君と契約する理由
辺りが静まり返った。
俺はルイの前に立ったまま、真っ直ぐアレンを睨みつけていた。
さっきまであれだけ威勢よくルイを責め立てていたアレンが、わずかに後ずさる。
「なんだよ……召喚もできなかった奴に言って何が悪いんだよ!」
「別に悪いなんて言ってねえだろ」
「なっ……」
「単に、落ちこぼれって言う方が落ちこぼれてるって言ってんだよ」
そう言って、俺は口元に不敵な笑みを浮かべた。
アレンの頬がぴくりと引きつる。
「ルイは初等部の時、一番優秀な生徒だったんだろ?」
俺の言葉に、アレンの表情が変わった。
その反応を見て、ふと引っかかる。
こいつらは、ルイがサーバント召喚に失敗したことを何度も馬鹿にしていた。
でも――本当に、それだけなのか?
「……お前ら、もしかして昔からこいつのことが気に食わなかったんじゃないのか?」
「……何?」
「優秀だったこいつが、一度失敗した。だから、ここぞとばかりに『落ちこぼれ』って呼び始めた」
「な、何言ってんだよ……!」
アレンが露骨に顔を歪める。
俺はその反応を見て、鼻で笑った。
「なんだ。図星かよ」
「……っ!」
アレンは何も言わない。
否定すらしない。
もちろん、本当のところは分からない。
けれど、失敗した相手をここまで執拗に追い詰める理由が、単なる嫌がらせだけとは思えなかった。
「いいか、よく聞け!」
一歩、アレンへ踏み出す。
「俺はな、たった一回の失敗を餌に、人の自信を根こそぎ奪って楽しむ――そんな奴が大嫌いなんだよ!」
「……っ!」
アレンの口が開く。
だが、言葉は出てこない。
周囲からも声は上がらなかった。
さっきまで俺たちを遠巻きに眺めていた生徒たちも、黙ったままこちらを見ている。
「どうした? さっきまでの威勢は?」
「…………」
アレンは俯き、両拳を強く握りしめた。
「……れよ」
「あ?」
「黙れって言ってんだよ!」
突然、アレンが顔を上げた。
怒りで顔を真っ赤にし、杖を持っていない左手を前へ突き出す。
「出てこい! ガロン!」
次の瞬間――。
アレンの前に眩い光が溢れた。
「っ……!」
思わず目を細める。
光が収まるにつれ、その中から巨大な影が姿を現した。
俺より一回りは大きい。
人の形こそしているが、全身がごつごつとした岩に覆われている。
例えるなら――岩男。
その言葉が一番しっくりくる。
「ゴシュジン、ドウシタ?」
岩男――ガロンが、地面を震わせるような低い声で尋ねた。
「あいつが俺をバカにしやがった! なんでもいい、あの男をやれ!」
「ショウチシタ……」
ガロンがこちらを向いた。
そして、一歩。
ドスン。
また一歩。
ドスン。
重い足音を響かせながら、ゆっくりと俺に近づいてくる。
(これが、こいつのサーバント……?)
全身を覆う岩のような身体を見る限り、力はありそうだ。
ただ――動きは鈍そうだ。
「オレ、オマエニ、ウラミハナイケド、ゴシュジンノタノミ。オレ、オマエ、ヤル」
「いや、恨みないならやるなよ……」
思わずそう返したが、ガロンは止まらない。
ゆっくりと右拳を振り上げる。
(動きは遅い。あの速さなら、見てからでも――)
そう思った瞬間だった。
「――っ!?」
振り上げられた拳が、一気に加速した。
岩の塊が、視界いっぱいに迫る。
「嘘だろ……!」
反射的に身体を右へ投げ出す。
直後――轟音。
「きゃっ!」
背後からルイの悲鳴が聞こえた。
地面に転がった俺の頬を、細かな石片が掠めていく。
衝撃が足元から伝わり、身体が小さく跳ねた。
恐る恐る顔を上げると、ついさっきまで俺が立っていた場所にガロンの拳がめり込んでいた。
地面が大きく抉れ、周囲には砕けた石が飛び散っている。
拳を中心に、直径一、二メートルほどの窪みができていた。
(――見てからでも間に合う、なんて思った俺が馬鹿だった)
背筋に冷たいものが走る。
あと一瞬、反応が遅れていたら。
あの窪みの中に、自分がいた。
「っぶねえな! 殺すつもりかよ!」
「クソ、ハズシタ。ツギハ、ニガサナイ」
「会話成立してねえだろ……!」
慌てて立ち上がり、ガロンから距離を取る。
まずい。
まともに食らったら、ただじゃ済まない。
祖父の道場でも、これほどの一撃を受けたことはない。
いや、当たり前だ。
人間が素手で地面をこんなふうに抉れるわけがない。
(これが……異世界の戦いってやつか)
喉が乾く。
自分の呼吸が、妙にはっきり聞こえた。
けれど、ここで立ち尽くしていたら次の一撃が来る。
(素手でこいつとやるのは無理がある。何か……何かないか)
周囲を素早く見回す。
逃げ惑う生徒。
遠巻きにこちらを見ている生徒。
その中の一人の腰元に――。
(……あった!)
剣。
俺はすぐさまその生徒へ駆け寄った。
「ごめん! ちょっと借りるね!」
「え? あっ、ちょっと!」
返事を待つ余裕はない。
腰の鞘から剣を引き抜く。
ずしりとした重みが両手に伝わった。
竹刀とは違う、刃のついた武器の重さ。
それでも――。
(長さは竹刀とほとんど同じか)
握りを確かめ、両手で柄を持ち直す。
祖父の道場で何度も繰り返した構えを取ると、不思議と呼吸が落ち着いていった。
ガロンへ切っ先を向け、腰を落とす。
二人の間合いは、およそ二、三メートル。
ガロンがこちらの様子を窺っている。
俺も動かない。
静かな睨み合いが続く。
「どうした、木偶の坊? 今の一発だけか?」
「デク? ナニヲイッテル?」
「……おいおい、そこに引っかかるのかよ」
思わずため息が漏れた。
だが、そんな軽口とは裏腹に、頭の中は必死に動いていた。
あの拳を受ければ終わる。
剣で防いだところで、腕ごと砕かれるかもしれない。
まともに打ち合うのは無理だ。
狙うなら、相手が拳を振り下ろした直後。
あの巨体が動きを止める、一瞬の隙しかない。
(……怖いな、これ)
自分でも驚くほど、素直な感想だった。
それでも、逃げるわけにはいかない。
背後にはルイがいる。
それに、俺が逃げれば、今度は周囲の生徒が巻き込まれるかもしれない。
(このままだとジリ貧だ。一か八か――)
柄を握る両手に力を込める。
ガロンがわずかに身を沈めた。
来る。
次の一撃を避け、その懐へ飛び込む。
(行く!)
意を決し、踏み出そうとした――その刹那。
「そこまでだ」
低い男の声が響いた。
「――っ!?」
足が止まる。
気づけば、俺とガロンの間に一人の男が立っていた。
(いつからそこにいた……?)
全然気づかなかった。
男はこちらに背を向け、静かにガロンを見上げている。
俺たちと同じ制服。
(制服……ってことは、こいつも学生なのか?)
「お前たち」
男が静かに口を開く。
「校内で、しかも入学式早々に何をしている」
大声ではない。
それなのに、空気が一瞬で変わった。
さっきまで俺に拳を振り下ろしていたガロンさえ、その場から動かない。
ガロンの巨体を前にしても、男は一歩も退かなかった。
(なんだ、こいつ……)
背中を冷たい汗が伝った。
すごい気迫だ。
何もしていない。
ただ、そこに立っているだけ。
なのに、俺は剣を構えたまま動けなかった。
「やめて、お兄ちゃん!」
後ろからルイが飛び出してきた。
「優斗は悪くないの!」
「……お兄ちゃん?」
俺は男とルイを交互に見る。
「って、この人が……」
「ハ、ハヤトさん……!」
アレンの声が裏返った。
さっきまでの怒りはどこへ行ったのか、顔が一気に青ざめている。
「こ、これはち、違うんです。お、おいお前ら! 行くぞ!」
「あ、アレン、待ってよ~!」
「お、俺を置いていくなよ~!」
三人が逃げ出そうとした、その時。
「待て」
ハヤトの一言に、アレンたちの足が止まった。
「……ひっ!」
「勝手に立ち去るな。後で事情を聞く。担当の教師のところへ行って待っていろ」
「は、はい……!」
三人は青ざめたまま、近くにいた教師のもとへ駆けていった。
その場に残されたガロンだけが、三人の背中を見送っている。
それから、ハヤトへ顔を向けた。
「オレモ、ニゲタホウガ、イイ?」
「…………」
ハヤトが無言で頷いた。
「ワカッタ」
ガロンの身体が淡い光に包まれ、そのまま光の粒となって消えていく。
(……なんなんだ、あいつ)
敵だったはずなのに、最後だけ妙に憎めなかった。
「召喚早々、大変だったみたいだな」
ハヤトがこちらを振り返った。
「う、うん。迷惑かけてごめんなさい……」
「まあ、これくらいは生徒会長の仕事の範疇だ」
(生徒会長……)
ハヤトは俺へ視線を移した。
一瞬だけ目が合う。
そして、何かを見定めるように俺を眺めたあと、不敵な笑みを浮かべた。
「……?」
何なんだ、この人。
さっきの威圧感が嘘のように消えている。
それでも、剣を握る手にはまだ汗が滲んでいた。
俺が尋ねるより先に、ハヤトは生徒たちへ向き直った。
「みんな、中央広場へ戻れ!」
その一声で、集まっていた生徒たちがぞろぞろと動き始める。
ハヤトもその流れに加わろうとして――ふと足を止めた。
「お前たちもだ」
俺とルイを見る。
「二人で戻りながら、ちゃんと話し合うんだな」
「……うん」
それだけ言い残すと、ハヤトは俺たちから離れていった。
しばらく、その背中を眺める。
やっぱり、よく分からない人だ。
「……優斗」
「ん?」
振り返ると、ルイが俺を見ていた。
「助けに来てくれて、ありがとう」
「別に」
照れ臭くなって、視線を逸らす。
あの時、ルイが殴られそうになっているのを見て、身体が勝手に動いた。
それだけだ。
けれど――。
「どうして……助けてくれたの?」
ルイが不思議そうに首を傾げる。
「私たち、まだちゃんと話したこともなかったのに……」
「あー……」
どう説明したものか。
「色々見たし、聞いたんだよ。お前の友達から」
「マリとアンナ?」
「そう。それに――」
さっきの光景が頭に浮かぶ。
震えながらも、アレンたちに向かって声を上げたルイ。
あいつは、最後まで怖がっていた。
それでも、自分の言葉を引っ込めなかった。
「お前の、あの言い返しも良かったというか……刺さったというか……」
「?」
ルイがまた首を傾げる。
くそ。
自分でも何言ってるのか分からなくなってきた。
「ああ、もう!」
頭を掻きながら、ルイを見る。
「とにかく、放っておけなかったんだよ! いいだろ、これで!」
一瞬、ルイがぽかんとした。
そして――。
「ふっ……あはははは!」
「な、なんだよ!」
「ううん。なんでもない!」
ルイは目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、俺に笑いかけた。
「ありがとう!」
「…………」
その笑顔をまともに見られず、思わず顔を逸らす。
たぶん今、俺の顔は赤い。
けれど、胸の奥にはまだ引っかかっているものがあった。
俺は、この世界に来たかったわけじゃない。
こいつに召喚されることを、了承した覚えもない。
それは今も変わらない。
だから、さっき契約を断ったことを間違いだったとは思わない。
でも――。
この短い時間で、ルイについて少しだけ分かったことがある。
昔は誰よりも魔法が好きで、努力を重ねてきたこと。
たった一度の失敗から、周囲に馬鹿にされ続けてきたこと。
そして今日、怖くても自分の足で立ち上がったこと。
(……こいつは、諦めなかったんだよな)
誰かを信じたって、裏切られるかもしれない。
そんなことは、嫌というほど知っている。
けれど、裏切られるのが怖いからといって、最初から誰も信じなければ――。
俺は、いつまで経っても一人のままだ。
ルイは俺に、どうなりたいのかと聞かれて、自分なりの答えを見つけた。
なら、今度は俺の番なのかもしれない。
誰かに決められたからじゃない。
自分で選ぶんだ。
「……それと」
「ん?」
「さっき断った契約」
足を止める。
ルイも数歩先で立ち止まり、こちらを振り返った。
「あれ……まだ間に合うのか?」
「え……?」
ルイがきょとんとする。
数秒遅れて、その言葉の意味に気づいたのだろう。
大きな瞳が、さらに大きく見開かれた。
「……うん!」
今度の笑顔は、さっきよりもずっと嬉しそうだった。
「もちろん!」
「そっか」
「じゃあ、戻ろっか!」
「ああ」
並んで歩き出す。
召喚された直後は、あれほど信用できなかった少女。
まだ、すべてを信じられるわけじゃない。
これから先、何が待っているのかも分からない。
それでも今は、不思議とその隣を歩くことに抵抗がなかった。
◇ ◇ ◇
中央広場へ戻ると、召喚式はすでに終わりを迎えようとしていた。
俺とルイが戻ってきたことに気づき、何人もの生徒がこちらを見る。
その視線の中を進み、俺たちは再び魔法陣の上に立った。
向かい合う。
「それじゃあ……いくね」
「ああ」
ルイが一度目を閉じる。
そして胸の前に右手を添え、ゆっくりと目を開いた。
さっきまでの柔らかな表情とは違う。
王族としての顔なのか。
真っ直ぐ俺を見つめ、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「我、ルイ=アルベルト=フローレスの名において問う」
その声に呼応するように、足元の魔法陣が淡く光り始める。
「我は汝を従える者にあらず。汝と共に歩む者なり」
従える者にあらず――。
その言葉が、不思議と胸に残った。
「異なる地より来たりし者よ。我が声に応え、我と共に歩むことを誓うか?」
ルイが右手を差し出した。
最初に召喚された時と、同じように。
あの時の俺は、その手を取らなかった。
何も分からない世界。
知らない人間。
信用なんて、できるはずがなかった。
でも――今は違う。
すべてを信じられるようになったわけじゃない。
それでも、この手を取るかどうかは、俺が決められる。
俺は迷わず、右手を差し出した。
ルイの手を、しっかりと握る。
「……ああ。誓う」
ルイが小さく微笑んだ。
「ならば我も誓う。汝の力のみを求めず、汝の心を尊び、その意志を決して縛らぬことを」
足元の光が強くなる。
「二つの魂、ここに結ばれん――」
ルイが俺の右手を強く握る。
「サーバント契約」
瞬間――。
魔法陣から溢れ出した光が、俺たち二人を包み込んだ。
「っ……!」
左手が熱い。
焼けるような痛み――ではない。
何かが身体の中へ流れ込み、俺とルイの間に一本の見えない道が繋がっていくような、不思議な感覚。
光が収まる。
左手を見ると、そこには今までなかった紋様が刻まれていた。
「これが……契約の刻印?」
「うん」
ルイが自分の右手を見せる。
そこにも、俺と対になるような刻印が浮かんでいた。
ルイと目が合う。
どちらからともなく、笑った。
「これにて――」
教師の声が中央広場に響き渡る。
「今年のサーバント召喚式を終幕とする!」
次の瞬間、大きな歓声が沸き起こった。
鳴り止まない歓声の中、俺は右隣に立つ緑髪の少女を見る。
つい数時間前まで、名前すら知らなかった少女。
その少女が今は、俺の隣で嬉しそうに笑っている。
この出会いが、俺の人生をどう変えていくのか――。
この時の俺は、まだ知る由もなかった。




