歌謡曲はオートクチュール(1)
「令和10年の半期決算が締まりました」
資料を渡す経理担当のコウの気まずそうな目つきを見るまでもなく、筒井ひかるはそこに並ぶ惨憺たる数字をとっくに予見していた。
前期からコストがほとんど横ばいにもかかわらず、売上高がガタ落ち…。
わかってはいたが、こうあからさまにリアルな数字を突きつけられると、やはり辛いものがある。
「申し訳ありません…予算対比、前年同期比の両方で減収減益です」
「コウのせいじゃないよ…私が社長として上手く事務所を運営できないのが悪いんだ。おつかれさま」
ひかるはコウにねぎらいの言葉をかけ、社長室から退去させると、資料から目を離し、窓の外のビル街に目を転じた。
窓の外の空には秋の午後の雲がのどかに漂っていた。
「パパごめん…私、やっぱり無理だったかも…」
筒井歌謡企画は、父である筒井太平が興した歌謡曲シンガー専門の芸能事務所だった。
昭和の末期から歌謡曲作りの名手として名を馳せていた太平は、平成に入ってから、有名歌手にたくさんの楽曲を書く傍ら、自らも新人歌手を育成しようとこの事務所を立ち上げた。
父が社長を務め、母のいずみが事務を受け持つ家族経営の小さな音楽事務所だった。が、ヒットメーカーの筒井太平から直々に熱心な指導を受けられる事が評判を呼び、平成中期の最盛期には多くの研修生が集まり、CDデビューを果たした歌手やそのマネージャーが幾人か抱える芸能事務所に成長していた。
「あの頃は楽しかったな…」
事務所の入るオフィスビルの別室にあったレッスンスタジオ。小さな頃、ひかるはその木目の静謐な空間が大好きだった。
その空間の奥に置かれたアップライトのピアノの椅子に座り、傍らの研修生を歌わせていた父の楽しそうな横顔を今もよく覚えている。
「綺麗な声のシンガーと面白い声のシンガーがいるとする。歌謡曲の世界で大成するのはどちらかと言うと面白い声のシンガーなんだよな」
研修生が帰った後、太平は機嫌が良いと、まだ小さかったひかる相手にそんな自前の歌謡曲論を熱く語ることがあった。
「歌謡曲はラジオからふと歌声が流れてきた時、リスナーに何これ?と思わせなきゃダメなんだよね。だから歌う歌手の声のユニークさは歌謡曲の生命なんだよ」
そんな持論を持つ太平が育成する研修生には確かに声が印象的なシンガーが多かったっけ。父が貫く妙な頑固さをひかるは愛おしげに思い出す。
が、大学3年の秋に母のいずみが病死し、事務所の事務全般を引き継いだ頃から、ひかるは父の頑固さに大いに悩まされるようになる。
平成の後期から日本の音楽業界には空前のグループアイドルのブームが起こり、ヒットチャートを占有し始めた。
太平の元にも様々なレコード会社からグループアイドルの楽曲のオーダーが舞い込んだが、太平はそれをことごとく受けようとしなかったのだ。
「あんなに大勢がユニゾンで合唱するんじゃ、一人一人の声の面白さが伝わらずつまらない」というのがその理由だった。
平成に入ってから、ロックバンドやシンガーソングライターが台頭し、演歌・歌謡曲のヒット曲が激減。太平のような専業作曲家は若いアイドル歌手への楽曲提供を主戦場にしていた。だが、ソロのアイドル歌手も次第に減っていき、そこへグループアイドルの大きなブームが波のように押し寄せたのだ。
「グループアイドル自体は否定しない。でも、今まで俺はシンガーの声の個性にインスパイアされて楽曲を作ってきた。歌謡曲は歌手の声質、音域、キャラクターに一番合う最適な楽曲を、プロの作詞家と作曲家と編曲家が仕立て上げるオートクチュールみたいなものなんだ。だから、俺はこれからもソロ歌手への楽曲提供に拘りたいんだよ」
太平の頑固さに呆れながらも、ひかるはそんな父の楽曲作りのモチベーションのあり方を素敵だとも思っていた。
大勢のメンバーが派手なフォーメーションのダンスを展開しながら、ユニゾンやソロパートをシェアしながら、メンバー間のチームワークで魅せていくグループアイドルも素敵。
自分の信条や音楽性を自分の楽曲にダイレクトに反映してリスナーにぶつけて行くシンガーソングライターやバンドの音楽も素敵。
だが、プロの作詞家作曲家が一人のシンガーにオートクチュールのように最適な楽曲をあてがう歌謡曲の世界が、平成以降、急激に衰退して行ったのは寂しかった。
いつかそんな歌謡曲の時代がまた訪れてくれたら楽しいのにな。
だが、ひかるのそんな想いも空しく、その後の平成の音楽業界の趨勢は変わることはなく、太平はその後も頑としてグループアイドルに曲を書くことはなかった。
が、その傍ら、アニメの人気声優やグループを卒業してソロデビューしたアイドルなどのソロ歌手には積極的に楽曲を書き、原色★歌謡曲図鑑にチャートインさせていたのは、父の作曲家としての矜持だっただろうか。
「最後まで頑固な親父だったわ…」
ひかるは書棚のフォトフレームの中で微笑む太平の遺影にそっと目を移した。
昨年秋、この頑固な創業者を失ってから、社長として会社を引き継いだひかるだったが、自分の中心に大きな空洞が出来たのを感じざるを得なかった。
が、太平の死が会社にもたらした空洞がもっと切迫したものであることをコウから渡された手元の業績資料は物語っていた。
「たしかにこのままじゃいけないの…かもね…」
ひかるは肩まで下ろした髪をそっと撫で、秋の空を見つめながら、そっと呟いた。




