誰も信用できない
みんな、嘘ばかりだ。
誰も信用できない。
この家にも、この世界にも、俺の居場所なんてない。
誰か一人でいい。
本当のことを話してくれる、俺の味方が欲しかった。
「いつ、本当のことを伝えるんだ?」
いつ伝えるかじゃない。
どうして、最初から教えてくれなかったんだ。
「できることなら、隠し通したいわ。だって、あの子が本当のことを知ったら……」
俺のことを勝手に決めるな。
俺は――。
「俺は本当のことが知りたいんだよ!」
叫んだ瞬間、目が覚めた。
◇ ◇ ◇
「……また、あのときの夢かよ」
見慣れた自室の天井。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、やけに眩しい。
時計を見ると、午前九時を過ぎていた。
春休みだから、寝坊しても問題はない。
もっとも、学校がある日でも大して変わらないのだが。
俺――平賀優斗は、もうすぐ中学三年生になる。
そして、中学二年の五月から、ほとんど学校へ通っていない。
きっかけは、去年のゴールデンウィークだった。
毎年恒例の親戚の集まり。
そこで偶然、大人たちの会話を聞いてしまった。
父さんと母さんだと思っていた二人は、実の両親ではなかった。
本当は叔父と叔母で、実の両親は俺が幼い頃、交通事故で亡くなっていたらしい。
それだけなら、まだよかったのかもしれない。
問題は、家族も親戚も、その事実をずっと俺に隠していたことだ。
誰も教えてくれなかった。
俺が何も知らずに笑っている間、みんなは本当のことを知っていた。
それ以来、家族の顔をまともに見られなくなった。
誰かに話しかけられても、何を信じればいいのか分からない。
気づけば、学校からも足が遠のいていた。
「……最悪な目覚めだな」
ベッドから起き上がり、パーカーと茶色の長ズボンに着替える。
今日は家族全員が休みだ。
部屋に閉じこもっていたら、どうせ誰かが様子を見に来る。
それなら、さっさと外へ出よう。
そう思って階段を下りたのだが――。
「優斗、おはよう。今日はお祖父ちゃんのところへ行くの?」
玄関へ続く廊下で、母さんと鉢合わせた。
……いや。
母さんだと信じていた人と。
「別に……」
目を合わせず、その横を通り過ぎようとする。
「じゃあ、どこへ行くの? 何時頃に帰ってくる? 朝ごはんもまだでしょう?」
「うるさいな。俺がどこへ行こうと勝手だろ!」
「だって、母さん心配で……」
その一言に、足が止まった。
母さん。
何事もなかったかのように、その言葉を使う。
俺がどんな気持ちでいるのかも知らないで。
「母親面すんじゃねえよ!」
言った瞬間、廊下が静まり返った。
彼女の表情が強張る。
「母親面って……私は、優斗の母親だもの」
「俺の母親は、もう死んでるだろ」
「優斗……」
「この、嘘つき……」
それ以上、顔を見ていられなかった。
俺は靴を引っかけるように履き、逃げるように家を飛び出した。
◇ ◇ ◇
「……くそっ」
春の街を歩きながら、道端の小石を蹴った。
あの人が俺を心配していることくらい、分かっている。
今まで大切に育ててくれたことだって、嘘じゃない。
それなのに、どうしてあんなことを言ってしまうんだろう。
いや、違う。
そもそも、最初から本当のことを話してくれていれば――。
「……何やってんだ、俺」
結局、いつもこれだ。
怒鳴って、逃げて、あとから後悔する。
謝らなきゃいけないとは思う。
でも、あの人を「母さん」と呼ぶことには、どうしても抵抗があった。
俺は大きく息を吐き、足を止めた。
「……で、どこ行くんだよ」
勢いで飛び出したせいで、行き先すら決めていなかった。
いつもなら祖父の道場へ向かうところだが、今日は稽古が休みだった。
祖父は剣道を、その弟は空手を教えている。
俺が不登校になってから、二人には半年ほど、みっちり鍛えられてきた。
最初は本当に嫌だった。
祖父も、出生の秘密を知りながら黙っていた一人だったからだ。
顔を見るだけで腹が立ったし、稽古を休もうと仮病を使ったこともある。
だが、その日は祖父が家まで迎えに来た。
そして、いつもの倍は厳しい稽古をつけられた。
思い出しただけで背筋が寒くなる。
『言いたいことがあるなら聞いてやる。言葉にならんのなら、今は打ち込んでこい』
祖父は、よくそう言っていた。
腹立ちまぎれに竹刀を振り下ろしても、まるで歯が立たない。
どうすれば一本取れるのか。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか余計なことを忘れていた。
道場にいる間だけは、家族のことも学校のことも考えずに済んだ。
だから今では、稽古そのものは嫌いじゃない。
ただ、祖父にはもう一つ、面倒な約束をさせられている。
『学校に行かないからといって、勉学までやめていい理由にはならん』
その一言で、毎日勉強することになった。
初めは嫌々だったが、やってみると意外に面白い。
もともと勉強は得意な方だったし、一つの問題に集中していれば余計なことを考えずに済む。
おかげで中学校の学習範囲はひと通り終わり、最近は高校の参考書にも手を出し始めていた。
「……本屋でも行くか」
どうせ家に帰っても気まずいだけだ。
俺は駅前の書店へ向かうことにした。
通りには親子連れや、スーツ姿の大人たちが行き交っている。
店先には、色鮮やかな飾りとともに「新入生おめでとう」の文字が並んでいた。
「もう、そんな季節か……」
春休みが終われば、俺も中学三年生になる。
去年の今頃は、新しいクラスが楽しみだった。
友達と馬鹿な話をして、授業中に先生に怒られて。
そんな毎日が、ずっと続くものだと思っていた。
今では、教室に入る自分の姿すら想像できない。
家族のことを聞かれたら、何と答えればいい?
事情を知った友達は、今までどおり接してくれるだろうか。
考えただけで、足が重くなる。
家にも、学校にも、居場所がない。
祖父の道場にいるときだけは気が紛れるけれど、それで何かが解決するわけでもない。
――いっそ、どこか遠くへ行けたら。
誰も俺のことを知らない場所へ。
そんなことを考えていた、そのときだった。
「……なんだ、これ?」
足元に、淡い光が走った。
細い線が次々と伸び、複雑に絡み合いながら巨大な紋様を描いていく。
見たこともない模様だった。
道路に映し出された映像か?
いや、違う。
光は俺の足元から広がっている。
「おいおい、なんだよこれ……!」
慌てて後ずさろうとした。
だが、その瞬間。
紋様の中央が、ぽっかりと口を開けた。
「は?」
地面が消えた。
そうとしか思えなかった。
足の裏から感触が失われ、身体が宙に浮く。
「えっ、ちょっ――うわあああああ!」
伸ばした手は何も掴めない。
俺はそのまま、底の見えない暗闇へ吸い込まれていった。
◇ ◇ ◇
「……いてて」
気づくと、俺は柔らかな芝生の上に尻餅をついていた。
身体のあちこちを確かめる。
痛みはあるが、どうやら大きな怪我はしていないらしい。
「……なんだったんだ、今の」
恐る恐る顔を上げる。
そして、言葉を失った。
目の前には、巨大な石造りの校舎がそびえ立っていた。
足元には、さっき見たものとよく似た奇妙な紋様。
その周囲を、見たこともない服装の人々が取り囲んでいる。
しかも、その全員が俺を見つめていた。
「……は?」
意味が分からない。
さっきまで、俺は埼玉の街を歩いていたはずだ。
なのに、どうしてこんな場所にいる?
「ここは……どこだ?」
誰にともなく呟いた、そのとき。
人垣の中から、一人の少女が歩み出てきた。
俺と同じくらいの年齢だろうか。
エメラルドグリーンの髪に、大きな瞳。
見慣れない制服を着た、小柄な少女だった。
その少女は、ひどく緊張した表情で俺を見つめていた。
何かを言おうとして、ためらう。
それから意を決したように、俺の前にしゃがみ込んだ。
そして――。
俺に、手を差し伸べてきた。
「…………?」
少女が何かを話しかけてくる。
だが、まるで意味が分からない。
「……は?」
英語でも、中国語でもない。
そもそも、聞いたことすらない言葉だった。
少女は困ったように首を傾げ、もう一度何かを言った。
「いや、ちょっと待て。ここはどこだ? お前は誰なんだ?」
今度は俺が尋ねる。
しかし、少女はますます困惑した顔をするだけだった。
どうやら、俺の言葉も通じていないらしい。
周囲を見回す。
知らない建物。
知らない服装。
知らない言葉。
何もかもが、俺の知っている世界とは違っていた。
そして、目の前には、相変わらず手を差し伸べている少女がいる。
俺はその手を見つめた。
――誰も信用できない。
ついさっきまで、そう思っていた。
なのに、こんな見知らぬ場所で、見知らぬ少女に手を差し伸べられている。
何の冗談だよ。
俺はもう一度、少女の顔を見た。
不安そうに揺れる瞳。
どうやら、向こうも俺と同じくらい困っているらしい。
それでも、差し伸べられた手は引っ込められなかった。
……どうすりゃいいんだよ。
俺は答えを出せないまま、ただその手を見つめていた。




