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20 距離と約束 ◆

 今、私と魔王様はとても感動している。


 目の前には広いエントランスの一面を占める、天井まである大窓が、太陽の光にその七色の光を乗せ、広いエントランスの暗がりにまで、沢山の虹をばら撒いたように煌めかせている。

 それはまるで、大きなサンキャッチャーのアート空間にいる気分。


 大窓の枠はとてもシンプルなアイアンの枠でしかないのだけれど、黒いその枠がコントラストをより強め、この空間を一つの絵のように収めている。

 填められたガラスは曇っていた時にも垣間見えた微かな虹色が、磨くと透明なガラスの色んな場所に鮮やかな虹がふわふわ消えては浮かぶ、とても不思議なガラスだった。


 だからだろうか、今ここは、窓から射しこむ光の中で、小さな虹が沢山生まれているような、水の底から光が揺れる煌めく水面を眺めているような、そんな不思議な空間になっている。


 そんな小さな虹色達に私と魔王様は静かに彩られながら、ぼーっと【生活魔法】で掃除されて美しく輝く大窓を眺めている。


「綺麗ですねぇ…」

「ああ、とても美しい…」


 とても穏やかな、時の流れすらゆっくりになったようなその中で、5メートル先で魔王様がゆっくりこちらを向いて柔らかく微笑む。


「ユリエの魔法は凄いな。こんな美しい空間を作れるとは驚きだ」

「この大窓が掃除されてなかっただけで、元々こんな感じじゃなかったんですか?」

「いや、違う。私は磨かれていた時も知っているが、こんな光景にはならなかった」

「そうなんですね」


 ああ、と頷いて、再び魔王様は煌めく大窓に視線を戻した。

 その穏やかに笑む綺麗な横顔や、銀の髪が七色の光に静かに撫でられて、魔王様は何だか人と言うよりは芸術品に見える。

 雲の上の人って、近くで見るとこんな感じに見えるんだろうか…。


「このエントランスの大窓には、虹が使われている」

「虹? 虹って…、あの空に掛かる虹ですか?」

「そうだ。それを切り取って加工すると、魔力を一定量保管する素材になる。だがこのように保管した魔力を外に放つのを見たのは初めてだ」

「へぇ…」


 ファンタジーな空間だと思っていたら、どうやら本当にファンタジーな物がファンタジーな事になってたんだなぁ、と私も改めて大窓を見る。


 確かに、こんなに綺麗なら、虹だと言われても納得する。


「綺麗なものだ……」


 そう魔王様が一言呟いて、大きなエントランスは再び静寂と七色に包まれた。



 どれだけ経ったのか、薄い時間の中で、その静寂に溶けるように、でもはっきりとその言葉は私を捉えた。



「ユリエ…私は、人に触れる事が出来ない」



「え?」


 静かに降ったその言葉に私が魔王様を振り向くと、そこには大窓を見ている魔王様の横顔がある。


「城の者は皆知っている事だ。なので、ユリエにも知っておいて欲しい」

「…はい」


 こちらは見ないまま、魔王様は静かに言葉を続ける。

 その横顔からは静寂しか感じ取れない。

 今、魔王様はどんな気持ちでそれを言葉にしてるんだろう…。


「私には、【魔力譲渡】と言うスキルがある。文字通り、魔力を渡すスキルだ。

 私はそれを……制御できない」


「……それは…」


 『魔力が多すぎれば魔力回路を壊す…』

 あの日、【死の泉】で会った時、魔王様に言われた言葉。魔王様が悲しそうに言った言葉。


 『魔力回路が破壊されると、生き物は形を保って居られない。分解され、消滅する』


 ああ、だから、魔王様は


 “触れられない”


 そう理解した瞬間、ぐっと胸の辺りで何かが詰まったように苦しくなって息が詰まる。


「私はとても魔力が多い。だから少しでも譲渡してしまえば相手を確実に壊す。私は…己の事を【死の泉】のようだと思っていた。何者にも触れる事を許さない。そして誰にも触れられない。【死の泉】と私は同じだと…」

「……」

「けれど、ユリエは【死の泉】に触れた。私は…どこか救われた気がしたのだ…。そして希望すら感じてしまった…。もしかしたら、そんな事が出来るなら、この制御できない乱れを治せるのではないか、と。……レイも、きっとそう思ったのだろう…」


 苦笑するように息を吐いた魔王様が、しかし、と言って首を振る。


「そんな危険な事は許されない。触れば先に、私がユリエを壊すだろう。…けれど…浅ましく求めてしまう…。死の泉に触れたユリエなら…もしかしたら…触れなければ、側に居てもこんな私を恐れないのではないか、言葉を交わすくらいなら、許されるのではないか…許して貰えるのではないか………いつか、もしかしたら…そう、願ってしまう…」


 そう言って、苦しそうに、でもそれに慣れたように苦笑した魔王様は、私を振り向いて困った顔のままで優しく笑った。


「ユリエ、こんな私を許してくれるだろうか…側に、居てくれるだろうか」


 その言葉を聞いた瞬間、頑張って耐えていた私の涙腺が崩壊した。


「えっ?!! ユリエ!?? いや、あ、すまない!その…、やはり、嫌だっただろうか…、ユリエ………」


 私が魔王様を見詰めたままボロボロ泣くものだから、一気にオロオロした魔王様が慌ててどうしたらいいのか分からなくなった手を彷徨わせている。

 そんな魔王様に私は首を大きく横に振って、魔王様の言葉を否定した。


「嫌ではありません!私は…っ」


 でも、その続きが言えない。

 上手く言葉が出て来ない。


 私が泣いていい事じゃない。

 私なんかより、ずっと泣きたい人が目の前に居るのに…でも涙が出る、申し訳ない…っ。


 何で引き籠ったんだろうって思っていた。

 牢獄みたいな魔力。その感情、それは何でって思ってた。


 それは、嫌でも、出たくても、自ら入らなくてはならない牢獄だった…。


 魔王様は優しい人だ。だから誰にも触らないように人との接点を抑えた。それが引き籠った理由。

 常に一定に取られる距離の理由。


 辛いとか、苦しいとか、寂しいとか、触れるのを、相手を壊してしまう恐怖を、魔王様はずっと抱えてきた……もう、200年もずっと……。


 それは、どんなに長くて辛い事だったんだろう……。


「…その、す、すまない…」


 上手く言葉が紡げない私に、オロオロと困った顔で私に謝る魔王様と、しかめっ面で泣いている私の間にある5メートルを睨むように見る。


 悔しい……。


 分かってる。

 これは触れてはいけないと、触れる事を恐れて開けられた苦しみの距離。

 近付いてはいけないと自分に言い聞かせて開けられた距離。

 誰かと側に居たいと願っているのに、近付けない、近付いてはいけない距離。


 危ないから、危険だから。分かってる。


 分かってるけど何だこの距離! 悔しい…!


 困ったようにこちらを窺う魔王様を見て、私はそんな憎らしい距離を指差した。


「私はいつか、この距離を越えてみせます!!」


 涙を振り切って胸を張り、威勢よく啖呵を切った私を魔王様は唖然と見ている。


「私は【死の泉】にも触れる事が出来ました!たくさん魔法を鍛えて、いつか魔王様にだって触れてみせます!絶対どうにかして見せます!」


 そんな私をとても驚いた表情で見詰めていた魔王様が、ふっと声を出したと思ったら、魔王様は声を隠さず笑い始めた。

 そして私は笑われている。


「なっ、なんで笑うんですか!笑うとこですか?!」


 物凄く覚悟を決めて宣言したのに、盛大に笑われている事に私が怒ると、魔王様は笑いの収まらない口元を手で押さえて堪えながら、すまない、と残った手で制して来る。

 そして目の端に残った涙を拭い、大きく息を吐いて、最後に深く困った苦笑を浮かべて私を見た。


「すまない。知れば避けられると覚悟を決めて話したのに…まさか逆に近付く宣言をされるとは思ってもいなかった…」


 確かに、そうかも知れない。笑い過ぎだとは思うけど…。


「私に…触れる、か。ユリエは怖くはないのか?私が恐ろしくはないのか?」


 苦笑を浮かべたまま、首を傾げる魔王様は私を見ている。見て、それが本当なのかを探るような視線を向けている。


「魔王様は優しい人です。怖いとは思いません」

「触れれば死ぬかも知れないのだぞ? 死ななくとも、死ぬより辛い思いをするだろう。それでもそう思えると? 私はそんな恐ろしい者の側にいて欲しい等と願う浅ましい者だぞ? そんな者の為に危険を冒す必要があるのか?」


 期待はしたくない。それを包んだ言葉で私を確かめるように言葉を連ねた魔王様は、とても複雑な表情で、自虐のような笑みを浮かべて私を真っ直ぐに見詰めている。

 でも、そんな笑顔は好きじゃない。


「恐ろしいのはその現象であって魔王様じゃないので。その現象だって【死の泉】に触れる事が出来た魔法を私が使いこなせれば、治す事が出来るかも知れないんでしょう? 危険を冒すつもりはありませんのでご心配なく。何と言われようと私は諦めませんので」

「……ユリエが治す事が出来ても、私は触れる事は出来ない。だから…」

「いえ、私が勝手に方法を見付けて勝手に触ります。寿命もたんまりありそうなので、いつか必ずどうにかします。だから、魔王様は距離をどうにかして待ってて下さい」


 私の言葉に目を見開いた魔王様は視線を落とす。

 その視線の先には5メートルの距離になった思いが横たわっている。


「この一定の距離って、危ないから離れてるって、そう言う事ですよね?でも、危ないのは直接触れる事でしょう?なら、必要のない距離ですよね?」


 そんな魔王様の作った5メートル先で、唖然とした表情になった魔王様が私の言葉に何も返せず、そんな距離に苦笑する。


 そして私を見て、その目に捉え、困ったようにその目を細めた。


「本当にこれを超えると? それを、その可能性を私に求めてよいと、そう言うのか…本当に?」

「嘘や冗談でこんな事言いませんよ」

「側に居るのが、怖くは…ないのか?」

「むしろ近付く練習して欲しいです。魔王様人慣れしてませんよね? 余り遠いといつかの時に触れられないし、いざ触れようとして転移されても困るし」


 その言葉に、ふっと吹き出した魔王様がまた少し笑う。

 けれど、それはさっきとは違ってとても柔らかく、確かに、と言葉にしてから息を吐いた。


「待ってて、くれますか?」


 そんな魔王様に私が真面目にそう訊くと、魔王様はしっかりと私を見た。

 そして一度目を閉じて大きく息を吐き、再びその目に私を映して柔らかく微笑む。



「 待っている 」



 ふわりと揺れるように、とても、とても嬉しそうに微笑んだ魔王様は、その空気すら輝かせるように七色の光に輝いて、綺麗な美術品から人になった気がした。


 そんな魔王様の「待っている」に、ぐっと胸が押されて赤面してしまった私は何も言えなくなるけれど、耐えながらも、うむ。と真面目に頷いた私を魔王様はまた笑う。

 そして「何で笑うんですか!」と怒ると嬉しそうに謝る。


 魔王様の事は好きだ。

 優しくて、強くて、頑張り屋さんで、ちょっと人に慣れていなくてちょっと遠い。


 それが恋愛かは分からない。分からなくていい。大事だと思う事に変わりはない。

 そう、魔王様は大切な人。


 いつか魔王様を治す。

 それがこの世界で、私の一番の目標になった。




挿絵(By みてみん)


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