異世界で迎える最初の夜(前編)
召喚の儀式が終わった頃には、窓から差し込む陽もすっかり傾いていた。
大勢いた生徒たちや来賓も次々と講堂を後にし、つい先ほどまでの騒がしさが嘘だったかのように、学園には夕刻の穏やかな空気が戻り始めている。
その中を、優斗とルイは並んで歩いていた。
「じゃあ、部屋に、行きましょうか……?」
「……まだ照れてるのかよ。こっちまで恥ずかしくなるだろ」
「だ、だって……男の子と話したり、お部屋に呼んだりなんてしたことなくて……」
ルイは頬を赤く染め、視線を泳がせる。
その反応を見ていると、優斗まで妙に意識してしまいそうになる。
「俺だってそうだよ。女子なんて、妹くらいとしか話してなかったし」
「優斗、妹いるの!?」
それまで恥ずかしそうにしていたのが嘘のように、ルイが勢いよく顔を上げた。
「急になんだよ。ああ、いるよ」
「へぇー! どんな子!?」
「後でゆっくり話してやるから。とりあえず今は案内してくれ」
「うん! わかった!」
すっかりいつもの調子を取り戻したルイに連れられ、二人は学園の寮へ向かった。
◇ ◇ ◇
「生徒の中には家から通う子もいるけど、大半はここの寮で暮らしてるよ。私は親の方針で、兄妹全員学校の寮に住んでるの」
「ふーん、そうなんだ」
優斗は周囲を眺めながら相槌を打つ。
石造りの校舎。見たことのない植物。行き交う生徒たちの色とりどりの髪。
改めて眺めてみても、自分が今朝までいた日本とは何もかもが違う。
「そういえば、お姉さんもいるって話だったけど、ルイって何人兄弟なの?」
「四人兄弟だよ!」
「全員ここに通っているのか?」
「うん! そうだよ」
「全員この学園に……?」
優斗は思わず足を緩めた。
「確認だけど、ここって名門校なんだよな?」
「そうだよ?」
「兄弟全員って、お前の家どんな家だよ……」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
ルイはきょとんと首を傾げる。
「私、この国の王様の娘だよ」
「…………え?」
優斗の足が完全に止まった。
数秒遅れて、言葉の意味が頭に染み込んでくる。
「え??? どういうこと? それってマジ?」
「うん。そうだよ」
「じゃあお前、マジの王族……?」
「うん」
「で、俺はそのお嬢様のサーバント……?」
「そうなるね!」
「荷が重い……」
優斗はがっくりと肩を落とした。
「大丈夫だよ! 王族って言っても私はこんなだし!」
「フォローになってねえよ……」
「えぇ!?」
そんな話をしながら歩いていると、ルイが「あっ!」と声を上げ、前方を指差した。
「着いたよ! ここが学園の寮!」
優斗は顔を上げる。
「……これが、寮?」
目の前に現れた建物は、寮という言葉から想像していたものとはかけ離れていた。
学園の校舎と同じく、白い石壁を基調とした重厚な造り。規則正しく並ぶ窓に、装飾の施された柱。そして玄関には、大人が何人も並んで通れそうな巨大な扉がそびえている。
まるで小さな城だ。
「へえ……これが寮か。これもまるで城みたいに綺麗だな」
「でしょ?」
「だけど、ほとんどの学生が暮らしてる割には小さくないか?」
優斗が建物全体を見上げながら尋ねる。
するとルイは待ってましたと言わんばかりに胸を張った。
「ふっふーん! これだから異世界者は! 魔法を侮ってはいけません!」
「なんだその言い方」
半日前まで泣きそうな顔をしていた少女と同一人物とは思えない。
得意げなルイを見て、優斗は思わず苦笑した。
「扉を開けてみたらわかるよ!」
「はいはい」
言われるがまま、優斗は巨大な扉へ手をかける。
半信半疑のまま押し開き――。
「…………は?」
その疑いは、一瞬で吹き飛んだ。
「嘘だろ……これが学校の寮……?」
扉の向こうには、高級ホテルのエントランスを思わせる広大な空間が広がっていた。
見上げるほど高い天井からは巨大なシャンデリアが吊り下げられ、磨き上げられた床には上質そうな絨毯が敷かれている。
何より――広い。
どう考えても、外から見た建物の大きさと釣り合っていない。
「おかえりなさいませ!」
入口にいたコンシェルジュが、二人に向かって丁寧に頭を下げた。
「ただいま! ありがとう! ほら、優斗、早く!」
「え? あ、ああ……」
ルイに急かされ、優斗も中へ足を踏み入れる。
何度見回しても理解できない。
建物内の面積が、明らかに外観より大きいのだ。
日本では百パーセントありえない。
「な、なあ。明らかに室内、広くないか?」
「空間拡張魔法だよ」
「……くうかん、かくちょう?」
「そう。外から見える建物より、中の空間を広くできるの」
「マジかよ……そんな魔法まであるのかよ……」
魔法という言葉を聞くたび、優斗の中にあった常識が一つずつ壊されていく。
「でも、すっごく難しい魔法だから、どこでも使えるわけじゃないよ。この寮も、当時最高峰だった魔法建築家たちが何人も関わって作ったんだから!」
「そ、そうか。そういうものなのか……」
もはや驚くことにも疲れてきた。
異世界に召喚されてから、まだ半日も経っていない。
なのに、今日だけで一生分の「ありえない」を見せられた気がする。
「私の部屋は三階だからね。こっちだよ!」
「ちょっと、待ってくれ……!」
元気よく先へ進むルイを、優斗は重い足取りで追いかけた。
◇ ◇ ◇
三階へ上がり、しばらく廊下を歩く。
やがて一つの部屋の前で、ルイが立ち止まった。
「ここが私の部屋、だけど……」
ドアノブへ手をかけたルイの動きが止まる。
「……ちょっと待ってて!!」
「ん? なんで?」
「いいから! ちょっと待ってて!」
「お、おう……?」
ルイは慌てて部屋へ飛び込むと、優斗の返事も待たずに扉を閉めた。
「なんなんだ……一体……」
直後。
扉の向こうから、ドタドタと慌ただしい足音が聞こえ始めた。
何かを引きずる音。
扉を開閉する音。
そして、何かが崩れ落ちるような音。
「…………」
優斗は聞かなかったことにした。
それから五分ほど経った頃、ようやく扉が少しだけ開く。
「お、お待たせしました……」
隙間から顔を出したルイは、どこかやり切ったような表情をしていた。
「やっと入れるのか……。お邪魔します~」
中へ入ると、まず玄関があり、優斗は用意されていたスリッパへ履き替えた。
廊下の突き当たりにある扉を開ける。
「うわ……」
そこには、優斗の実家のリビングよりも広い空間が広がっていた。
大きなソファーにテーブル。キッチンとダイニングまで備えられ、生活に必要そうなものは一通り揃っている。
だが、優斗の視線を引いたのは豪華な内装ではなかった。
飾り棚には可愛らしいぬいぐるみが並び、その隣には友人たちと撮ったのであろう写真がいくつも飾られている。
さらに視線を移すと、トロフィーや賞状まであった。
(結構いろんな賞取ってるんだな……)
入学式で聞いた話だけなら、とても「落ちこぼれ」と呼ばれるような少女には見えない。
「どう……? 変……かな、私の部屋?」
「いや……」
優斗は室内を見回す。
そして、ある一点で視線を止めた。
「なんか色々物が偏ったり、半開きの箱がありますけど……?」
「ちょ、それは見ないで!」
明らかに先ほど慌てて押し込んだであろう荷物が、物置の扉から今にも雪崩を起こしそうになっている。
優斗はニヤリと笑い、その扉へ手を伸ばした。
「どれどれ――」
「そこは開けちゃダメぇぇぇ!!」
「冗談だよ」
「もう!」
慌てて物置の前に立ちはだかるルイを見て、優斗は笑う。
「すげえ素敵な部屋だよ。……豪華すぎるけどな」
「えへへ……ありがとう」
ルイは嬉しそうにはにかんだ。
「優斗の部屋はこっちだよ!」
リビングを出て廊下へ戻り、左手にある扉を開く。
そこには八畳ほどの部屋が用意されていた。
ベッドに勉強机、本棚。そしてクローゼットまで揃っている。
「マジかよ。実家の自分の部屋より快適だぞ……」
「よかった!」
ルイは満足そうに頷いた後、向かい側にある扉をちらりと見た。
「私の部屋は反対側の扉にあるけど、あの……」
「ん? どうした?」
「その……は、入っちゃダメってことはないけど……」
ルイは両手の指先を合わせ、もじもじしながら視線を逸らす。
「ちゃんとノックしてから、入ってね?」
「…………」
優斗も一瞬、向かいの扉を見る。
その向こうが、同年代の女の子の寝室。
そう考えた途端、急に意識してしまった。
「あ、ああ……。心得た」
「あ、ありがとう……」
「…………」
「…………」
何とも言えない気まずさが二人の間を流れる。
「あ、あのさ……」
「は、はい! なんでしょう……?」
「俺、替えの服とか下着とかないんだけど……」
「あー!」
ルイがぽんと手を打った。
「そういえば、それも言ってなかったね。優斗の部屋のクローゼットを見てごらん!」
「クローゼット?」
言われるがまま扉を開けた優斗は、再び固まった。
「……え? なんで俺の服があるんだ?」
中にはシャツやズボン、部屋着に下着まで、生活に必要な衣類が一通り用意されていた。
「サーバントの服は学校側が支給することになってるんだよ! 召喚してすぐだから、学校側も大変だなぁ~って思うよ」
「なるほどな……。色々言いたいことはあるが、着替えがあるのはありがたい……」
「クローゼットで、もう一つ気づくことない?」
「もう一つ?」
衣類を見ていた優斗の目が、端に掛けられた一着で止まった。
「え? まさかこれって……!」
そこには、アーノルド学園の制服が掛けられていた。
「着てみてよ!」
「お、おう」
「じゃあ外で待ってるね!」
ルイが部屋から出ていく。
優斗は制服を手に取り、しばらく眺めた。
(俺が……また学校に行くのか)
制服なんて、もう着ることはないと思っていた。
学校へ行かなくなってから、ずっとクローゼットに掛けっぱなしだった制服。
あれを見るたび、何とも言えない気持ちになった。
なのに今、優斗は自分から新しい制服に袖を通そうとしている。
(……人生、何があるか分からないもんだな)
優斗は静かに着替え始めた。
「着替え終わったよ」
「入るよー!」
声をかけると、ルイが勢いよく部屋へ入ってきた。
「おお!」
優斗の姿を見た瞬間、その顔がぱっと明るくなる。
「すごく似合ってる! これで学園の生徒だね!」
「すげぇ……ピッタリだ……」
ブレザータイプの制服は、由緒ある名門校らしく、落ち着いた気品のあるデザインだった。
鏡に映る自分を見つめる。
日本にいた頃とはまったく違う制服。
それなのに、制服を着た自分の姿はどこか懐かしくも見えた。
「なんか……恥ずかしいな」
優斗が照れ笑いを浮かべた、その時だった。
ぐぅ~~。
可愛らしい音が部屋に響く。
「…………」
「…………」
優斗の視線が、ゆっくりとルイへ向く。
「~~~~~っ!」
ルイの顔が一気に真っ赤になった。
「ははは! 俺も腹減ったし、着替えたら飯に行こうぜ。寮の案内がてらに」
「う、うん……」
消え入りそうな声で答えるルイを見て、優斗はまた笑った。




