再デビューへの遠い道(2)
今日も左のつむじあたりに鈍い痛みが走り、気分がすぐれない…。
アキトは、デスクに置いた粉の漢方薬をカップの水で飲み干して、少しの間うなだれた。
「アキトさん、大丈夫ですか?」
目の前にいる部下のショウが、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
いや…こんな妙な頭痛に悩まされている場合ではない…。
ここが俺の正念場なんだから…。
「いや、何でもない…。で、次のインフルエンサーさんとの契約の進捗状況は?」
アキトは少し頭を振って、ショウとの打ち合わせに意識を戻した。
この妙な頭痛を別にすれば、ここ最近のアキトは絶好調だった。
ひかるに大見栄を張って始めた「人気インフルエンサーによる昭和歌謡リリース企画」は大当たり。
二ヶ月前に出した台湾スイーツの人気インフルエンサー・フェイフェイの「センチメンタル・チャイナタウン」はロングセラーになっていて、今年の人気カラオケ曲のトップ20に入る勢いだ。
一昨日は、人気エンタメ雑誌「最速!エンタテインメント」の取材が来て、アキトは来月号の「今年のヒットメーカー10人に聞く!」という巻頭特集に登場する予定になっている。
「空前のインフルエンサーブームと昭和歌謡ブームをジョイント!音楽会の革命児・染谷アキトが語るアンマッチ・コラボの秘策」
記事には、そんなタイトルが付けられるはずだ。
「ここで手を緩めちゃいかんぜ。年明けからの第4弾、第5弾が本当の勝負だ…」
アキトは頭痛を振り切るかのように、ショウの目をキッと鋭く睨みつけた。
「わかってますよ。第4弾のゲーム実況のアザスさんとの実演家契約はすでに締結済みです」
ショウは、手元のタブレットの画面をアキトに示し、抜かりなし…という自信に満ちた笑顔を見せた。
「しかし…あのサイン帳の力はすごいですよね…。ここ最近の音楽チャートの動きとここまでガッツリとリンクしてるなんて…」
「お前…それを人前で口走るなよ…俺らのトップシークレットなんだから…」
アキトは、お調子者のショウの声がやや大きい事にヒヤヒヤしながら、自分の声を極端に潜めた。
そう…。
全ては9月のあの日、エントランスで拾ったこのサイン帳が始まりだった。
アキトはデスクの上の革の表紙を見つめながら思い返していた。
1988年1月の日付から始まり、人気歌手のサインとヒット曲のタイトルで埋め尽くされたサイン帳…。
途中、
“ちょっと待ってください 坂口シン 1988.10.20“
“木曜日の流れ星 パラダイス 2028.9.7“
…と、なぜか昭和末期から平成、令和初期までの40年間が跳んでいて、それ以降のページからは4年後の2032年12月までの日付で、各ページが見知らぬ歌手と楽曲名で埋め尽くされている…。
得体の知れない拾い物として、しばらくデスク横に放っておいたこのサイン帳だったが、時間の経過と共に奇妙なことが起こっていた。
サイン帳の令和の日付ページに書かれている3つの楽曲…
“木曜日の流れ星 パラダイス 2028.9.7“
“ 無限大で愛してる! 純愛ガールズ 2028.9.21“
“ブルーフィルム REI 2028.9.28“
この3曲がそれぞれ、サイン帳に書かれた日付放送の「原色★歌謡曲図鑑」のトップ10に次々とランクインしたのだ。
パラダイスも純愛ガールズもREIも、デビュー間もない新進アーティストで、これらの曲が初のトップ10ヒットだった。
偶然の一致とはいえ、不思議な事もあるもんだな…。
まるで、現実のヒットチャートがこのサイン帳の内容をなぞるかの様に展開しているかのようだ。
それにしても、もっと不思議なのはこの後のページである。
アキトがサイン帳の続きのページを繰ると、そこには他でもない筒井太平がかつて書いた昭和歌謡のタイトルが、聞いたこともない歌手の名前と一緒に並んでいたのだ。
“センチメンタル・チャイナタウン フィフィ 2028.11.16“
“僕たちの出来事 W・MasaZ 2028.11.30 “
“くちびるは嘘のはじまり 美華麗菜 2028.12.14“
昨年、稀代の名作曲家・筒井太平が逝去した後、各レコード会社からは太平の書いた楽曲をまとめたベストアルバムが発売されており、太平を惜しむ歌謡曲ファンたちから人気を呼んでいた。
アキトは、そんな太平の旧作人気に目をつけた大手レコード会社から、太平の楽曲を令和の人気シンガーたちがカバーするトリビュート配信の企画がいくつか舞い込んでいたことを思い出した。
ショウに調べさせると、この三組はいずれも既存の芸能事務所に所属せずにSNSを主戦場に活動しているインフルエンサーたちだった。
だったら、扱いやすいかもしれないな…。
このサイン帳にあやかって、太平のトリビュート配信企画は、うちの事務所主導でこのインフルエンサーたちと個別契約して展開してみようか…。
そんな即興とも言える配信企画が、トップ10ヒットを3曲も生む大当たりとなり、一番驚いているのはアキト自身だった。
「原色★歌謡曲図鑑に初ランクインした日付も、このサイン帳通りだなんて、本当に驚いちゃいますよねぇ。まるで、未来のヒット曲がわかっちゃう魔法のサイン帳みたいです…」
ショウは感に耐えぬような声を出し、サイン帳が導いたこのヒット劇を無邪気に喜んでいる。
が、アキトはこのサイン帳の力には懐疑的だった。
「未来のヒット曲がわかる魔法のサイン帳…そんなお花畑なものがあるわけないだろ…」
アキトがはしゃぐショウをそう諌めた時、二人がいる販促部のドアを叩く者があった。
「失礼します。経理の竹内コウです」




