第77話 弱い自分
エリシアは木剣を静かに握り締めた。
その瞬間だった。
身体が、小さく震える。
呼吸が乱れる。
胸が締め付けられる。
忘れたはずの記憶が、次々と蘇ってくる。
兄。
木剣。
地下室。
暗闇。
痛み。
恐怖。
泣いても。
謝っても。
木剣は止まらなかった。
助けを求めても。
誰も来てはくれなかった。
エリシアの手は震えていた。
木剣を握るだけで精一杯だった。
今すぐ放り出したい。
逃げ出したい。
そんな気持ちが何度も胸をよぎる。
それでも。
エリシアは木剣を離さなかった。
震える両手に力を込め、しっかりと握り締める。
その姿を、ゼノンは何も言わず静かに見守っていた。
励まさない。
急かさない。
ただ、娘を信じて待ち続ける。
やがて、ゼノンは穏やかな声で口を開いた。
「エリシア」
「今日はもう終わりにしよう」
「無理をする必要はない」
「焦らなくていい」
その優しい言葉に。
エリシアはゆっくりと首を横へ振った。
「いいえ」
小さな声だった。
けれど、その瞳には確かな意志が宿っていた。
「もう逃げません」
怖い。
今も怖い。
木剣を見るだけで、心が叫び出しそうになる。
それでも。
逃げ続けていた昨日までの自分には、もう戻りたくなかった。
弱い自分を乗り越えたい。
大切な人を守れる自分になりたい。
その想いだけが、震える少女の心を支えていた。
ゼノンは小さく微笑む。
その瞳に宿る決意を見て。
娘は確かに、一歩ずつ前へ進み始めているのだと、静かに確信した。




