落ちこぼれ王女の過去
「あんなこと言って出てきたのはいいものの……広すぎるだろ、この学校」
俺は目の前に続く廊下を見渡し、ため息をついた。
高い天井に、大きな窓。磨き上げられた床には、等間隔に並ぶ柱の影が伸びている。
学校というより、城だ。
入学式と召喚の儀式に人が集まっているためか、校舎内にひとけはない。
「……まあ、適当に歩いてみるか」
壁には部員募集の張り紙や、学校新聞らしきものが掲示されていた。
「へえ。魔法学校でも、こういうのは日本と変わらないんだな」
見慣れない文字のはずなのに、内容が理解できる。
さっきの翻訳魔法のおかげだろうか。
まさか、本当に魔法が存在するとは。
「……帰ったら、誰かに話しても信じてもらえないだろうな」
「私が案内しましょうか?」
「うわっ!」
突然、背後から声がした。
反射的に振り返り、一歩距離を取る。
「びっくりした! なんだよ、急に!」
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの」
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
透き通るように白い肌に、背中まで伸びた黒髪。切れ長の目をした整った顔立ちは、どこか凛々しさを感じさせる。
ただ、その微笑みからは感情が読み取れなかった。
「私はアンナ。ルイちゃんとマリの友達よ。よろしくね」
「……ああ。平賀優斗だ」
「知っているわ。さっき、召喚の儀式で名乗っていたでしょう?」
「……そうか」
こいつ、いつから俺を見ていたんだ?
「それで、案内って?」
「あなたが興味を持ちそうな場所を知っているの」
「……なんで俺が興味を持つって分かるんだ?」
「行けば分かるわ」
答えになっていない。
初対面の相手についていくのは気が進まないが、俺は校舎の構造すら知らない。
「……分かった。ただし、変なところには連れていくなよ」
「ふふっ。警戒心が強いのね」
「普通だろ」
「そうね。じゃあ、ついてきて」
アンナは微笑み、歩き始めた。
俺は少し距離を空け、その後ろをついていった。
◇ ◇ ◇
曲がり角をいくつも通り過ぎ、階段を一つ上がる。
アンナは何も話さない。
「なあ。結局、どこに向かってるんだ?」
「もう少しよ」
「せめて何があるかくらい教えてくれよ」
「そうね……あなた、ルイちゃんは昔からあんな調子だったと思う?」
「……は?」
「昔から、落ちこぼれなんて呼ばれる子だったと思う?」
「知るわけないだろ。会ったばかりなんだから」
「そうよね。でも、あなたが見たのは今のルイちゃんだけよ」
「……それがどうした?」
「着いたわ」
アンナが足を止めた。
目の前には、大きな木製の扉がある。
その上には『記念室』と書かれたプレートが掲げられていた。
「記念室?」
「ええ。学園の歴史を記録している場所よ」
アンナが扉を開ける。
室内には、無数のトロフィーや表彰状、古びた写真や新聞記事が並んでいた。
「へえ……すごいな」
「ここには、歴代の優秀な生徒たちの記録が残されているの」
「それで、俺に何を見せたいんだ?」
「こっちよ」
アンナは部屋の奥へ進み、一列に並んだトロフィーの前で立ち止まった。
台座には『最優秀生徒』と刻まれている。
「毎年、学科や実技などで優れた生徒が、各学年から一人ずつ選ばれるの。とても名誉な賞よ」
「なるほどな」
「初等部一年から、順番に見てみて」
言われるまま、最初の台座へ目を向ける。
そこには、見覚えのある名前が刻まれていた。
『ルイ=アルベルト=フローレス』
「……あれ?」
さっきの少女と同じ名前だ。
「気づいた?」
「……あいつの名前だよな?」
「ええ。次も見てみて」
初等部二年。
『ルイ=アルベルト=フローレス』
初等部三年。
『ルイ=アルベルト=フローレス』
「……おい、まさか」
俺は隣のトロフィーへ視線を移した。
四年。
五年。
そして、六年。
どれも同じ名前だった。
「六年連続……?」
思わず声が漏れる。
「これ、全部あいつなのか?」
「ええ。ルイちゃんは初等部の六年間、ずっと最優秀生徒だったの。卒業研究も高く評価されているわ」
「……すげえな」
一度選ばれるだけでも名誉な賞を、六年連続。
周囲を見ても、これほど連続して受賞している生徒はいない。
「当時は、兄や姉をも凌ぐ神童と呼ばれていたのよ」
「神童……?」
俯いて、何も言い返せなかった少女の姿が浮かんだ。
……同じ人間の話とは思えない。
「だったら、どうしてあんなことになってるんだ?」
「昨年の召喚の儀式がきっかけよ」
アンナはトロフィーを見つめた。
「みんな、神童と呼ばれたルイちゃんが、どんなサーバントを召喚するのか期待していたの。でも……」
「失敗したんだよな」
「ええ。入学者の中で、ただ一人だけ」
アンナは少し間を置いた。
「最初はね、ルイちゃんも笑っていたの。『来年こそは絶対に成功させる』って。私たちも、きっと大丈夫だと思っていたわ」
「……そうなのか」
「でも、少しずつ周囲の態度が変わっていったの」
「どういうことだ?」
「本当は才能なんてなかったんじゃないか。王族だから特別扱いされていたんじゃないか。そんな噂が広まり始めたのよ」
「……は?」
思わず眉をひそめる。
「六年も結果を出してきたんだろ? 一回失敗しただけで、全部嘘だったことにするのか?」
「そういう人たちもいた、ということね」
アンナは静かに答えた。
「最初は言い返していたルイちゃんも、同じことを何度も言われるうちに、少しずつ自信を失っていったの」
アンナの視線が、トロフィーから離れる。
「以前は誰よりも魔法が好きだったのに、いつしか魔法を使うことすら怖がるようになってしまった。得意だった魔法も、うまく使えなくなって……」
「…………」
もう一度、六つの名前を見る。
六年間の実績が、たった一度の失敗で否定される。
随分と勝手な話だ。
「でも、そんなの次に成功すればいいだけじゃないのか?」
「それが簡単なら、苦労しないわ」
アンナの声が、少しだけ低くなった。
「この世界では、サーバントの召喚はとても大きな意味を持っているの。魔力を持つ者なら基本的には成功する儀式だからこそ、失敗は異例だった」
「……誰でも成功する?」
「ええ。だからこそ、神童と呼ばれていた彼女の失敗は衝撃だったのよ」
「…………」
誰でも成功するはずの儀式で、六年間優秀だったあいつだけが失敗した。
……何か引っかかる。
「なあ。その召喚って、本当に失敗したのか?」
アンナがこちらを向いた。
「どういう意味?」
「いや、優秀だったんだろ? それなのに、あいつだけ失敗したっていうのが気になってさ」
「……そうね」
「誰かが邪魔した可能性はないのか?」
アンナはしばらく黙っていた。
その沈黙の間も、表情はほとんど変わらない。
「……面白いことを考えるのね」
「そんなに変な話か?」
「いいえ。可能性だけなら否定できないわ。ただ、召喚魔法に外部から干渉すれば、普通は痕跡が残るの。当時の調査では何も見つからなかったそうよ」
「じゃあ、妨害はなかったってことか?」
「少なくとも、証拠はないわね」
アンナはそれ以上、何も言わなかった。
俺も考えるのをやめた。
証拠もないのに決めつけるのは、あいつを落ちこぼれ扱いした連中と変わらない。
「……くだらないな」
「何が?」
「周りの連中だよ。成功してる間は神童だって持ち上げて、失敗した途端に落ちこぼれ扱いか」
アンナは黙って俺を見ていた。
「……まあ、俺には関係ない話だけど」
そう言って、出口へ向かう。
どんな過去があろうと、勝手に俺を召喚したことは変わらない。
「今ここで彼女と契約すれば――」
背後から、アンナの声がした。
俺は足を止める。
「あなたは、ルイちゃんにとって英雄になれるでしょうね……」
「……英雄?」
振り返ると、アンナは六つのトロフィーの前に立っていた。
その口元には、わずかな笑みが浮かんでいる。
「何だよ、それ」
「そのままの意味よ」
「……悪いけど、俺は誰かの英雄になるために、ここに来たわけじゃない」
そもそも、自分から来たわけですらない。
「それに、同情だけで契約するつもりもない」
「……そう」
アンナは静かに頷いた。
「あなたなら、そう言うと思ったわ」
「会ったばかりのくせに、何が分かるんだよ」
「ふふっ。そうね」
最後まで、何を考えているのか分からない少女だった。
「案内は助かった。ありがとう」
「どういたしまして」
俺は記念室をあとにした。
廊下へ出ると、窓から差し込む陽射しが眩しかった。
……六年連続、最優秀生徒。
あの、俯いてばかりいた少女が。
「……人は見かけによらないもんだな」
思わず呟く。
あいつが昔どれほど優秀だったとしても、俺が契約する理由にはならない。
俺は元の世界へ帰る。
そのつもりで、ここまで来たんだ。
それなのに。
記念室で見た六つの名前が、どういうわけか頭から離れなかった。




