一太刀の壁(後編)
――ガキンッ!
優斗の剣とハヤトの剣が激しくぶつかり合った。
(……いける!)
先ほどまでとは違う。
身体強化を制御できるようになったことで、優斗の動きは格段に鋭くなっていた。
踏み込みに無駄がなくなり、剣を振ったあとの体勢も崩れない。
優斗は次々と攻撃を繰り出した。
――キィンッ!
――ガキンッ!
(見える……!)
ハヤトの剣の動きが、先ほどよりもはっきりと見える。
身体が思いどおりに動く。
祖父の道場で何度も繰り返した動作が、ようやくこの世界でも通用し始めたような気がした。
(これなら……!)
優斗は一歩踏み込み、鋭い突きを放った。
しかし――。
ハヤトは剣をわずかに傾けただけで、その一撃を受け流した。
「……っ!」
すぐさま横薙ぎに切り替える。
だが、それも簡単に防がれる。
(なんでだよ……!)
速くなった。
力も強くなった。
さっきより、ずっと上手く動けているはずなのに。
――届かない。
「優斗……!」
ルイは思わず身を乗り出した。
「すごい……! さっきとは全然違う!」
「うん。あの子、身体強化を使いこなし始めてるね」
ルーナも感心したように頷く。
しかし、その表情はどこか複雑だった。
「でも……」
「……え?」
「兄さんは、まだ本気じゃない」
ルイが再びステージへ目を向ける。
ハヤトは相変わらず、涼しい顔をしていた。
優斗がどれほど速く動こうとも、その剣は届かない。
(身体強化を制御できるようになっただけで、ここまで変わるか……)
ハヤトは優斗の剣を受け流しながら、その動きを観察していた。
確かに、才能はある。
だが――。
(まだまだ、甘い)
「ふんっ!」
ハヤトが優斗の剣を勢いよく弾いた。
「っ!?」
優斗の両腕が跳ね上がる。
その一瞬の隙を、ハヤトは見逃さなかった。
「はぁっ!」
――ドゴッ!
「うおぁっ!」
鳩尾に鋭い蹴りが突き刺さった。
優斗の身体が後方へ吹き飛ばされ、地面に膝をつく。
「ぐっ……!」
胃の奥から何かが込み上げてくる。
息が、うまく吸えない。
(くそ……これでもダメか……!)
「優斗っ!」
ルイが叫ぶ。
優斗は返事をしようとしたが、喉から漏れたのは苦しそうな呼吸だけだった。
「身体強化を使えばやれると思っただろう。甘いな」
ハヤトは涼しい顔で告げた。
「俺は魔法どころか、身体強化すら使ってないぞ」
「…………っ」
その言葉に、優斗は思わず顔を上げた。
(……嘘だろ)
あれほどの速さ。
あれほどの威力。
それが、身体強化すら使っていない状態だというのか。
(どんだけ強いんだよ……この人……!)
優斗は拳を握り締めた。
悔しかった。
何もできない自分が、たまらなく悔しかった。
「残り時間も、もうわずかだ。どうする? 諦めるか?」
「はぁ……はぁ……」
優斗は荒い息を繰り返した。
腕も、足も、限界に近い。
それでも、剣を握る手だけは緩めなかった。
「まだ……諦めません……」
ゆっくりと立ち上がる。
「まだ、試合は終わってねえ!」
ハヤトを真っ直ぐに見据えた。
「優斗……もう……」
ルイが思わず呟いた。
これ以上、傷ついてほしくない。
もう十分だ。
そう言って、止めてしまいたかった。
でも――。
(私のために……ここまで……)
優斗が剣を握る理由を、ルイは知っている。
ランキング戦に出たいと言った自分のために、優斗はハヤトに挑んだのだ。
だからこそ、簡単に「やめて」とは言えなかった。
ルイは胸の前で両手を握り締める。
(……頑張って)
声に出せなかった言葉を、心の中で繰り返した。
(お願い……優斗……!)
◇ ◇ ◇
(どうすれば……)
優斗は必死に考えた。
動きの中で倒そうとしても、今のスピードでは追いつけない。
剣を交えれば、力負けする。
技術でも、速度でも、相手が上だ。
(くそ……何か……何かないのか……!)
優斗は自分の剣を見つめた。
何度も振った。
何度も攻撃した。
それでも、一度も届かなかった。
(……俺は)
ふと、ルイの顔が頭に浮かんだ。
落ちこぼれと呼ばれながらも、もう一度前を向こうとしている少女。
自分の手を取り、一緒に頑張ろうと言ってくれた少女。
(……あいつは、諦めなかった)
優斗はゆっくりと顔を上げた。
(だったら、俺が先に諦めてどうする……!)
そして、先ほどハヤトから聞いた言葉を思い出す。
『この中では怪我や流血はするが、死ぬことはない』
(…………)
優斗の目が、静かに細くなった。
その表情の変化に、ハヤトも気づいた。
(……なんだ?)
先ほどまでの焦りが消えている。
代わりに浮かんでいたのは、妙に落ち着いた眼差しだった。
「……行きます」
優斗が小さく呟いた。
「来い」
ハヤトは短く答えた。
次の瞬間――。
「うおおおっ!」
優斗が再び間合いを詰めた。
斬り下ろし。
突き。
横薙ぎ。
残った力を振り絞るように、攻撃を繰り返す。
ハヤトは冷静に剣をさばき、反撃を加えていく。
「ぐっ……!」
優斗の身体に、また傷が増えた。
それでも止まらない。
(我慢だ……!)
ハヤトの剣をかわし、受け流しながら、必死に食らいつく。
(まだだ……!)
何度も剣を弾かれる。
何度も身体を斬られる。
それでも優斗は、前へ出続けた。
「優斗……!」
ルイの声が震える。
「もう……もういいよ……!」
ついに、その言葉が口からこぼれた。
しかし、優斗は振り返らなかった。
その背中を見つめながら、ルイは唇を噛んだ。
(……ごめんね)
自分がランキング戦に出たいと言わなければ。
優斗が、こんな思いをすることもなかったのではないか。
そんな考えが、頭をよぎる。
そのとき。
「ルイ」
隣にいたルーナが、静かに声をかけた。
「……え?」
「あの子、あんたのためだけに戦ってるわけじゃないと思うよ」
「…………」
「自分で決めたんでしょ。兄さんに挑むって」
ルーナはステージへ目を向けた。
「だったら、最後まで見てあげなよ」
ルイは何も言えなかった。
ただ、優斗の背中を見つめ続けた。
◇ ◇ ◇
やがて、優斗の足取りがわずかに乱れた。
疲労で重心が左へ流れる。
左脇腹に、大きな隙が生まれた。
(……そこだ)
ハヤトはその隙を見逃さなかった。
「終わりだ!」
鋭い突きが、優斗の左脇腹へ放たれる。
――ズブッ!
「っ……!!」
ハヤトの剣が、優斗の左脇腹を貫いた。
「きゃあっ!」
「優斗ぉっ!!」
ルーナとルイの悲鳴が響く。
ルイは思わず駆け出そうとした。
だが、結界に阻まれ、その場で立ち止まる。
「優斗……! 優斗っ!!」
ハヤトは静かに息を吐いた。
(……終わりだ)
剣を引こうとする。
しかし――。
「……っ!?」
動かない。
(……何?)
優斗が、左腕と身体で剣を押さえ込んでいた。
自分の脇腹に突き刺さった剣を、逃がさないように。
「……捕まえた」
その口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「なっ……!?」
ハヤトの表情が、初めて変わった。
(馬鹿な……!)
優斗の足取りが乱れたのは、疲労だけではなかった。
あえて隙を見せ、自分の剣を誘い込んだのだ。
(こいつ……最初から……!?)
「こうでも……しないと……」
優斗は歯を食いしばった。
「攻撃が……当たらないから……!」
身体が悲鳴を上げている。
意識も、遠のきかけていた。
それでも。
優斗は最後の力を振り絞り、右手で握った剣をハヤトの胸へ突き出した。
「届けぇぇぇっ!!」
ハヤトの目が見開かれる。
刃が、胸元へ迫る。
あと少し。
あと、ほんの少しで――。
「ちぃっ!」
ハヤトは咄嗟に優斗を蹴り飛ばした。
「ぐあっ!」
優斗の身体が地面に叩きつけられる。
その喉元へ、ハヤトの剣先が突きつけられた。
――その瞬間。
試合終了を告げる音が鳴り響いた。
三十分が経過し、結界がゆっくりと消えていく。
「優斗!!」
ルイが真っ先に駆け寄った。
「優斗! 大丈夫!? ねえ、返事して!」
優斗は仰向けに倒れたまま、荒い息を繰り返していた。
傷はすでに塞がっている。
しかし、身体を動かそうとしても、まるで言うことを聞かない。
「……大丈夫……だって……」
何とか笑おうとする。
だが、うまく笑えなかった。
「全然、大丈夫じゃないよ……!」
ルイの声が震えた。
「こんなに……こんなにボロボロになって……!」
優斗は目を閉じた。
「……ごめん」
その一言に、ルイは首を横に振った。
「謝ってほしいわけじゃないの……!」
言葉が続かなかった。
ただ、優斗のそばに膝をついたまま、俯いていた。
ハヤトが静かに近づいてくる。
「死なないと分かっていたとしても、無謀すぎる作戦だ。本来なら死んでるぞ」
「……分かってます……」
優斗は荒い息の合間に答えた。
「でも……」
少しだけ、目を開ける。
「刺し違えられたら……俺の……勝ちだから……」
「…………」
「本気で……勝ちたかったから……」
その声は、悔しさに震えていた。
「……くそっ」
優斗は右手で顔を覆った。
「あと……少しだったのに……!」
最後の一撃。
確かに、届くと思った。
だが、届かなかった。
何もできなかったわけではない。
それでも、負けは負けだ。
「……悔しいな……」
ぽつりと漏れた言葉に、ルイは顔を上げた。
優斗は、唇を噛み締めていた。
その姿を見て、ルイはようやく気づいた。
優斗は、自分のためだけに戦っていたわけじゃない。
この勝負に、本気で勝ちたかったのだ。
ルイはそっと、優斗の手を握った。
「……うん」
小さく頷く。
「悔しいね……」
優斗は何も答えなかった。
ただ、その手を弱々しく握り返した。
◇ ◇ ◇
ハヤトは、そんな二人を静かに見つめていた。
(……こいつ、ここまで……)
無茶な戦い方だ。
到底、褒められたものではない。
だが――。
(俺にも……こんな時があったな……)
かつての自分を、少しだけ思い出す。
ハヤトは小さく息を吐いた。
「約束は約束だ」
その言葉に、優斗が顔を上げた。
「俺に攻撃が当たらなかった以上、教えることはできない」
「…………」
優斗は目を伏せた。
「……はい」
それだけ答えた。
「そ、そんな……」
ルイが思わず声を上げる。
「兄さん……」
ルーナも何か言いたげにハヤトを見つめた。
だが、ハヤトは何も言わない。
優斗はゆっくりと拳を握り締めた。
(……そりゃ、そうだよな)
約束は、一太刀でも浴びせること。
それができなかった。
(……負けたんだ、俺は)
胸の奥に、重いものが沈んでいく。
せっかく見つけた、強くなるための道。
その道が、目の前で閉ざされたような気がした。
そのとき――。
「毎朝五時」
「……え?」
優斗が顔を上げた。
「毎朝五時に、俺はここでトレーニングをしている。夕方は十六時から十九時までだ」
「…………」
「勝手についてくる分には何も言わん」
ハヤトは背を向けた。
「だが、俺の邪魔はするなよ」
それだけ言い残し、施設を出ていった。
「…………」
しばらく、誰も口を開かなかった。
「……えっと。つまり……?」
ルイが首を傾げる。
「素直じゃないねぇ〜、兄さんも」
ルーナが呆れたように笑った。
「聞いてた? 優斗?」
「……ああ」
優斗はゆっくりと上体を起こした。
「もちろんだ……!」
その口元には、疲れ切った笑みが浮かんでいた。
「やってやる……」
優斗はハヤトが去っていった扉を見つめた。
「ハヤトさんに、死に物狂いでついていく。うざいと思われてもだ……!」
「……うん!」
ルイも大きく頷いた。
「そうだね! 頑張ろ! 私も優斗に負けないように頑張るよ!」
「ああ」
優斗はルイを見て、力強く頷いた。
「絶対、二人で強くなろう」
ルイはその言葉に、嬉しそうに微笑んだ。
優斗はもう一度、ハヤトが去った扉へ目を向けた。
「次は絶対に……一本取ってやる」
その瞳には、確かな決意が宿っていた。




