第93話 仮説
比較研究が始まって数日。
宮廷魔導研究所では、人間と有身精霊の身体構造を比較する研究が続いていた。
机の上には古代文献。
魔導解剖学の論文。
人体図。
眼球の断面図。
壁一面を埋め尽くす資料を眺めながら、クロノスは静かに腕を組む。
「なるほど……」
「ようやく見えてきたぞ」
エリシアは期待したように顔を上げた。
「何か分かったんですか?」
クロノスは黒板へ二つの人体図を書いた。
一つは人間。
もう一つは竜族。
「まず、人間と有身精霊は似ているようで、その本質が違う」
竜族の図を指差す。
「竜族、エルフ、ドワーフは有身精霊」
「肉体を持ってはおるが、その本質は精霊じゃ」
「身体の半分近くは、今なお魔素によって構成されておる」
エリシアは驚きの声を漏らした。
「半分も……?」
「うむ」
「故に、自然界に満ちる魔素や魔粒子を、人間より遥かに近い存在として知覚できる」
「精霊眼も、その魔素の身体の一部というわけじゃ」
続いて、人間の図を指差す。
「対して人間は違う」
「人間の身体は、土と水を主体とした物質のみで構成されておる」
「身体そのものに、魔素で構成された器官は存在しない」
「だから本来、妖精を見ることはできぬ」
エリシアは自分の手を見つめる。
「だから私は……見えないんですね」
クロノスは静かに頷いた。
「じゃが」
「例外は存在する」
古い文献を開く。
「歴史上、ごく稀に人間でありながら精霊眼を持って生まれた者がおる」
「魔王ニコラス」
「そして約百三十年前、ヴァイスラント帝国第九十九代皇妃、ミア・フォン・ヴァイスラント」
エリシアは目を見開く。
「ということは……」
「人間でも精霊眼は生まれるんですね」
「ああ」
「つまり、人間にも精霊眼を形成する可能性はあるということじゃ」
クロノスは眼球の断面図へ目を向けた。
「わしの仮説では」
「胎児の頃」
「何らかの理由で大量の魔素を受けた眼球だけが、精霊眼へ変化したのではないかと考えておる」
「眼だけが……?」
「そうじゃ」
「身体全体ではない」
「眼球だけが、有身精霊に近い構造となったのじゃ」
クロノスは水晶体を指差した。
「特に気になるのは、この水晶体じゃ」
「光を集めるだけではない」
「魔粒子を認識する役割も担っているのではないか」
エリシアは静かに考え込む。
「その働きだけを再現できたら……」
「人間でも妖精が見えるようになるかもしれない」
クロノスは一つの透明な結晶を取り出した。
「そこで目を付けたのが、これじゃ」
「魔水晶……」
エリシアは首を傾げる。
「普通の魔石とは違うんですか?」
クロノスは頷いた。
「魔石とは、内部へ大量の魔素を蓄えた結晶じゃ」
「そして魔水晶とは、その魔石から魔素を完全に取り除いたもの」
「言わば、空になった魔石じゃな」
透明な結晶を光へかざす。
曇り一つない、美しい輝きだった。
「内部の魔素は失われておる」
「じゃが、長年魔素を蓄えていた結晶構造は、そのまま残っておる」
「故に、魔水晶は極めて魔素との親和性が高い」
「再び魔素を受け入れやすい性質を持っておるのじゃ」
エリシアは納得したように頷く。
「だから魔導具にも使われるんですね」
「その通りじゃ」
「ちなみに、お前の首飾りに使われておる封魔水晶も、この魔水晶が基になっておる」
クロノスはエリシアの首元を指差した。
「魔水晶へ、魔素や魔力を吸収する魔法式を組み込んだもの」
「それが封魔水晶じゃ」
エリシアはそっと首飾りへ触れる。
自分を暴走から守ってくれている、大切な魔道具だった。
クロノスは再び魔水晶を見つめる。
「もし、この魔水晶を水晶体の代わりとし」
「精霊眼の働きを魔法式で再現できれば——」
エリシアの瞳が輝く。
「妖精を見るための眼鏡が作れるかもしれません!」
クロノスは少年のように笑った。
「その通りじゃ!」
「まずは仮説を証明する!」
「世界初の妖精眼鏡、その試作品第一号を作るぞ!」
「はい!」
こうして二人は、新たな仮説を胸に、妖精眼鏡の開発へ向けて本格的な試作を開始するのだった。




