もう一度、学校へ!(後編)
「優斗がルイのサーバントでよかったよ」
教室へ向かう途中、ルーナが不意に言った。
「ルイも、少し元気が戻ってきたみたいだし」
「そりゃどうも」
優斗は照れくさそうに頭を掻く。
「こっちはまだ何が何だかって感じで、頭痛いけどな……」
「あはは。そりゃそうだよね」
ルーナは笑った。
「いきなり違う世界に連れてこられたんだもん。ゆっくり慣れていこうよ」
「……そうするよ」
その言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
「――ここが教室ね!」
ルーナが一つの扉の前で立ち止まる。
三年A組。
扉の上に掲げられた文字を見て、優斗の足が止まった。
「…………」
扉の向こうから、楽しそうな話し声が聞こえてくる。
机を動かす音。
椅子を引く音。
誰かが友人の名前を呼ぶ声。
どれも、かつては当たり前だった学校の日常だ。
けれど今の優斗には、そのすべてがひどく遠いものに感じられた。
(……俺が、また教室に入るのか)
最後に自分の教室へまともに入ったのは、いつだっただろう。
ほんの少しだけ、足が重くなる。
「優斗?」
「……いや、なんでもない」
「そっか。じゃあ入ろ!」
ルーナは何の躊躇もなく扉を開けた。
「おはよー!」
「おはよ、ルーナ!」
「今年もよろしくー!」
教室にいた何人かが、すぐに挨拶を返す。
その後ろから、優斗も教室へ足を踏み入れた。
――その瞬間。
教室が、少しだけ静かになった。
「…………」
何人もの視線が自分へ集まる。
(……やっぱり)
胸の奥がざわつく。
こういう空気は嫌いだ。
ひそひそと何かを話す声。
こちらを窺う視線。
何を言われているのか分からないからこそ、余計に悪い想像ばかりが膨らんでいく。
「あらー」
ルーナが優斗へ顔を寄せ、小声で囁いた。
「みんな優斗に興味津々だね!」
「やめてくれ……」
優斗は教室前方のボードに貼られた席順表を確認した。
六列に並べられた机。
自分の席は、教室の奥から四列目。その一番後ろだった。
ルーナは扉に一番近い列の前から三番目。
(離れたな……)
別に隣にいてほしかったわけではない。
ただ、この世界で唯一知っているクラスメイトが離れたことに、少しだけ心細さを覚える。
優斗は自分の席へ向かい、静かに腰を下ろした。
周囲では、まだ小さな話し声が聞こえている。
(……この雰囲気、苦手だ)
机の上に視線を落とす。
昨日、大勢の前であれだけ目立った。
何か言われても仕方ない。
それに――自分は、この世界の人間ですらない。
(うまくやれるのか、俺……)
そんなことを考えていた、その時。
「優斗!」
「うおっ!?」
教室中に響くほどの声で名前を呼ばれ、優斗は顔を上げた。
ルーナが自分の席からこちらを見ている。
「今日の昼から空いてる?」
「え?」
突然の質問に戸惑う。
「始業式の後、能力測定があって……その後は特に予定ないけど」
「なるほど!」
ルーナがぱっと笑う。
「じゃあ、校内案内してあげるよ!」
「え? ああ、助かるけど……」
その時だった。
「あのさ」
「ん?」
隣の席にいた男子生徒が、おずおずと声をかけてきた。
「昨日の召喚儀式にいた人だよな?」
「……そうだけど」
「やっぱり! 昨日のあれ、すごかったな! あのガロンって奴と戦ったんだろ?」
「いや、戦ったっていうか……ほとんど逃げ回ってただけだけど」
「それでもすげえよ! あんな奴の前に立てるなんて!」
「……そ、そうか?」
思ってもいなかった反応に、優斗は少し戸惑った。
すると、その会話をきっかけに、周囲の生徒たちも次々と話しかけてきた。
「あー! ルーナ、抜けがけはダメだよ!」
「じ、じゃあ私も一緒に行く!」
「俺も!」
「せっかくなら昼ごはんもみんなで食べない?」
「異世界の話も聞きたい!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……!」
あっという間に、優斗の席の周りに人だかりができる。
どうやら先ほどからこちらを見ていたのは、警戒していたからではないらしい。
ただ――話しかけるきっかけを探していたのだ。
「だってさ!」
人だかりの向こうで、ルーナが笑っている。
「どうする?」
「…………」
優斗は、自分を囲むクラスメイトたちを見る。
知らない顔ばかり。
知らない世界の人間ばかり。
それなのに、向けられている表情に敵意はなかった。
「……いいのか?」
「もちろん!」
「俺、学園の面白い場所知ってるぜ!」
「食堂も案内するよ!」
次々と返ってくる声に、優斗の表情が少しだけ緩んだ。
「ありがとう。助かるよ」
その一言をきっかけに、再び質問攻めが始まりそうになった――その時。
「はーい。みんな楽しんでるところ悪いけど、席についてー」
気だるげな女性の声が教室に響いた。
「ホームルームの時間だよ」
「あ、先生来た!」
「また後でな、優斗!」
クラスメイトたちはそれぞれの席へ戻っていく。
急に静かになった自分の周りを見て、優斗は小さく息を吐いた。
(……なんだ)
ほんの少しだけ、口元が緩む。
(思ってたより……大丈夫かもしれないな)
◇ ◇ ◇
「えー……始業式まで少し時間があるから、とりあえず自己紹介をしておこう」
教壇に立った女性が、眠たそうな声で話し始めた。
「私が今年一年、このクラスの担任になったヨルミナ=ホプキンスだ。魔法薬の授業も担当する。よろしく」
年齢は三十代前半くらいだろうか。
整った顔立ちの、いわゆるクールビューティー。
白衣を服の上から羽織り、足元にはヒール。
元々背が高いのか、優斗よりもさらに大きく見える。
ただし――。
(……めちゃくちゃ疲れてそうだな、この人)
目の下にはくっきりとクマが浮かび、気だるそうな雰囲気を全身から漂わせている。
「じゃあ一人ずつ自己紹介してもらおう。窓際の先頭からよろしく~」
(緩いな……)
優斗の第一印象は、それだった。
一人、また一人と自己紹介が進んでいく。
名前。
得意な魔法。
今年頑張りたいこと。
友人同士で茶々を入れ合う生徒もいて、教室には何度も笑いが起きる。
そして――。
(次、俺か……)
優斗の鼓動が少し速くなる。
「じゃあ次」
「はい」
立ち上がる。
三十人近い視線が、自分へ集まった。
昨日の大観衆とは違う。
これから一年間、同じ教室で過ごす人たちだ。
「えー……平賀優斗です」
一度だけ息を吸う。
「昨日、サーバントとしてこの世界に召喚されました。まだ何も分からないことばかりですが……よろしくお願いします」
一瞬の静寂。
そして――。
ぱちぱちと拍手が起こる。
「よろしくー!」
「こっちの世界のことなら聞いてくれよ!」
「後で異世界の話聞かせて!」
あちこちから声が上がり、優斗は少し照れながら頭を下げた。
「……ありがとう」
優斗は席へ座る。
(……学校、か)
胸の奥にあった緊張が、ほんの少しだけ解けた。
やがてルーナの番になる。
「ルーナ=アルベルト=フローレスです! 一年間よろしくねー!」
明るい声に、教室から歓声が上がった。
(人気者なんだな、あいつ)
その後も自己紹介は続き、全員が終わった頃。
ヨルミナが時計へ目を向けた。
「よし。じゃあ、そろそろ講堂に移動するぞ~」
生徒たちが一斉に立ち上がる。
優斗もその流れに加わり、教室を後にした。
◇ ◇ ◇
全校生徒が講堂へ集まると、ほどなくして始業式が始まった。
「これより、今年度の始業式を始めます。それでは校長先生、よろしくお願いします」
壇上へ現れたのは、優斗が思わず「いかにも校長先生だな」と感じるような年配の男性だった。
そして――。
(長い……)
校長の話も、元の世界と変わらず長かった。
(異世界でも校長先生の話が長いのは同じなんだな……)
妙なところに共通点を見つけ、少しだけ安心してしまう。
その後は新任教師の紹介や学園生活に関する諸注意が続き、始業式は無事に終了した。
(なんか、意外と普通だったな)
魔法の世界とはいえ、学校は学校らしい。
そんなことを考えながら、優斗はクラスメイトたちと教室へ戻った。
教室へ入ると、それぞれの机の上に教科書一式と時間割表が置かれている。
「よし、全員戻ったな」
ヨルミナが教壇へ立つ。
「机にあるのが今年使う教科書と時間割だ。無くさないように」
そこで一度、教室を見渡す。
「今日は始業式だけだから、通常授業はなし。サーバントの能力測定がある奴は、時間になったら講堂へ行くように」
優斗は机の上に置かれた時間割へ目を落とした。
見慣れない科目名がいくつも並んでいる。
(……魔法薬学に、魔法史……)
当たり前のように書かれている科目名に、改めて異世界の学校なのだと実感する。
「その他、何か質問は?」
「…………」
誰も手を挙げない。
「お前たちの学年は大人しくて助かるよ~」
ヨルミナは満足そうに頷く。
「んじゃ、今日の終わる時間は私たちの裁量に任されてるから――今日はこれで解散だ」
「早っ!」
誰かの声に、教室から笑いが起こった。
(この人、本当に大丈夫なのか……?)
優斗が担任への不安を覚えていると、さっそくルーナが机までやってきた。
「じゃあ、これから学校探索に行きますか!」
「悪いな。助かるよ」
優斗は立ち上がりながら、ふと思い出す。
「そういえば、能力測定って何時からだ?」
「大体十一時くらいからだったと思うけど……」
ルーナは教壇の方を見る。
「せんせーい! サーバントの能力測定って何時から?」
「んぁ?」
帰る準備をしていたヨルミナが、気の抜けた声を出した。
「えーっとな……待てよ……たしかぁ……」
「…………」
ルーナが優斗を見る。
「まあ、ちゃんとした先生に聞けば分かるでしょ」
「っ!?」
ヨルミナの眉が跳ね上がった。
「失敬な! ちゃんと思い出したし! 十一時に講堂だ!」
「ほんとに?」
「ほんとだ! あと三十分くらいしかないから遅れないように行けよ!」
「はーい」
「……なんなんだ、この人は」
優斗が思わず呟く。
「面白い先生でしょ?」
「面白さを担任に求めてないんだよ」
「まあまあ!」
ルーナは楽しそうに笑うと、教室に残っているクラスメイトたちへ振り返った。
「じゃあ、それまで一回学校探索に行きますか!」
「「おー!」」
「……結構な人数来るんだな」
こうして優斗は、大勢のクラスメイトに囲まれながら学園探索へ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
「こっちが食堂!」
「で、向こうが職員室ね!」
「体調悪くなったら医務室! まあ回復魔法使える先生もいるけど!」
「なるほど……待ってくれ、一気に言われても覚えられねえ」
講堂へ向かう道すがら、優斗はクラスメイトたちから次々と学園内を案内された。
食堂。
職員室。
医務室。
そして校舎の中央に広がる、大きな中庭。
「……分かってたことだけど、すげえ広い学校だな」
優斗は中庭から校舎を見上げる。
「まあ、初等部から大学部まであるから、それなりにね」
ルーナが答え、時計を確認した。
「あっ、そろそろ時間!」
「もうそんな時間か」
「じゃあ講堂に行きましょ!」
クラスメイトたちと共に講堂へ向かう。
入口付近まで来ると――。
「あっ! 優斗!」
聞き慣れ始めた声がした。
「お疲れ様!」
「お疲れ」
ルイがこちらへ駆け寄ってくる。
「どうだった?」
「広すぎて迷子になる自信がある……」
「あはは……」
「じゃあ優斗、能力測定頑張ってね!」
ルーナが手を振る。
「また後で食堂でね~!」
「おう。案内ありがとな!」
クラスメイトたちは、そのまま食堂の方へ歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら、ルイが首を傾げる。
「食堂で何するの?」
「みんなで一緒に昼飯食べるんだよ」
「へぇ!」
「お前も来るか?」
「え?」
ルイは少し迷った後、首を横に振った。
「私はいいよ。みんなに気を遣わせちゃうから」
「別に気にしなくても――」
「ルゥゥイィィィー!」
「え?」
廊下の向こうから、とんでもない勢いで何かが迫ってきた。
「うわぁー!?」
その何か――マリが、ルイへ勢いよく抱きついた。
「び、びっくりした! マリちゃん、どうしたの!?」
「能力測定を覗きに来た!」
「えぇー!? そんなことしていいの?」
「先生には許可もらったよ!」
「手際良すぎるだろ……」
優斗が呆れている横で、人間の姿をしたアンナもやれやれといった表情を浮かべている。
「マリが言い出したら聞かないので」
「アンナまで……」
「いいじゃん! せっかくなんだから見届けようよ!」
「まあ……来ちゃったなら仕方ないか」
ルイは苦笑すると、優斗へ向き直った。
「じゃあ行きましょうか! 優斗」
「ああ」
優斗は講堂の大きな扉へ手をかける。
昨日、自分がこの世界へ召喚された場所。
今日はそこで、自分にどんな力があるのかを調べる。
(魔法、か……)
期待がないと言えば、嘘になる。
自分にも、この世界で戦えるような力があるのだろうか。
優斗は小さく息を吸い――扉を開いた。
四人は、能力測定が行われる講堂へと足を踏み入れた。




