新人歌手、復帰会見へ(2)
まったく…俺としたことが、何をやっているんだろう…。
デスクで頭を抱えながら、アキトはレッスンスタジオでの件を苦々しく思い返していた。
あの晩、自分の身に起きたことをまるで覚えていない…。
販促ルームが急に停電になり、電源のブレーカーを入れようとスタジオに入り、窓際に何者か人影がたたづんでいるのを目にした…まではかろうじて覚えているが、それ以降、スタジオのソファで目覚めるまでの記憶が何もないのだ。
ショウによると、自分はスタジオのピアノの椅子に腰掛け、怪しげな言葉を口走ったという…。
「ひかる、お願いだ。アキトを止めてくれ。歌謡曲の歴史を守ってくれ…」
この言葉の意味も、まるでわからない…。
…いや…何となくわからなくもない…。
アキトは、あの不可思議なサイン帳を手に入れた後、そこに書かれていた亡き太平のヒット曲を人気インフルエンサーにカバーさせて、三曲を「原色★歌謡曲図鑑」のトップ10に送り込んだ。
そして、同様の手法で二曲の配信楽曲を仕込んでいるところだ。
さらに、事務所のベテラン演歌歌手・門倉タカシが昨年リリースした「出船・海峡・別れ」をサイン帳に追記して、この曲も原色★歌謡曲図鑑の第8位にランクインさせた。
これらの所業は、まさにあの晩自分の口をついて出た「歌謡曲の歴史」を乱す行為だったのではないか…。
あのサイン帳を拾って以来、断続的に続いているこめかみあたりの鈍い痛みも気になっている。
いやいや…あの晩以来、自分は少し弱気になっているだけだ…。
ヒットチャートと明らかに密接にリンクしているこのサイン帳…。
このサイン帳の効用をもっと詳しく調べ尽くさなくてはならない…。
このサイン帳に書かれた歌手と楽曲は、記載された日付通りに「原色★歌謡曲図鑑」に初登場して行く。
このサイン帳の余白のページに、これまでランクインした事のない歌手に楽曲名と日付をサインさせると、その日付通りに「原色★歌謡曲図鑑」に初登場する。
これまでインフルエンサーたちに歌唱させた楽曲や、演歌歌手の門倉の楽曲で実証されたサイン帳の効用は、その二つだった。
このサイン帳の効用を使って、筒井歌謡企画の利益を最大化し、自分が得た音楽業界のヒットメーカーの地位をキープするには、どうすればよいだろう…。
インフルエンサーたちの昭和歌謡カバー企画を着々と進めながらも、アキトは次の一手について考えをめぐらせていた。
今後四年間、「原色★歌謡曲図鑑」に初登場するアーティストと曲がわかっていても、それだけでは何の益にもならない。
もし競馬やサッカーのように、音楽チャート予想が公営ギャンブルになっていたら、自分は巨万の富を得られるかもしれないが…。
また今回は、書かれている楽曲が亡き筒井太平の作品だったため、それに合わせたリリースを準備することができたが、この後のページを見ても、もう太平の残した楽曲のタイトルは見当たらない。
そして、サイン帳の残りの白ページはあと3ページしか残っておらず、門倉ヒロシの曲の時のような乱用はできるだけ避けたい。
せっかく自分の手に渡って来たこの摩訶不思議なサイン帳…。
だが、そのさらなる活用法を見出せなければ、その恩恵を得られる機会は後わずかであり、文字通り宝の持ち腐れだ…。
「アキトさん、経理のコウから、依頼していた資料が上がってきました」
ふと気づくと、ショウが付箋の付いたファイルを抱えて、デスクの前に立っていた。
次なるサイン帳の効用の調査は、順調に進んでいるようだ。
このサイン帳の後半には、今後2032年11月までの日付で100を超える歌手名と楽曲名が記されている。
アキトは、経理の竹内コウを使って、この中の全ての歌手名の所属事務所、レコード会社、ホームページやSNSアカウント、登録商標の有無を調べさせていた。
「今月が2029年1月ですから、サイン帳の最後に書かれた日付の2032年11月までは4年弱…。その間にこのサイン帳にサインのあるアーティスト名は104組。そのうち現在、まだデビューしていないアーティストの名前は27組…という結果になっています」
ショウが、コウの調査結果の数字をつらつらと読み上げた。
「27組か…。その27組を日付別に分けるとどんな具合?」
「2029年が3組、以降…2030年が6組…2031年が8組…2032年が10組…ですね」
ショウは、資料の上に指を走らせながら答えた。
「なるほど…」
アキトは、ショウの告げた数字を傍らのメモに書き写しながら、少し考え込んだ。
このサイン帳の三つ目の使い方…。
少し乱暴ではあるが、試してみる価値はありそうだ…。
「あの…サイン帳に書かれているこれからデビューするアーティストはわかりましたが…これで何をするんでしょう?」
ショウが、少し不安そうに、アキトの顔をのぞき込んだ。
アキトは意を決して、ショウに告げた。
「このサイン帳にある未デビューのアーティスト名とその『原色★歌謡曲図鑑』初登場曲を、全てうちの事務所名義にする…」
「へ…?」
ショウはアキトの予想外の宣言に返す言葉を失った。
これでまた自分は「歌謡曲の歴史」を見出す行為に手を染めてしまうのだろうか…。
アキトはふと、あの夜、自分の口を突いて出たという苦いキーワードが脳裏をよぎるのを感じた。
だが…。
この不可思議なサイン帳との千載一遇の出会いを無駄にはできない…。
このサイン帳と自分の出会いには、何か大きな意味があるはずだ…。
自分は、このサイン帳の効用を使い尽くしてみせる…。
アキトはこのサイン帳からの未知の世界への誘いと、はやる心を抑える事は出来なかった。




