田宮みなと、祭りの後で
今更どう足掻いても、後の祭りだ。
わたし、田宮みなとは自分の部屋のベッドの中で後悔していた。
「みなとー? 大丈夫ですかー?」
ドアの向こうで心配してくれているお姉ちゃんに、大丈夫、と返す。すると、お姉ちゃんはとりあえず納得してくれたらしい。階段を降りる足音が聞こえる。
昨日の夜、夏休みに入って最初の土曜日にあった祭り。
その祭りで、わたしは人生初の失恋をしてしまった。
まだ、立ち直れそうには無い。
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わたしがその人を好きになったきっかけは単純で、少し前に困っていた所を助けられたから。ありきたりな理由だ。
でも、わたしにとっては本当に大きな事で、本当に嬉しくて、好きという気持ちを自覚するのに時間は掛からなかった。
わたしは、道隆さんが好き。初めての恋。とても痛い、苦しい気持ち。
何だか頭が重い。そういえば祭りが終わって、早めに寝て、もう昼過ぎだ。
わたしは体を起こしてぼうっ、とする。
「……諦める、かなぁ」
ぽつりと漏れ出た言葉。元々、歳の差もあるし、わたしは子供にしか見られてなかっただろう。なるべくしてなった結果。早めに気付いて良かったかもしれない。
助けてくれたお礼をするために電話をした時の心細さと、その日一番ドキドキしたポッキーゲーム。道隆さんの慌てた顔が目に浮かぶ。あの時は楽しかったなぁ。
でも、やっぱりわたしじゃ駄目だった。
お姉ちゃんと一緒に行った祭りの時、偶然見掛けた道隆さん。声を掛けようとして一歩踏み出すと、隣にいたのは綺麗な着物姿の女性だった。綺麗な綺麗な、大人の女性。
二人はとても楽しそうに輪投げをしていて、ああそういうことなんだな、とわたしは気付いて立ち止まった。
互いを信頼している笑顔。対等だから見せる表情。
道隆さんには恋人がいたのだ。わたしなんかじゃ、とてもじゃないけどかなわない、大人の女性。
どうにか何事もなかったかのように移動したけど、その後の祭りの記憶は曖昧だ。花火が綺麗だったけど、まるでわたしの恋みたいに上がって消えていくなぁ、と思った事は覚えている。
寝癖のついた短い髪をさする。道隆さんの恋人は輝くような長い黒髪だった。
伸ばそうかな。
昨日の祭りで散らばった心は、まだそんな事を考える。
もし、もっと積極的に近付いていたら。電話する前に何時間も悩んだりしないで、お姉ちゃんに言うような気軽さで接していたら。
わたしは後悔している。
「…………諦める……うん」
口に出して、心に決めたつもりでも、わたしの頭は無意識にもしも、とか、もしかしたら、を考える。終わらせないといけないのに。
わたしは意を決して膝の布団をどかし、ベッドから降りた。
いつまでもこうしちゃいられない。頼りないお姉ちゃんを支えるのはわたしだから。
昔からお姉ちゃんはそそっかしくて、ドジで、わたしがいないと家事も出来ない。わたしが物心ついてから、初めにやった行動が泣いているお姉ちゃんを慰める事だったくらいだ。
部屋のドアを開けて階下に降り、リビングのドアを開けた。日曜日だけど、自営業の両親は仕事だ。たまにわたし達も手伝いに行く。
「お姉ちゃん?」
さっき、確かに下に降りる音がした。お風呂だろうか。
とりあえず座ろう、とテーブルに移動すると、台所からお姉ちゃんが危なっかしい手つきでお盆を持ってきた。
「みなとー。おいしいおいしいココアですよー」
お姉ちゃんは慎重に慎重に、お盆をテーブルに載せて、ふう、と安堵のため息をつく。
「さ、召し上がれー」
「あ、ありがとう」
お姉ちゃんが台所に行く事自体、とても珍しい。行ったとしても、料理をすれば材料を焦がし、包丁を持たせれば怪我をする。
わたしはおずおずと手を伸ばす。目の前に置かれたココアは湯気が出ている。
はっ、と気付いてお姉ちゃんの手を見ると、右手の甲が赤くなっていた。
「お、お姉ちゃんっ、手っ」
「えっ? あっ! な、なんでも無いですよーっ」
わたしが火傷した手を取って見ようとすると、お姉ちゃんは慌てて両手を後ろに隠した。
「本当に大丈夫ですよー。ちょっとお湯がかかっただけで」
「大丈夫じゃ無いよ! 火傷してるなら早く手当てしないと……」
やっぱりわたしがいないと、お姉ちゃんは駄目なんだ。失恋なんかで悩んでる暇は無い。
立ち上がろうとすると、お姉ちゃんは火傷していない左手でわたしを制した。
「それより、わたしはココアを飲んで欲しいんですー」
お姉ちゃんはにこりと笑う。
「祭りの時に何があったかは知りませんー。でも、辛いときは甘い物が一番ですー」
お姉ちゃんには、わたしが道隆さんに恋をしている事を話している。でも、祭りの事は知らないはずだ。
それなのに核心を突かれて、わたしは何も言えずに体重を椅子に戻した。
失恋のこと、お姉ちゃんに言っておこうか。
わたしが決心して言おうとすると、お姉ちゃんは首を横に振った。
「まずは、ココアを一杯どうぞー」
言うタイミングを逃して、開いた口を渋々閉じる。
仕方なく、お姉ちゃんの視線を感じながらココアを啜った。
「…………美味しい」
口の中に広がる優しい甘味。
でしょー、とお姉ちゃんは言って、笑いながら頭を撫でてくる。
「悩み事がある時は、とりあえず甘い物を飲んで、そこから考えるんですー。そうしたら悪い考えは吹っ飛んで、良い考えも浮かびますよー」
ずず、ともう一口ココアを飲む。頭に感じる温もりと、甘いココア。
わたしはココアを置いて、なるべくいつも通りに話す。
「お姉ちゃん」
「なんですかー?」
「もし、勝ち目の無い戦いがあって、でもどうしても勝ちたい時があったら、どうする?」
お姉ちゃんは撫でる手を止めて、うーん、と唸ってから指を立てた。
「玉砕覚悟で特攻ですー」
当たって砕けろ。作戦もへったくれもない言葉に、わたしは思わず笑ってしまった。
「どうですかー? わたしのアドバイスは」
「お姉ちゃん、全然駄目だよ」
「あれー!? 全否定ですかっ?」
勝つ見込みはゼロ。それでも突っ込むなんて、普通に考えたら無駄でしかない。
わたしはお姉ちゃんの手を捕まえる。
「さ、手当てするから、じっとしててね」
「あっ、そ、そのくらい自分で出来ますー」
「そんな事言って、まず薬と包帯の場所分かるの?」
「うっ。…………テレビの横……?」
「残念。食器棚の下だよ」
ううっ、とうなだれるお姉ちゃんに座るように言って、わたしは薬と包帯を取りに向かう。 駄目駄目な姉はやっぱりわたしがいないと駄目だけど、こういう所があるから憎めない。
お姉ちゃんの手当てをしながら、わたしは自分がしっかりと立ち直っている事を確認して、それを言葉にした。
「うん。お姉ちゃんの言う通りにしてみるよ」
そうですかー、とお姉ちゃんは安心したように笑った。
ネバーギブアップ。ファイト、田宮みなと。試合はまだ始まってもいない。
今度また電話してみよう。デートに誘うんだ。また悩むかもしれないけど、ありったけの勇気を出して。
これだけ歳が違ければ、あの女性にも警戒されないはず。弱点を逆手に取ろう。
だって、わたしも立派な女なんだ。
「お姉ちゃん」
「なんですかー?」
お姉ちゃんはのんきに笑う。わたしは決意する。
「わたし、頑張るよ」
田宮みなとの初恋は、まだ終わらない。
田宮みなと、祭りの後で 了




