く姿を眺めていると、扉に入ろうとした魔王の足が止まった。
「ああ、そうだ。ヨウグ」
「……? なんだ?」
入ろうとした扉から、少し顔を覗かせた魔王がこちらを振り返り、子供のように首を傾げる。
その小さかった頃と同じ動作に思わず苦笑が漏れた。
「今日の昼食から料理の味が上がったように思ったのだが、何か変えたのか?」
「ん?…あ、…あー…そりゃあ、ええーと…スパイスが、効いてたんじゃねぇかと思うぞ」
「そうか…。うまかった。ありがとう、おやすみヨウグ」
少し不思議そうにしながら昔と同じ夜の挨拶を口にして、最後に笑った魔王を俺は呆然と見送った。
扉が閉まった音、少ししたら聞こえなくなった魔王の足音。
そんな部屋の中で、返せなかった言葉を返した。
「おやすみ……フレン」
その言葉を残して食器を持って部屋を出る。
出て、速足で廊下を歩き、エントランスを抜け、階段を下りている途中で限界を迎えた。
泣いた。
こんなに泣いたのは初めてじゃないかってくらい涙が出た。
ずっと何も出来なかった。
100年以上、あの甘えたで、寂しがりやの、あの小さな子供が魔王になってしまったあの時から。
何もできなかったのに、どれだけ近付こうとしても近付けなかったあのフレンが、昔みたいに笑っていた。
見る事が出来た、話す事が出来た、昔のように、名前を呼んでくれた……。
「俺の名前なんて、忘れてると思ってた…」
手紙にはいつも「料理長」と役職名でしか書かれていなかった。きっともう俺の名前なんて忘れているんだろうと思っていた。
そう思うくらいには長かった。長くて、苦しい、同じ毎日。
それが、変わろうとしている。
ひとしきり泣いた顔を擦る様に拭うと、何とも言えない脱力感で立ち上がる。
嬉しいような、居た堪れないような。今すぐ魔物の何十匹かを倒しに行きたいような。体の奥から出てくる沢山の感情と衝動を、大きな息にして吐いた。
「はぁー……しっかし、何でそこだけ鈍感なんだ…」
人が泣いてる事には気付く癖に、自分の事にはとんと疎い。
階段の続きを降りながら、さっきの魔王の言葉を思い出す。
料理は何も変えてない。昼飯が美味かったのはきっとユリエと食べたから。そんで晩飯はユリエと一緒に過ごしたあの部屋で食べたから。
それに…
「椅子、近かったな…」
笑いが零れた。
明日のユリエの朝食には、特別にリンゴをつけてやろう。




