それでも、魔法が好きだった
優斗が会場を出ていくと、周囲がざわめき始めた。
ルイは閉じられた扉を見つめたまま、立ち尽くしていた。
(私なりの答え……)
――お前は、どうなりたいんだ?
優斗に問いかけられた言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
どうすれば契約してもらえるのか。
何を言えば、彼は納得してくれるのか。
考えようとしても、何一つ思い浮かばなかった。
「ルイちゃん!」
「……マリちゃん」
振り向くと、マリが心配そうに駆け寄ってきた。
「とりあえず、ここから離れよう! こんなところじゃ落ち着いて考えられないでしょ?」
「でも、先生が……」
「大丈夫! 私がお願いしてくる!」
マリはルイの返事を待たず、近くにいた教師のもとへ走った。
「先生! ルイちゃんを別の場所で考えさせてあげてもいいですか?」
教師は少し考え、頷いた。
「分かりました。ただし、三十分以内には戻ってきてくださいね」
「ありがとうございます!」
マリはすぐに戻ってくると、ルイの手を取った。
「さ、行こう!」
「う、うん!」
二人は会場をあとにした。
◇ ◇ ◇
たどり着いたのは、校舎裏にある小さな中庭だった。
花壇を囲むように木々が植えられ、中央には古びたベンチが置かれている。
ルイとマリ、そしてアンナが休み時間によく訪れる、お気に入りの場所だ。
「ふぅ……ここなら落ち着けそうね」
「ありがとう、マリちゃん」
「いいってことよ! さあ、一緒に考えよう!」
マリがベンチに腰を下ろし、隣をぽんぽんと叩く。
しかし、ルイは首を横に振った。
「……私、一人で考えてみたい」
「え?」
「彼が聞いたのは、私がどうしたいかってことだったから」
ルイは胸元で両手を握りしめた。
「マリちゃんに考えてもらった答えじゃ、きっと意味がないと思うの」
マリは少し驚いたように目を丸くした。
それから、ふっと微笑む。
「……そっか。そうだよね」
立ち上がり、大きく伸びをした。
「じゃあ、私はちょっと散歩してくる! あとで迎えに来るからね」
「うん。ありがとう」
「困ったら、いつでも呼んでよ?」
そう言い残して、マリは中庭をあとにした。
一人になったルイは、ベンチに腰を下ろした。
膝の上に置いた両手を見つめる。
(……どうなりたいのか)
考えても、すぐには答えが出なかった。
少し前までなら、迷わず答えられたはずなのに。
(私、どうしてこんなふうになっちゃったんだろう……)
魔法の勉強が嫌いだったわけじゃない。
むしろ、誰よりも好きだった。
お兄ちゃんやお姉ちゃんに追いつきたくて、毎日夢中で勉強していた。
それなのに、いつからだろう。
魔法を使うことが、怖くなってしまったのは。
ルイはそっと目を閉じた。
すると、懐かしい光景が浮かんできた。
◇ ◇ ◇
――初等部に通っていた頃。
「見て見て、マリちゃん!」
幼いルイは、授業で使っている杖を両手で握りしめていた。
「昨日できなかった魔法、もう一回やってみるね!」
「うん! 頑張って!」
マリが期待に満ちた目で見守る。
ルイは小さく息を吸い、杖の先に意識を集中させた。
ぽうっ、と淡い光が灯る。
「あっ……!」
光は小さく揺れながらも、消えることなく輝き続けた。
「できた! マリちゃん、できたよ!」
「すごーい! 昨日は全然できなかったのに!」
「えへへ! いっぱい練習したんだから!」
ルイは嬉しそうに杖を掲げた。
昨日は何度挑戦しても、ほんの一瞬しか光らなかった。
先生に聞いて、本を読んで、何度も練習して。
そして今日、ようやく成功した。
それが、たまらなく嬉しかった。
「私、もっともっと魔法が上手になりたい!」
「ルイちゃんなら、きっとなれるよ!」
「うん! いつかお兄ちゃんやお姉ちゃんより、すごい魔法使いになるんだから!」
あの頃は、そんな夢を当たり前のように口にしていた。
失敗しても、恥ずかしくなんてなかった。
できなければ、できるまで練習すればいい。
新しい魔法を覚えるたび、世界が少しずつ広がっていくようだった。
初等部の卒業研究が最優秀論文に選ばれた日も、嬉しくて仕方がなかった。
家に帰るなり、両親のもとへ駆け寄った。
「お父様! お母様! 聞いてください!」
「どうしたんだい、ルイ?」
「私の研究が、最優秀論文に選ばれたんです!」
「おお! それはすごいじゃないか!」
父が満面の笑みを浮かべる。
「さすがルイだ。お父さんも鼻が高いぞ!」
「ふふっ。お姉ちゃんたちもうかうかしていられないわね」
母も嬉しそうに笑った。
「えへへ……!」
褒めてもらえるのは嬉しかった。
頑張ってきたことを認めてもらえるのも。
でも、それ以上に。
昨日まで知らなかった魔法を知ること。
昨日までできなかったことが、今日できるようになること。
ただ、それだけで。
胸が躍るほど、楽しかったのだ。
◇ ◇ ◇
「……そっか」
ルイはゆっくりと目を開けた。
木々の間から差し込む陽射しが、足元を柔らかく照らしている。
「私……魔法が好きだったんだ」
口にした途端、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
そんな当たり前のことを、どうして忘れていたのだろう。
昨年の召喚の儀式に失敗してから、すべてが変わってしまった。
周りの目が怖くなった。
また失敗したらどうしよう。
笑われたらどうしよう。
お兄ちゃんやお姉ちゃんと比べられたら、どうしよう。
いつしか、魔法を使うたびにそんなことばかり考えるようになっていた。
失敗を恐れて挑戦することさえ避けるうちに、以前は簡単に使えていた魔法まで失敗するようになった。
そして、また笑われた。
(……私、何をしてたんだろう)
魔法を楽しむことより、失敗しないことばかり考えていた。
誰かに認めてもらいたくて。
誰にも馬鹿にされたくなくて。
気づけば、自分が何をしたいのかさえ分からなくなっていた。
――お前は、どうなりたいんだ?
優斗の言葉が蘇る。
さっきは答えられなかった。
でも、今なら。
「……もう一度」
ルイは膝の上で拳を握った。
「もう一度、あの頃みたいに魔法を使いたい」
失敗を怖がらずに、新しい魔法に挑戦したい。
お兄ちゃんやお姉ちゃんにも負けないくらい、強くなりたい。
そしていつか、みんなが憧れるような魔法使いになりたい。
「私……まだ、諦めたくない」
もちろん、怖さが消えたわけじゃない。
明日から急に、昔の自分に戻れるとも思わない。
また失敗するかもしれない。
また笑われるかもしれない。
それでも。
もう一度、頑張ってみたい。
ルイは顔を上げた。
その瞳には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
――その時だった。
「おっ! いたいた!」
「――っ!」
聞き覚えのある声に、ルイの肩が跳ねた。
中庭の入口に、三人の男子生徒が立っている。
アレン、ロト、フリッツ。
いつも自分を馬鹿にしてくる三人組だった。
「なんで……ここが分かったの?」
「お前らがよくここに来てるの、知ってたからな」
アレンがにやりと笑う。
「それより、サーバントに契約を断られた気分はどうだ?」
「……っ」
「せっかく召喚できたのに、今度は相手にしてもらえないなんてな!」
ロトとフリッツも笑い出した。
ルイは思わず視線を落としかける。
いつもなら、ここで何も言い返さなかった。
黙っていれば、そのうち飽きて立ち去ってくれる。
そうやって、何度もやり過ごしてきた。
けれど――。
(……もう、嫌だ)
ルイは震える指を握りしめた。
「……今、考えているところなの」
「あ?」
「彼と、どうすれば契約できるのか……考えているところなの。だから、邪魔しないで」
三人の笑い声が止まった。
「……おい。今、何て言った?」
アレンが眉をひそめる。
「邪魔しないでって……言ったの」
声は震えていた。
それでも、ルイは顔を上げたまま答えた。
「へえ。サーバントを召喚できたからって、急に強気になったじゃねえか」
「昨年は一人だけ失敗しましたからね。よほど嬉しかったのでしょう」
「ははっ! あの時の顔、今でも覚えてるぜ!」
胸が痛んだ。
何度やっても反応しなかった召喚陣。
周囲から向けられた視線。
そして、聞こえてきた笑い声。
忘れたくても、忘れられない。
「……嬉しかったわよ」
「何?」
「召喚できて、嬉しかったって言ってるの」
ルイは小さく息を吸った。
「これで、もう馬鹿にされなくて済むって……そう思ったもの」
「はっ! だったら、契約までちゃんと成功させろよ!」
アレンが鼻で笑う。
「どうせまた失敗するんだろ? 落ちこぼれのくせに!」
「……っ」
何度も聞かされてきた言葉。
いつしか、自分でもそうなのだと思い込むようになっていた言葉。
けれど、今は違う。
「……私は、もう諦めないって決めたの」
「……は?」
「また失敗するかもしれない。でも、もう一度頑張りたいの!」
アレンは一瞬、呆気に取られたような顔をした。
しかし、すぐに口元を歪める。
「……ふん。落ちこぼれが、偉そうなこと言いやがって」
アレンが腰に差していた杖を抜き、ルイへ向けた。
「だったら、今ここで実力を見せてみろよ!」
「……っ!」
ルイは息を呑んだ。
「こ、校内で先生の許可なく魔法を使うのは、校則違反よ!」
「そんなこと知ってるよ」
アレンは周囲を見回した。
中庭には、まだほかの生徒の姿はない。
「でも、先に喧嘩を売ってきたのはお前だろ?」
「私は、喧嘩なんて……!」
「うるせえ!」
アレンの杖先に、黄色い光が集まり始める。
パチパチと小さな音を立て、雷光が弾けた。
ルイも反射的に両手を前へ構えた。
怖い。
今すぐ逃げ出したい。
それでも、ここで背を向けたくはなかった。
「雷光よ、敵を撃て――《スパーク》!」
アレンの杖先から、雷光が放たれた。
「我が前に集いて、災いを阻む盾となれ――《プロテクト》!」
ルイの前に、透明な障壁が展開される。
黄色い閃光が障壁へ迫った。
(お願い……!)
激しい音とともに、雷光が衝突する。
――防げた。
そう思った、次の瞬間。
「えっ……?」
一本だったはずの雷光が、三つに枝分かれした。
正面の一本は障壁に弾かれた。
しかし、残る二本が左右から回り込む。
(しまっ――!)
避ける間もなかった。
「きゃあっ!」
左肩とみぞおちに、焼けるような衝撃が走る。
ルイはよろめき、その場に倒れ込んだ。
「っ……痛い……!」
地面に手をつこうとした途端、肩に鋭い痛みが走る。
思うように身体を起こせない。
「ははっ! やっぱり落ちこぼれだな!」
アレンが得意げに笑った。
そして、倒れたルイへゆっくりと歩み寄ってくる。
靴音が近づくたび、ルイの身体が強張った。
アレンは目の前で立ち止まると、わざとらしく腰をかがめ、その顔を覗き込んだ。
「ほら、どうした? さっきまでの威勢はどこへ行ったんだ?」
「……っ」
「なあ、落ちこぼれの王女様。もう一回、偉そうなこと言ってみろよ」
アレンは愉快そうに笑う。
見上げた先には、自分を嘲笑う顔があった。
悔しい。
怖い。
ルイは唇を噛んだ。
障壁は出せた。
けれど、攻撃を防ぎきれなかった。
(……やっぱり、私……)
いつもの考えが頭をよぎる。
何をやっても、うまくいかない。
自分には、もう才能なんてないのかもしれない。
――違う。
ルイは唇を噛みしめた。
失敗したから、何だというのだろう。
たった今、自分で決めたばかりじゃないか。
もう一度、頑張ると。
「……もう、やめて」
「あ?」
アレンが顔を近づける。
「聞こえねえな。何だって?」
「そうやって、私を馬鹿にするの……もう、やめてよ」
「はっ! 事実を言って何が悪いんだ?」
アレンは鼻で笑った。
「サーバントの召喚に失敗した、落ちこぼれの王女様だろ?」
その言葉に、ルイの胸がずきりと痛む。
何度も聞かされてきた言葉。
何度も俯いて、やり過ごしてきた言葉。
けれど、もう目を逸らしたくなかった。
ルイは震える膝に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。
「……おい。何してんだ?」
アレンが怪訝そうに眉をひそめる。
ルイは痛む肩を押さえながら、真っ直ぐにアレンを見据えた。
目の前にいる相手が怖くないわけじゃない。
足だって、今にも崩れそうなほど震えている。
それでも、もう見下されたままではいたくなかった。
「……黙って」
「何だって?」
「黙ってって……言ってるの!」
ルイの声が、中庭に響き渡った。
「黙って聞いていたら……落ちこぼれ、落ちこぼれって……いつもそればっかり!」
今まで押し込めていた言葉が、溢れ出した。
「私があなたに何をしたの? 何か悪いことをした?」
声が震える。
涙が滲みそうになる。
それでも、ルイはアレンから目を逸らさなかった。
「私はただ、普通に学園生活を送りたかっただけじゃない!」
「お、お前……!」
「召喚に失敗したことは、私だって悔しかった! 誰よりも、私が一番悔しかったの!」
あの日、誰にも見られない場所で泣いたこと。
何度練習しても思うように魔法が使えず、次第に魔法そのものが怖くなったこと。
ずっと誰にも言えなかった気持ちだった。
「なのに、あなたたちは……!」
ルイは拳を握りしめた。
「人の失敗を笑って、何度も何度も馬鹿にして……!」
「うるせえ! 落ちこぼれが偉そうに――」
「あなたは誰かを下に見ないと、安心できないの!?」
その声に、アレンが口を閉じた。
中庭が静まり返る。
ルイは一歩、前へ出た。
「私だって、失敗するわ。できないことだってある!」
足はまだ震えている。
「でも、だからって……あなたに私の全部を決めつけられたくない!」
その時、中庭の入口から声が上がった。
「おい、何かあったのか?」
「魔法を使ったみたいだぞ!」
騒ぎを聞きつけた生徒たちが、次々と集まってくる。
アレンの顔がみるみる赤くなっていった。
「……てめぇ、いい加減にしろよ」
ルイは退かなかった。
「自分より弱いと思った相手にしか威張れないあなたの方が――」
一度、息を吸う。
「よっぽど落ちこぼれよ!!」
「……なんだと?」
アレンの顔から、完全に笑みが消えた。
周囲の生徒たちが息を呑む。
ルイ自身も、言ってしまったと思った。
怖い。
今すぐ謝れば、許してもらえるだろうか。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。
けれど。
ここで謝ったら、また自分の気持ちを押し殺すことになる。
「……私は、本当のことを言っただけよ」
ルイは震える声で続けた。
「何度でも言うわ。あなたの方が、よっぽど落ちこぼれよ!」
「てめぇ!!」
アレンが激昂し、右拳を振り上げた。
人垣の向こうから、教師の声が飛ぶ。
「あなたたち! 何をやっているんですか!」
教師が生徒たちをかき分け、こちらへ向かってくる。
「アレン! やめなさい!」
しかし、アレンは止まらなかった。
目の前のルイへ、拳を振り下ろす。
(……っ!)
ルイは反射的に目を閉じた。
――来る。
そう覚悟した。
けれど。
いつまで経っても、痛みはやってこなかった。
「……え?」
恐る恐る、目を開ける。
最初に見えたのは、目の前で止まったアレンの拳だった。
その右手首を、誰かの右手がしっかりと掴んでいる。
ルイはゆっくりと視線を上げた。
「……なんだよ」
聞き覚えのある声。
「ちゃんと言えるんじゃないか」
そこに立っていたのは――。
「……優斗?」
ルイは目を見開いた。
どうして、ここに。
さっきまで、自分との契約を拒んでいたはずなのに。
優斗はアレンの手首を掴んだまま、ルイへ視線を向けた。
「……大丈夫か?」
「う、うん……」
返事をしようとした途端、声が震えた。
怖かった。
本当は、ずっと怖かった。
それでも、誰にも助けを求めずに立っていた。
そんな自分の前に、優斗がいる。
「でも……どうして……?」
「……途中から聞こえてたよ」
優斗は小さく息を吐いた。
「お前が何を考えて、どうしたいのか。少しは分かったつもりだ」
「……っ」
「だからって、さっきまでの話が全部なかったことになるわけじゃないけどな」
その言葉に、ルイははっとする。
そうだ。
優斗には優斗の事情がある。
自分がどれほど必死でも、彼の意思を無視していい理由にはならない。
「でも、少なくとも――」
優斗はルイを見た。
「今ここでお前が殴られるのを、黙って見てるつもりはない」
「……優斗……」
その言葉を聞いた瞬間、ルイの目に涙が滲んだ。
優斗が来てくれた。
自分の言葉を、聞いてくれていた。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「……ありがとう」
ルイは涙をこらえながら、小さく呟いた。
優斗はアレンへ向き直った。
「お前、女の子に手を上げるなんて最低だな」
「はぁ!? そいつが先に喧嘩を売ってきたんだろうが!」
「だから殴っていいって?」
「うるせえ! そいつは落ちこぼれなんだよ!」
「……落ちこぼれ?」
優斗の眉がぴくりと動いた。
「ふざけるな。勝手に決めつけんなよ」
「……何?」
「こいつが落ちこぼれかどうかを、お前が決める権利なんてないだろ」
優斗はアレンを真っ直ぐに見据えた。
「それに、自分より弱いと思った相手を三人で囲んで、笑いものにして……最後には殴るのか?」
「……っ!」
「ずいぶん立派なことだな」
アレンが歯を食いしばる。
周囲は静まり返っていた。
誰もが、二人のやり取りを見つめている。
優斗はアレンの手首を放し、一歩距離を詰めた。
「……一つ、教えてやるよ」
その声は、決して大きくなかった。
けれど、不思議なほどはっきりと響いた。
「一番の落ちこぼれは――」
優斗は、アレンを見据えたまま言い放った。
「他人を落ちこぼれと決めつける人間と、自分を落ちこぼれだと諦める人間だ!」




