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途切れた歌謡サイン帳(2〕

「ひかるさんとコウさん…なんか…いい人だったな…」

その夜、シンは、ベットの上で白い壁紙を眺めながら、今日一日の出来事をゆっくりと思い返していた。

二人は行く当てのないシンをおもんぱかって、事務所の一つ階上にある研修生用の泊まり部屋を当てがってくれたのだ。


東京芸映テレビの長い廊下、原色★歌謡曲図鑑の華やかなスタジオ、突然の大地震…そして、二人から聞かされた太平先生の死…。

全てが、わずか今日一日の中で起きたとは思えないほどの怒涛の出来事だった。

番組で歌を歌えなかった悔しさ、太平先生がもうこの世にいないと告げられた驚き…辛いことばかりの一日だったが、初めて会ったばかりのひかるとコウが、紆余曲折ありながらも終いには自分が語った言葉を信じてくれたことだけは少し嬉しく、シンの心はことの外ほっこりとしていた。


ちょっと待ってください 悲しみが消えるその日まで ♪


いつの間しか眠りに落ちていたシンは、夢の中で自分の持ち歌を歌っていた。


事務所のいつものスタジオ…。

天井近くの窓から午後の柔らかな陽が降り注ぐ中、アップライトのピアノの前に太平が座り、その伴奏でシンは歌っていた。

グレーのジャケットと縁無しメガネを身につけた太平は、シンが学生の頃に音楽雑誌のインタビュー記事で見たままの姿だった。


思えば、この筒井太平こそが、田舎にいた学生時代の自分が初めて憧れた都会の大人ってやつだったかもしれない…シンは思い返す。


小さな頃から歌うことが大好きだったシンは、中学に入って友人たちの多くが洋邦のロックやフォークに傾倒する中、なぜか歌謡曲に惹かれるようになっていった。

歌詞の世界観、歌手の個性、メロディ…歌謡曲はロックやフォークに比べ、すべてにおいて多彩さが優っており、歌っていて楽しく感じられたのだ。

歌詞が物語性に富んでいて、様々な主人公になり切って歌えるのも面白かった。


そして、ラジオで「この曲いいな」と思った曲の作曲者を調べると、ことごとくが筒井太平作曲だった。


土着的な演歌から派生した日本情緒的な歌謡曲の世界に、洋楽的なアレンジを持ち込んだ洒落た都会派の歌謡ポップスの騎手、筒井太平。


音楽雑誌でそう謳われる太平だったが、「作曲家は歌手を輝かせるのが仕事。裏方の作曲家が歌手より目立ってはいけない」というポリシーからあまりメディアに出ることを好まなかった。そのため、放ったヒット曲の多さに比べて、太平は一般には謎の多い存在だった。

「歌謡曲はオートクチュール」も、この頃から太平が歌手至上主義のポリシーから発していた言葉だった。


そんな職人気質な太平の姿勢に、シンはより強い憧れを募らせ、それは「いつか自分も太平先生に曲を書いてもらえるような歌手になりたい」という大きな夢へと育って行った。


ところが、そんなシンの無邪気な夢に対して、現実の壁はとてつもなく高かった。

昭和の頃、歌手デビューが紐づいた歌謡コンテストが全国各地で行われており、シンもその多くに応募してみていたが、いつもいいところまで勝ち進むのに賞を獲るには至らなかったのだ。

「声はいいんだけど、歌唱テクニックが足らない」「明るくて良い歌声だが、歌い方が素直すぎる」と、審査員に様々な評価を下されながら、シンは世の中には自分より歌の上手い人がごまんといることを思い知らされざるを得なかった。


歌手になるなんて、やっぱり無謀な夢なのかな…。

再三の落選にシンがそう諦めかけた頃、太平の事務所が仮歌シンガーの募集を行っていることを知った。


歌手になれなくてもいい。

太平先生に自分の歌う声を一度でも聴いてもらえればいいや…。


そんな気持ちで送ったデモテープに、太平の事務所から「生の歌声を聴かせに来て下さい」という返事が届いた時、シンは自分がもう一生分のラッキーを使い果たしたんじゃないかと恐ろしくなったほどだった。


ちょっと待ってください 九月の街 ♪


傍らでピアノを奏でる太平は、シンの歌に目を細め、微笑みを讃えている。

先生、俺は今、うまく歌えていますか…。


太平にそう問いかけたところで目が覚めて、シンは独りで暗い部屋にいる自分に気づいた。


「先生…俺、やっぱり先生にもう一度会いたいよ…」

暗闇の中、掠れた声でシンはつぶやいた。


昨日の朝、原色★歌謡曲図鑑にランクインし、出演するためにテレビ局に赴く自分を太平は笑顔で見送ってくれた。

その「昨日の朝」から、すでに40年もの歳月が流れていて、太平がすでにこの世にいないなんて…。

太平と一緒にたくさんの歌を作っていくはずだった日々は、一体どこに消えてしまったんだろう。…いや、消えていいはずがない…。


たくさんのデモテープの中から太平が自分を見つけてくれたように、今度はこの不可思議な時空の歪みの中に消えていった太平を自分が見つけ出さなければならない。


「昭和に…帰らなきゃ…」


すると、そんなシンの呟きに呼応するように、誰もいないはずの部屋の暗がりから声がした。


「ミラーボード…クグレ…サインチョウ…モドセ…」


え…?

シンは目を擦って声のした方向を凝視したが、そこには何もない暗いしじまが続くのみだった。


色々なことが続きすぎて、やはり疲れているみたいだ。自分はまだ夢の続きを見ているらしい。

シンは毛布をかぶり直して、ゆっくりと眠りに落ちて行った。


「ミラーボード…クグレ…サインチョウ…モドセ…」


しばらくして、部屋の暗がりから再び低い声がした時、シンはもう深い眠りの中にいた。

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