再デビューへの遠い道(1)
シンを新人歌手に戻してあげたい…。
ひかるにそんな希望を打ち明けられたものの、コウは改めて自分の非力さに沈むばかりの毎日を過ごしていた。
シンは当面、筒井歌謡企画の研修生という扱いになり、事務所の簡単な補助業務に携わってもらっており、コウがその身の回りの面倒を見ている。
だが、自分がシンにしてあげられるのはそこまで…。
自分には、シンを過去の世界に戻す方法もわからないし、アキトのように華々しいプロデュース術を持っているわけでもない…。
コウには、シンが40年前の世界で志していた歌手の道に戻す力が皆無だった。
当のシンと言えば、最近は太平の死のショックから少し立ち直ったようで、事務所の仕事にも明るく取り組んでいる。
事務所の他のメンバーとも打ち解けて、すっかり馴染んでいる様子だ。
だが、やっぱりここがシンの本来いるべき場所ではないんだよな…。
コウは、ついこの前、事務所の資料整理の合間に、シンが太平の平成期に書いた楽曲の資料に見入っていたのを思い出していた。
昭和63年に失踪し、令和に辿り着いたシンにとって、平成はまさに失われた30年である。
その間にも、太平は他の歌手たちにオートクチュールを織りなすがごとく丁寧な楽曲を書き下ろし、数々のヒット曲を世に放っていた。
公の手元の資料たちは、そんな太平の平成期の偉業を克明に記録したものだった。
本来、自分が太平と一緒に築いていくはずだったヒット曲の街道を、他の歌手たちに取って代わられてしまった…。
シンの中にそんな悔しさとやるせなさが皆無であるわけがない。
「シン…やっぱり歌いたいよね…」
コウは、シンの横顔があまりにも切なげだったため、気がつくと、思わずそんな声をかけてしまっていた。
シンは、時ならぬコウからの声がけにハッとした表情を見せたが、明るく笑顔を作り直した。
「そりゃ、歌いたいですよ。でも、俺がいなくなった後にも、太平先生はこんなにたくさん素敵な楽曲を作り続けていたんだな…って、それを知れただけでも、俺はここに帰って来てよかったと思ってる…」
「シン…」
「こうやって、資料整理をしているだけで、太平先生のそばにいるような気がして、嬉しいんですよ」
「君はそれでいいの…?」
コウの問いかけに、シンは少しうつむいたが、すぐに顔を上げた。
「コウさん…色々、さんきゅ!」
シンはコウに向かっておどけてウィンクすると、そのまま資料整理の作業を再開した。
突然のシンのウインクに虚をつかれ、一瞬キュンとしてしまったコウだったが、シンの言葉は半分本当で半分ウソだと読んでいた。
平成期の太平の偉業を喜ぶシンの気持ちにウソはないと思われるが、その伴走者であるべき歌手はやはり自分であるべきだった…。
コウはシンの明るい笑顔の裏のそんな悔しさを、ありありと感じていた。
やっぱり、シンは歌手であるべきだ…。
コウには、ひかるが目論むような「昭和から来た新人歌手」のような話題性に頼らずとも、シンは持ち前の歌唱力だけで十分、歌手としてやっていけそうな気がしていた。
明るい声質に豊かな低音パート、どこまでも伸びていきそうなロングトーンのビブラート…。
かつて筒井太平が認めたシンの歌唱力があれば、令和の世でもシンが歌手として道を切り開いて行くことは可能に思える。
だが、経理マンであるコウは、ひかるがシンの再デビューを決めかねている理由もよく理解していた。
フェイフェイ、W・MasaZ、美華麗菜…。
ここ数ヶ月の人気インフルエンサーによる昭和歌謡リリース企画によって、うちの事務所のプロモーション費予算はほとんどアキトが占拠していたのである。
このタイミングで、シンを再デビューさせても、十分なプロモーションを行うことは不可能で、事務所の人員を割くことも難しい状態だった。
アキトのインフルエンサー企画はますます順調で、早くも第4弾、5弾の企画が進んでいる。
事務所としては、成果を出している企画に注力すべきで、当たるかどうかもわからないシンの再デビューに向ける原資はないと判断するのは当然だった。
こうなったら、一度、アキトと直接話してみるしかない…。
コウは意を決した。
これまで、ひかるはかつて失踪したシンが40年の時を経て事務所に帰還したことを、アキトには話していなかった。
超現実主義のアキトには、タイムスリップなどという荒唐無稽な話をしても、とても信じてもらえるわけがない…。
ひかるのそんな判断は実に正しかった。
が、ひかるがアキトにシンのことを話さない理由は、それだけではないとコウは考えていた。
同い齢のひかるとアキトは、これまでも事務所の方針について、小競り合いを続けてきた仲だった。
もっと仲良くやればいいのに…コウはそう思う場面も数多く見てきた。
だが、ケンカするほど仲が良い…という言葉もあるように、ひかるとアキトはどこかで互いの存在を仕事のモチベーションにしている節もある…。
ひかるが意地を張って、シンのことをアキトに明かせずにいるのならば、自分が話してみよう…。
アキトが、シンの再デビューについて意外に良いアイディアをくれる可能性もある…。
コウはそう思い立ち、階下の販促部に赴き、ドアを叩いた。




