太兵の幽霊(2)
「アキトが幽霊に…って…どういうこと⁉︎」
突然、ルームに飛び込んで来たショウの言葉は要領を得ず、ひかるは苛立ちながら、ショウに問いただした。
「と…とにかく来て下さい…!」
ショウは、ひかるとコウを階上のレッスンスタジオへと導いた。
筒井歌謡企画のレッスンスタジオは木目のクラシカルな作りで、ひかるは小さな頃からこの落ち着いた空間が大好きだった。
だが、夜の暗闇の中、今はその静謐さがかえって不気味さをたたえており、ひかるはつくづく一人きりで来なくてよかったと思ってしまった。
「ねぇ…電気つけようよ…」
階段を上がる途中、ひかるは前を行くショウにすがるように声をかけた。
が、ショウは力なく、
「さっきからこの階、電気がつかないんですよ」と返答した。
停電…?このフロアだけ…?
ひかるは奇妙に思ったが、まずはとにかく幽霊の所在を確かめなくてはならない…。
三人は暗い廊下を通り、奥のレッスンスタジオの扉を開けた。
すると…、たしかに奥の窓の近くのピアノの前に腰をかけている何者かの影があった…。
窓からさす月光が逆光になり、影の主の顔がよく見えない…。
ひかるは、暗いスタジオの中、懸命に目を凝らして影の主が誰かを確かめようとした。
もしかして…これが…スタジオに現れるという噂の幽霊の正体…?
…ってことは、パパ…?
ひかるは、影の主との距離を詰めるべく、一歩一歩足を進めた。
すると、窓辺に座る影の主は、少しずつその顔の輪郭を露わにしていった。
アキトだ…。
暗いスタジオの闇の中、依然として見えにくくはあったが、見覚えのある焦茶のジャケットや少しシャープな頬の線…影の主はたしかにアキトだった。
「アキト…あなた…ここで何を…?」
だが、ひかるの問いかけに答える声は、どこかアキトとは異なっていた…。
「ヒカル…カ…」
…?
「ヒカル…オ願イダ…。アキトヲ止メテクレ…。歌謡曲ノ歴史ヲ守ッテ…クレ…」
アキトは声を絞り出すように、そこまで語ると、そのまま前のめりに椅子から崩れ落ち、音を立ててスタジオの床に倒れ伏した。
「アキトさん!」
ショウが倒れたアキトに駆け寄り、肩を揺さぶったが、アキトは完全に意識を失っているようだった…。
「コウさん、肩を貸して!」
ショウに即され、コウはショウと一緒にアキトの体を左右から抱え起こし、スタジオのピアノの脇にあるソファに移した。
…とその時、それまで消えていたスタジオの天井のライトが一斉に点灯した。
先ほどまで暗い闇のように鬱蒼としていたスタジオが、途端に普段の姿を取り戻した。
「アキトさん!…アキトさん!」
ショウが、アキトの傍らで懸命に呼びかけ続けるが、アキトは依然、昏睡したままだ。
目を閉じたままのアキトの顔は、目が窪み、頬がこけ…心なしか少し歳をとって見えた。
ひかるは、その光景をただなすすべもなく見つめていた。
が、やがて傍らのコウに振り絞るような声で告げた。
「パパだわ…」
「え…?」
コウはひかるの言葉の意味がわからず、問い返した。
「今の声…パパだわ…」
ひかるは、今度はやや力のこもった声でコウに向かって復唱した。
「どういうことですか?」
だが、二人の会話は、取り乱したショウによって遮られてしまった。
「アキトさん!死んじゃ嫌ですよぉぉ!」
ショウは半泣きになって、オロオロとアキトにすがっている。
普段はアキトの威を借りて、こちらを見下すような態度ばかり取っているショウ。
だが、いざアキトの緊急事態になると、途端にダメダメだな…。
コウは、ショウのうろたえぷりに呆れながら、スタジオの奥のロッカーから毛布を取り出し、寝ているアキトの体の上にかけた。
「ねぇ、アキトはどうしてこんなになったのよ?」
やや落ち着きを取り戻したショウに、ひかるがやや険しい口調で問いかけた。
「どうして…と言われても…」
ショウはおぼつかない様子で、これまで起きた出来事を説明し始めた。
アキトとショウは、先ほどまで販促部の部屋で、二人でミーティングをしていたらしい。
ところが、その最中、フロアの電気がいきなり切れ、ショウはルーム内で懐中電灯を探し、アキトはレッスンスタジオの壁にあるブレーカーを見に行った。
だが、アキトがなかなかスタジオから戻らないので、心配になって見にいったところ、暗いスタジオの中、窓辺のピアノに座ったアキトが、うわごとのように何事かを繰り返しつぶやいていた…とのことだ。
「アキトさんの様子があまりにおかしいので、俺、アキトさんが噂になってるスタジオの幽霊になっちゃったのか…と思って、怖くなっちゃって…」
「それで…慌てて、私たちのところにアキトが幽霊になった…って飛び込んで来たわけ?」
ひかるの問いかけに、ショウは力なくうなづいた。
「…ったく…。最近のこのスタジオの幽霊騒動そのものが、あんたたちの狂言なんじゃないの?」
「そんな…。とんでもないですよ…」
ショウはすっかりとうろたえた様子で、慌てて胸の前で手を振った。
まぁ…そもそもそんなことをするメリットは、アキトにもショウにもないか…。
それよりも、さっきアキトの口から漏れた謎の言葉の意味は何なのだろうか…。
そして、あの声の主は、たしかに亡き父・太平であるように思えた…。
この幽霊騒動については、アキトにも、意識が戻ったら色々聞かなくてはならない。
ひかるは、ソファの上で寝息を立てているアキトの顔を見ながら、千々に思いをめぐらせていた。




