もう一度、学校へ!(前編)
――ジリリリリリッ!
けたたましい目覚まし時計の音が、静かな部屋に響き渡った。
「んん……」
布団の中から伸びた手が、手探りで目覚まし時計を探す。
何度か空振りした末、ようやく時計を叩くと、耳障りな音が止まった。
「ふぁ~……。疲れてたから、よく寝れたな……」
優斗は大きなあくびをしながら、ゆっくりと身体を起こした。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
見慣れない天井。
見慣れない部屋。
そして左手に刻まれた、サーバント契約の印。
「……そっか」
異世界に来たんだった。
昨日一日で起きた出来事を思い出し、優斗は小さく息を吐いた。
時計を見ると、時刻は午前六時半。
ベッドから抜け出してリビングへ向かったが、そこにルイの姿はない。
「ルイは、まだ寝てるのか……?」
冷蔵庫を開け、用意されていた水をコップへ注ぐ。
冷たい水を一気に喉へ流し込むと、ようやく頭が目覚め始めた。
「顔洗って、身支度でもするか……」
廊下へ出て、洗面所の扉へ手をかける。
そこで、優斗の手がぴたりと止まった。
「っと……!」
昨日の出来事が頭をよぎる。
(……昨日みたいな勘違いは、もう勘弁だぞ)
同年代の女の子との二人暮らし。
もし何も考えずに扉を開けて、ルイが着替えていたり、シャワーを浴びた直後だったりしたら――。
優斗は一度ノックして、返事がないことを確かめてから、そっと扉を開けた。
「……よかった。誰もいない」
思わず胸を撫で下ろす。
これまで気ままにやっていた朝の身支度にも、これからは注意が必要らしい。
優斗は顔を洗い、鏡を見ながら寝癖を直した。
「よし」
洗面所を出て、自室へ戻ろうと廊下へ出る。
すると――。
「おはよぉ……」
「ん?」
眠気に満ちた声に振り返る。
そこには、半分目を閉じたままのルイが立っていた。
髪はあちこち跳ね、昨日見た活発な少女の面影はほとんどない。
完全な寝起きだった。
「……おはよ」
「んぅ……」
「早く顔洗って準備しな。学校あるんだろ?」
「うん……」
数歩歩いたところで、ルイの目が少しずつ開いていく。
そして――目の前にいる優斗を認識した。
「…………」
「?」
「――――っ!!」
ルイの顔が一瞬で真っ赤になった。
くるりと踵を返し――。
バタンッ!
勢いよく自室へ飛び込んでいった。
「……なんなんだ?」
取り残された優斗は、閉ざされた扉を呆然と見つめる。
◇ ◇ ◇
「どどど、どうしよう……!」
ルイはベッドへ飛び込み、布団に顔を埋めた。
「寝癖! 絶対寝癖ついてた! 顔も寝起きだったし! あんな恥ずかしい姿見られちゃったぁ……!」
足をばたばたさせながら、一人でもだえる。
一方、廊下では。
「一体なんなんだ……」
何も知らない優斗が首を傾げていた。
◇ ◇ ◇
自室へ戻った優斗は、クローゼットから制服を取り出した。
昨日、一度だけ試着したアーノルド学園の制服。
袖を通し、鏡の前へ立つ。
「…………」
昨日は、もう一度制服を着ること自体が不思議だった。
けれど今日は違う。
この制服を着て、実際に学校へ行くのだ。
(……今日から、本当に学校が始まるんだな)
教室に入るのは久しぶりだった。
見知らぬ生徒たち。
初めて受ける異世界の授業。
そして、昨日の召喚儀式で散々目立ってしまった自分。
考えれば考えるほど、緊張が込み上げてくる。
「……なんか、緊張してきたな」
優斗は鏡の中の自分へ呟いた。
それでも、学校へ行きたくないとは思わなかった。
優斗は一度深く息を吐くと、リビングへ向かった。
「も、もう準備できたの!?」
「うおっ」
扉を開けたところで、ばたばたと走り回るルイと鉢合わせた。
先ほどと同じ部屋着姿。
片手には制服。
髪もまだ完全には整っていない。
「ちょ、ちょっと待って!」
「……先に飯食ってきてもいいか?」
「あと五分だから! ま、待ってぇ~!」
ルイはそう叫びながら、再び部屋へ飛び込んでいった。
「…………」
優斗は閉まった扉を見つめる。
「今まで大丈夫だったのか……あいつ……」
◇ ◇ ◇
「お、お待たせしました……」
数分後。
どうにか身支度を終えたルイが、疲れ切った顔でリビングへ現れた。
先ほどまでの寝癖は綺麗に整えられ、制服もきっちり着ている。
「お疲れさん。じゃあ食堂行くか」
「は、はい……」
二人は部屋を出た。
「お前、朝苦手なのか……?」
「恥ずかしながら……」
「去年とかは大丈夫だったのか……?」
「いい友達に恵まれまして……」
「あー……なるほど」
つまり、誰かが起こしに来ていたらしい。
「よかったな……」
「そうだね……」
なんとも締まらない会話をしながら、二人は食堂へ向かう。
すると前方から、聞き覚えのある元気な声が飛んできた。
「おはよう! ルイ!」
「あっ、マリちゃん!」
短い黒髪を揺らしながら、マリがこちらへ駆けてくる。
「起こしに行こうか迷ったけど、ちゃんと起きられたんだ!」
「ちゃんと一人で起きたよ!」
「ほんとかな?」
マリの視線が、ちらりと優斗へ向く。
「……一応、一人で起きてたぞ」
「一応って! なんで含み持たせるの! もー!」
「ははは! いやー、面白いですな~」
朝から楽しそうなマリの隣では、人間の少女の姿をしたアンナが小さくため息をついていた。
「早くご飯を食べないと、遅刻するわよ……」
「はっ! そうだった!」
マリが大げさに目を見開く。
「ごはん食べに行こう!」
「うん!」
こうして四人は揃って食堂へ向かった。
◇ ◇ ◇
それぞれ朝食を受け取り、四人は同じテーブルを囲んだ。
「今日はサーバント君の能力測定だね」
マリの言葉に、ルイが嬉しそうに頷く。
「うん。楽しみだね、優斗!」
「俺は色々と不安だよ……」
優斗は朝食をつつきながら、重いため息を吐いた。
「クラスメイトも知らない人しかいないし、なんか食欲湧かねえ……」
「あら」
アンナが優斗へ冷ややかな視線を向ける。
「昨日、大勢の前であれだけ啖呵を切っていた人とは思えないわね」
「だからだよ……」
優斗は周囲をちらりと見回した。
視線が合った生徒が、慌てて顔を逸らす。
「なんか、みんなちらちら見てくるし……」
「まー、有名人になっちゃったよね~」
マリはあっけらかんと笑う。
「でも、しばらくしたらみんな忘れるよ! 大丈夫!」
「早めに忘れてくれることを祈るよ……」
昨日、あれだけ目立つことをしたのだ。
自業自得と言われれば、それまでなのだが。
「私もクラス替え不安だよ……」
今度はルイが不安そうに呟いた。
「またマリちゃんと一緒がいいな~」
「確かに!」
マリも身を乗り出す。
「早く食べて、クラス発表見に行かないと!」
そう言うなり、朝食を勢いよく掻き込み始めた。
「急に食うなよ……」
「時間は有限なのだよ、優斗君!」
「誰だよお前」
優斗は呆れながらも、少し笑った。
「そういや、中等部って何クラスあるんだ?」
「三クラスだよ! 一クラス三十人くらい」
「そうか」
優斗はルイを見る。
「一緒になれるといいな。まあ、なれなくても、そこで新しい友達を見つければいいんだよ」
「……うん。そうだね!」
ルイは明るく頷いた。
朝食を終えると、四人はクラス分けが掲示されている学園の正門へ向かった。
◇ ◇ ◇
「うわ……すげえ人」
正門付近には、生徒たちの人だかりができていた。
掲示板に貼り出されたクラス分けを確認しようと、あちこちから歓声や落胆の声が飛び交っている。
「これじゃ見えないな……」
「このために双眼鏡持ってきたらよかった……」
「クラス発表見るためだけに双眼鏡持ってくる奴いるか?」
人混みをかき分け、なんとか掲示板の前まで辿り着く。
「あっ、見えた!」
ルイが自分の名前を探し、指で追っていく。
「二年B組だ! マリちゃんは?」
「えーっと……」
マリも名簿へ顔を近づける。
「……うそ! 私もB組だ!」
「やった!」
「今年もよろしくお願いします!」
マリがびしっと敬礼する。
「よろしくお願いします!」
ルイもなぜか丁寧に頭を下げた。
「なんなんだ、そのノリ……」
優斗も自分の名前を探す。
人間のサーバントは、召喚者の学年に関係なく、本人の年齢に応じた学年へ編入される。
一方、妖精などの人間以外のサーバントは、生徒として入学するわけではない。
そのため、優斗もルイとは別の学年になることは聞いていた。
「俺は……三年A組か」
日本でも中学三年生だった優斗にとっては、同じ学年への編入だ。
それでも、知らない生徒ばかりのクラスに入ると思うと、少し気が重い。
自分の名前を確認した、その時。
「ん?」
同じ名簿の中に、見覚えのある名字を見つけた。
「ルーナ=アルベルト=フローレス……」
優斗は隣のルイを見る。
「これって、ルイの――」
「私のこと呼んだ?」
「え?」
背後から突然、女性の声が聞こえた。
振り返る。
「ルーナお姉ちゃん! ルミナお姉ちゃん!」
ルイがぱっと顔を輝かせた。
「おはよう! ルイ!」
「おはよう、ルイちゃん」
そこには、二人の少女が立っていた。
「紹介するね!」
ルイが嬉しそうに二人を示す。
「こちらがルミナお姉ちゃん! 高等部二年生! それでこっちがルーナお姉ちゃん。優斗と同じ中等部三年だよ!」
「へぇ……」
優斗は二人を見て――思わず言葉を失った。
まず、姉のルミナ。
もし女神という存在が実在するなら、きっとこんな姿をしているのだろう。
優斗とほぼ同じ、百七十センチほどの身長。
長い金髪を上品にハーフアップにまとめ、整った顔立ちには柔らかな微笑みが浮かんでいる。
そして――。
(…………すげえ)
優斗の視線が、一瞬だけ下がる。
(胸でけえ……)
思春期の男子中学生には、少々刺激が強かった。
慌てて視線を隣へ移す。
対するルーナは、ルミナとはまた違った魅力を持っていた。
美人というより、誰からも好かれそうなアイドルのような可愛らしさ。
優斗より少し低い身長に、金髪のツインテール。
すらりとした体型で――。
(こっちもすげえ可愛いな)
そして再び、一瞬だけ視線が下がる。
(胸は……お姉さんに全部持っていかれたんだろうな……)
「…………」
なんとなく、優斗は隣にいるルイも見る。
ルイも姉たちに負けず劣らず整った顔立ちをしている。
身長は低いものの――。
(……こいつ、ルーナより――)
「さっきから」
「っ!」
ルイの声で、優斗の思考が強制終了した。
「人のことをじろじろ見て、なに?」
冷たい。
ものすごく冷たい目だった。
「いや、すごいお姉さんたちだなって思って……」
「ふーん……」
(危ねえ……)
何が危ないのかは、自分でもよく分からない。
「君が噂のルイのサーバントね!」
そんな空気を吹き飛ばすように、ルーナが優斗へ右手を差し出した。
「私はルーナ! 同じクラスみたいね! これからよろしく!」
「俺は平賀優斗。こちらこそよろしく」
優斗もその手を握る。
「ルイのお姉さんと同じクラスなら、ちょっと安心したよ」
「ふふっ。任せて!」
「あら。同じクラスでよかったわね」
ルミナが柔らかな声で言う。
「私はルミナ。ルイちゃんのこと、これからよろしくね」
「あ、ああ。こちらこそ……よろしくお願いします」
先ほどまでくだらないことを考えていた自分が急に恥ずかしくなり、優斗は少しだけ姿勢を正した。
「じゃあ、早速教室に向かいましょ!」
ルーナが明るく声を上げる。
「ホームルームの後、始業式だから」
「そうだね!」
ルイは優斗を見る。
「じゃあ、また能力測定でね! 優斗!」
「おう。また後でな」
ルイたちと別れ、優斗はルーナと共に三年A組の教室へ向かった。




