途切れた歌謡サイン帳(1)
「まったく俺に隠れて何をコソコソやってるんだよ…」
筒井歌謡企画のスタジオに残されたアキトは、スタジオを退出して行くひかるたちの背中を訝しげに見送った。
一緒にいた白マントの衣装を着た青年の顔にも見覚えがなかった。
「この前のグループアイドルデビューの提案は、やっぱり突然すぎたかな…」
アキトは、先日の社内会議の席でひかるが見せた怒りに満ちた表情を、苦々しく思い出した。
歌謡曲はオートクチュール…という先代社長のポリシーの元、ひかるがあくまでソロ歌手育成を事務所の運営に据えようと執着していることはよくわかっている。
が、それが時代の趨勢に反していることは、あまりにも明らかだった。
昨年暮れの紅白歌合戦の出場者も、男女アイドル、ダンス&ボーカルグループ、バンド、K-POPユニットなどグループアーティストの割合が、近年約7割から8割を占める主流となっている。
アイドル歌手においては、最近はソロデビューするケースはほとんどなく、男女ともアイドルはグループで売り出すのが音楽業界の常識になっていた。
著名な作曲家である先代社長・筒井太平の名前で、様々な楽曲受注や営業が成り立っていた時期はもう過ぎた。
これからは音楽業界の潮流に合わせて、事務所も生まれ変わらなければならない。
そのためには、「どんな音楽を作りたいか」ではなく「どんな音楽が売れるか」という販促主導の経営指針が必要なのだ。
グループアイドルデビューの提案には、そんな自分の確固たる考えを込めたはずだったが、ひかるにはやはり理解されなかったようだ。
それにしても…この妙なサイン帳は一体何だろう。
アキトの手には、革の表紙の大きなサイン帳が携えられていた。
朝、出社すると、事務所のエントランスにこのサイン帳が転がっていたのだ。
誰かの落とし物かと思い、拾い上げてみたものの、社内でこんな備品を見かけたことはなかった。
アキトはスタジオのテーブルの上にサイン帳を置き、ゆっくりとページを繰ってみた。
1ページ目には、1988年1月の日付で、当時人気だった女性アイドルのサインが記されている。
そのままページをめくって行くと、今はもう解散してしまった人気ロックバンド、当時高視聴率だったドラマの主題歌歌手…など、様々な歌手のサインが日付・楽曲名と共に記されていた。
記されたサインは、いずれも昭和の人気歌手のもので、併記されている楽曲名はアキトもよく知っているヒット曲が多かった。
ページごとにソロ歌手は一人、バンドやグループは寄せ書きでサインが記してある。
「これは…本物のサイン…?でも、なぜ昭和の歌手ばかり…?」
そして、ページを繰るうちに、アキトは奇妙なことに気がついた。
それまでほぼ時系列で並んでいた歌手たちのサインの日付が、あるページを境に急に跳んでいるのだ。
“ちょっと待ってください 坂口シン 1988.10.20“
“木曜日の流れ星 パラダイス 2028.10.19“
同じ見開きの左半分が昭和63年、右半分が令和10年…つまり今年の明日の日付になっており、ちょうど40年の開きがあった。
坂口シンという名前には覚えがないが、パラダイスは大手事務所所属の男性アイドルグループで、「木曜日の流れ星」は先週発売の彼らのCDデビュー曲だったはずだ。
アキトが次のページをめくると、こちらにも令和の歌手のサインが記されている。
“ 無限大で愛してる! 純愛ガールズ 2028.10.26“
“ブルーフィルム REI 2028.11.2“
純愛ガールズもREIも、やはり大手事務所が売り出し中の新人女性アイドルグループと新進シンガーソングライターだ。
が、添えられた日付はそれぞれ来週、再来週のものだった。
こんな具合に、サイン帳の後半には今年から2年後の2030年11月までの日付で、様々な歌手のサインと楽曲名が連なっていた。
「これは…何だ…?」
前半が昭和のレジェンド歌手たち、後半が令和の新進歌手たち、終盤に至っては未知の歌手たちのサインが集まった奇妙なサイン帳…。
こんなものがなぜ事務所の中に転がっているのか?
「遅れてすみませ〜ん」
サイン帳を前にしたアキトの困惑の深さと裏腹な能天気な声で、販促部の部下である徳永ショウがスタジオに入ってきた。
元々このスタジオは、来週に控えている男性グループアイドルのオーディションの打ち合わせのために予約していたのだった。
「あれ?これって、原色★歌謡曲図鑑の記念サイン帳じゃないですか⁉︎」
ショウはテーブルの上のサイン帳に目ざとく見つけて、無遠慮にページをめくり出している。
「そうなのか?」
「そうですよ。原色のトップ10にランクインした歌手は、初ランクインした初歌唱の時にスタジオで記念にサインをするんです」
「…」
「うわぁ、これすごいなぁ。もう解散したバンドの初期メンのサインがゾロゾロ揃ってる!」
サイン帳の前半ページを見ながら勝手に一人で盛り上がっているショウの嬌声を聴きながら、アキトが思いをめぐらせ始めていたのは後半ページについてだった。
東京芸映スタジオの原色★歌謡曲図鑑のスタジオにあるべきサイン帳がなぜかここにある…。
サイン帳の後半部分は全て未来の日付…。
心が父に乱れ、考えがうまくまとまらない中、アキトはショウにようやく指示を出した。
「なぁ、このサイン帳のことは事務所の他のメンバーには黙っていてくれ。特に、ひかる社長には絶対知られないように」
「何かのサプライズ企画ですね。了解です!」
このサイン帳の件をひかると共有しないことで、彼女との間にまた大きな壁が出来てしまうことは十分わかっていた。
だが、そのこと以上に、このサイン帳への好奇心がアキトの頭の中を大きく支配し始めたのだった。




