対価?
翌朝、例によって日が昇り始めるかどうかというくらいの早い時間に目を覚ます
そのままベッドに潜ってもう一度眠ってしまおうか、という考えも脳裏をよぎりはしたものの気が向いたのはまるで違う方向で
畑の手入れだとか家畜の世話をしているような人達の横を魔獣狩りの自分はジョギングで通り過ぎる
時々すれ違う人に挨拶をしながら道場の時のことを思い出し、『そういえば最近剣を振っていないな』というところに思考が行き着いた
そもそもテリーの家に落とされたときから朱都近くでの炎精討伐までの魔獣の出没頻度の方が異常なのであって、そう頻繁に襲来があっても困るわけだが
尤も、魔獣があまり出なくなったからといって人間同士の戦争が起こるということはまずない
そもそもその魔獣を嗾けたのは昔の魔族であり、今でも脅威になる魔族がいないとも限らず、加えて人間の中に紛れ込んでいる者も居るほどなのだ・・・それぞれの具体例を挙げるということは敢えてやらないが
街の中を数周走って宿に戻ってはきたものの、まだ早いのか朝食の用意はされていない
少しの時間どうしたものかと考えていたが、リリーの姿が見えたので思考を一旦保留にする
流石にまだ歩くからかスカートではなくパンツルックだが、束ねられていない髪が彼女の動きに合わるように軽く舞う
「そういえばここの宿って朝ご飯が遅いの忘れてました・・・」
起きてから今までのことを手短に伝えると、そう言って萎れてしまった
しかしすぐに再起動し、そういえばと切り出した
「甘いものを食べてからならどうでしょう・・・?」
その手の上に乗っていたのは紛れもなく真っ赤な林檎だった
食事の時間ではないために誰も座っていない食堂の椅子に腰掛けると、昨晩と同じように向かいに座ったリリーが白くて小さな手で握ったナイフで手際よく皮を剥きはじめた
気付けばその手元を見つめており、彼女もそれに気が付いたのか
「こういうことはいつも私がやっているので馴れているんですよ」
と言いながら切り分け、小皿の上に並べた林檎を目の前に置く
口に運んだ果実は確かな歯ごたえと共に舌の上に収まった
それは確かに甘く、殆ど酸味を感じない
皿に手を伸ばそうとして、もう小皿の上には残っていないことに気が付く
「もう一つありますけど・・・食べますか?」
チェックアウトの手続きを済ませ、先に外で待っていたリリーに声を掛けると彼女は迷う素振りも見せず歩き出す
しかし関所とは反対側の森の中に入った途端、木々の間をジグザグに歩き出したかと思えば大きく弧を描くように動いたりするなど、よく解らない動きが目立つようになる
心配になって声を掛けてみたものの、「これで合っていますから、『絶対に』はぐれないでください」と逆に釘を刺されてしまった
暫くその調子で歩く彼女から離れないように続いていくと森の反対側に出たのか、中央の玄関らしい扉を境目に左半分が縁側と大きな屋根を持つ和風、右半分は円錐形の屋根の下に半円と四角を組み合わせた窓が填まった洋風になっているという変わった建物が開けた土地に建っているのが見える
場所が場所だけに塀や門のようなものは設けていないようで、少なくとも今見ている場所から建物を隠すものはない
建物全体の奇抜さで気にしてはいなかったものの、リリーが開けた扉も独特な形をしている
ヒンジの反対側に付いている大きな取っ手は真っ直ぐではなく下に向かうにつれて互いに離れるようになっており、その扉にはめ込まれた磨り硝子は取っ手を避けるように湾曲しているが、それ以外の部分は真っ直ぐになっている
扉の先の空間も外見に違わず特徴的で、靴を脱いで上がる板張りの空間があり襖で仕切られた部屋があるのは確かに和風なのだがそれは左側だけで、右側は靴を脱いで上がることこそ同じであるもののガラスの填まったヒンジ扉で仕切られているなど、妙に洋風というか現代的になっていた
目に見える範囲にある他の襖や扉は閉じられているというのに、その扉だけはこっちへ来いと言わんばかりに開けられている
先に上がっていたはずのリリーはその扉の先に声を掛けると、案内することもなく奥に引っ込んでしまった
足元にはスリッパが1組だけ置かれており、普段から来客があるわけではないということを物語っている
履物を履き替え、開いた扉の前まで行くとその部屋の中で椅子に腰掛けていた人物が立ち上がった
リリーと同じく非常に長い髪ではあるが、艶がよく見える漆黒で部分ごとに切りそろえられたそれは全く違う印象を受ける
真紅の両の眼が此方を向いた
「貴方、名前は?」
「タクマ・・・八月一日拓真です」
名を訊かれたので答えると、テーブルの上に置いていた手紙のようなものを拓真に翳した
それだけで空間魔法に収納していた筈の紹介状が飛び出し、彼女の手元に収まる
その文面にサッと目を通し
「・・・なるほど
聞いているとは思うけど私が『ユーコ』
察しの通り偽名だから名前が対象になる呪の類いは使えないと思って頂戴」
・・・彼女の名は偽名だったらしい
一風変わった、というより一癖も二癖もありそうな自己紹介を聞いてから椅子を勧められたので一言断ってから腰掛けるのとほぼ同時、リリーがカップ2つとポットを運んでくる
軽い音と共にそれぞれの前にカップが置かれ、そのカップの丁度八分目の辺りまで紅茶が注がれる
2つのカップに紅茶を注ぎ終えると再びリリーは何処かへ引っ込んでいった
「それで、願いはこの通りかしら?」
紹介状と手紙をひらひらと振りながら掲げている
「はい、『模倣暴走』を制御下に置く方法を教えて欲しいです」
「私ならそのくらい容易いこと・・・けれども、対価が要るわ
お金でもいいんだけど、今はその気分じゃないわね
・・・貴方、オーエステ・シウダードで何か買っているでしょう
それをリリーに渡してきてちょうだい、彼女なら奥の調理場にいるはずよ」
「・・・それで、何故僕は料理を作ることになっているんでしょうか」
石造りのかまどの前に座り、団扇としか思えない道具と薪で火力の維持をしながらぼやく
「ユーコさんの指示ですから・・・」
リリーの返答には露骨に困惑が二人乗りしている
火に掛けられている鍋の中には拓真の持っていた芋の他、地球で言う人参、玉葱、豚肉、蒟蒻が入っており、それらは干し魚から煮出した汁の他、茹でた豆と小麦と塩を漬け込んで出来た上澄み―――つまり醤油そのもの―――で茹でられている
早い話が肉じゃがなのだが、入っている芋がジャガイモであるという根拠は何一つとしてない
少し時は遡り、『調理場にいるというのなら渡すのは食材の方だろう』と考えた拓真は調理場を探していた
尤も、極端に大きな屋敷というわけでもないので玄関(?)を背にして進み、突き当たりを右に曲がるとその右手側に扉がなく、代わりにのれんが掛けられた入り口が見える
覗いてみると確かに調理場で、リリーは流し台のような物の前に立っていた
「ユーコさんからこれを渡すように、と言われたんですが」
芋を取り出してから声を掛ける
「あ、最後の材料はそれだったんですね
畑には植えてないし貯蔵もないのでどうするんだろうと思っていたんですよ」
そう言った彼女が手に持っていたのは朱色の野菜である
多分人参か何かだろうな、と思いながらザルに乗った芋をそのまま渡そうとすると全部はいらない、ということで2個だけ持って水で洗い始めた
調理台らしいスペースの上には既にまな板と包丁が用意されているが、野菜を洗っているところを見ると使うのはもう少し後のようだ
そう考えながらまな板の方を見ていたのは一瞬だったのだが、丁度リリーがこっちを見た瞬間だったようで
「出来ればこれを切ってもらえると助かります」
と、洗ったばかりの人参を渡される
正直、包丁など家庭科の授業で時々やる調理実習くらいでしか握ったことがない
一応、人参は畑から抜いてきてからタワシを使って水洗いするので後は葉の部分を切り落としてから根の部分を乱切りにするだけなのだが、それでも手際の悪さというか馴れていないことがはっきりと分かったようで
玉葱の皮を剥き終わったので交代と告げられ、代わりに『表の薪を持ってこられるだけ持ってきて』との事だったので一度表に回り、調理場の勝手口を外から開けた上でその横に高々と積まれた薪の山から一度に抱えられるだけの量を持って戻ると
「これなら1度で済みそうですね、かまど横の棚の中に入れておいて下さい」と食材を切り分けながら言われたのでその通りにして表から戻る
それから具材を入れた鍋を置いた方のかまどに火を入れる
因みに出汁は予め濃いめに作っておいたものを調理のたびに薄めて使うため、今回は作らなくてもいいとのこと
殆どの具材は既に切って鍋の中に入れてあるので、やることといえば火を見ていることくらいである
そして鍋が煮立ってきた頃、匂いに釣られてきたのか芋を持ってくるように指示した本人が調理場に顔を出す
ただし、少しだけ見回した後に「よろしくね」とだけ言って去って行く
互いに顔を見合わせた時、リリーの表情には困惑が浮かんでいた
先程の板張りの洋室ではなく、畳張りの和室に置かれた座卓に人数分の肉じゃがと白米、そして誰の場所にとは敢えて言わないが徳利が数本置かれ、『戴きます』の合図と共に食べ始めた
・・・そう、白米である
今までの経験から小麦が主原料の物しか食べないと思いこんでいたのだが、鍋の横で先に火に掛けられていたのはどう見ても釜だったのだ
そのことに気が付いたのは蒸らしまで終わり、釜の蓋を開けてからの話である
全員が食べ終わり、リリーが食器の片付けを始めたところでユーコに声を掛けられる
「食事も終わったことだし、依頼料の話でもしましょうか」
単に何か食べたかっただけなんじゃなかろうかという考えが脳裏を一瞬掠めていった




