太兵の幽霊(1)
どうして僕は、こんなことをやらされているのだろう…。
コウは、今夜もこの謎の作業に取り組むため、残業を強いられていた。
販促部のアキトから渡されたリストは、100を優に越す数のアーティスト名と楽曲名で埋め尽くされていた。
アキトからの指示は、ここに記載された全てのアーチスト名の所属事務所、レコード会社、HPやSNSアカウント、そして登録商標の有無を調べろ…ということだった。
調べろ…と言いつつ、目的を言わないんだもんな…。
記載されたアーティスト名は、CDデビュー済のアイドルグループ、事務所未所属でSNSオンリーで活動するシンガーソングライターやボカロP、ネット検索では全く出てこない名前…様々だった。
そもそもこのリストは、何を母集団にして作成したものなのか…。
それすらも知らされず、ただ機械的にネット検索を繰り返し、リストの備考欄を埋めていく作業は虚しかった。
それこそAIにでもやらせたい作業だ。
アキトからはつい先日も、シンのサインをもらって来るよう謎の指示があったが、それについても目的の説明は全くなかった。
コウは、自分の真意を明かさずに、ただ乱暴に指示だけを投げてくるアキトの仕事のやり方は、やはり好きになれなかった。
これも、ひかるに黙って、アキトにシンのプロデュースを依頼に行ってしまった自分の勇み足が悪かったのかもしれない…。
「君が協力してくれるなら、プロデュースの件、考えないでもないよ…」
アキトからは、はっきりとした約束をもらえたわけではなかった。
が、シンの再デビューについてプロデュースをほのめかされたからこそ、こうして理不尽な指示にも黙って従っているのだ。
コウは先週の原色★歌謡曲図鑑で、ミラーゲートから登場したベテラン演歌歌手・門倉ヒロシの姿を思い出していた。
「苦節30年…。ついにこの番組に出られる日が来ました…」と、司会者の前で泣き崩れる門倉の芝居がかったトークぶりには多少鼻白んだが、その後、誇らしげに持ち歌を歌い上げる姿にはやはり胸が熱くなった。
いつかシンにも、あんな風に原色★歌謡曲図鑑で歌ってもらいたい…。
コウが、そんなことを考えていると、オフィスの入り口からコンコン…と入室を合図するがした。
ふと見ると、そこにはひかるが立っていた。
「コウ…残業中、ごめんね」
ひかるは両手でごめんねポーズをしながら、こちらに入って来た。
コウは慌てて、パソコンの画面を切り替えた。
アキトからの依頼ごとは、ひかるには内密で…ということになっているのだ。
「最近、ちょっと忙しそうで、表情が暗いこと多いけど、大丈夫?」
ひかるは後ろの空いているチェアに腰掛けて、コウの顔を心配そうにのぞき込んだ。
「いえ…色々と業務が立て込んでしまってて…」
「シンは、ここでちゃんと仕事できてる?」
ひかるが、ふいに話題をシンのことに変えてきた。
「ええ、仕事の覚えも意外と早いですよ」
「シンの再デビューの件、何もできずにいて、申し訳ないわ…」
「いや…最近、インフルエンサーさんたちや門倉さんのヒットが続いて、マネジメント系も色々バタバタしてますから…」
「そうね…それもあるけど、シンの再デビュー…シン自身があまり乗り気じゃない気がして…」
「えっ?そうなんですか…?」
コウは、ひかるの意外な言葉に驚いた。
「乗り気じゃない…というか、彼、あまり積極的に再デビューの希望を私たちの前で口にしない気がしない?」
そう言えばそうだ…。
コウは、以前、シンがオフィスで「歌いたい気持ちはあるが、ここにいられるだけで十分」と語っていたことを思い出した。
「それは…最近の事務所のバタバタぶりを見て、単に僕たちに再デビューの希望を言いづらくなってるだけなんじゃ…」
「多分、そうだとは思うけど…。でも、昭和で新人歌手だったシンだから、令和に来ても当然、歌手であり続けたいと思っているはず…と決めつける前に、改めて彼の意思を確かめてみるべきかも…とも思うのよね」
「それはそうかも…しれませんね…」
ひょっとして、ひかるは自分がアキトにシンの再デビューのプロデュースを依頼に行ったことを知って、わざわざここに赴いたのだろうか…。
コウは少し身構えながら、返答した。
が、ひかるは、コウの想像の斜め上の話を続けてきた。
「ところで…コウは、レッスンスタジオの幽霊話の件は聞いてる?」
「え…?あの…太平先生が…深夜に窓際のピアノの椅子に座ってる…ってやつですか?」
娘のひかるの前で、父・太平の幽霊話をするのは憚られて、コウは声を少し潜めた。
「そう。私は全く信じてないんだけど、ここまで事務所内で広まってしまうと、ほっとけなくてね…。で、今夜は自分で確かめようと思って、遅くまで残ってたのよ」
「なるほど…」
壁の時計を見ると、十時を回っている。
ちょうど、太平の幽霊が出る…と噂されている時間帯だった。
「で、これから上のレッスンスタジオまで、幽霊探しに行くんだけど、コウもつき合ってくれない?」
そう来たか…。
コウは、特に断る理由もなかったので、ひかるの求めに応じて幽霊探しに参加することを承知した。
…とその時、ルームの入り口から、慌てふためいたショウが飛び込んできた。
「た…大変です!アキトさんが…!」
「何よ…?夜中に騒がしいわね…」
ひかるが、突然の闖入者に険しい声を上げた。
「アキトさんが、幽霊になりました!」
コウもひかるも、ショウの言葉の意味がよくわからず、そのまま固まるしかなかった。




