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捨てられた少女は、黒竜王の娘となる!?  作者: Atelier Lotus


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第74話 人の姿

 夕食後。


 黒竜城の居間には、穏やかな時間が流れていた。


 エリシアは、ゼノンの膝の上にちょこんと座っている。


 少し前までの彼女なら、自分からこんなことは決してできなかった。


 迷惑ではないだろうか。


 重くないだろうか。


 邪魔ではないだろうか。


 そんなことばかりを考え、誰かに甘えることを遠ざけていた。


 けれど。


 今は違う。


「お父様」


「何だ?」


 エリシアはゼノンの大きな胸へ身体を預けながら、楽しそうに話しかける。


「もっと、昔のお話を聞きたいです」


「昔の話か」


「はい!」


 ゼノンは娘の小さな頭を優しく撫でた。


「では、何が聞きたい?」


 エリシアは少し考え込む。


 そして、ぱっと顔を上げた。


「竜族と人間のお話が聞きたいです」


「ほう」


 エリシアは少し不思議そうに首を傾げる。


「竜族と人間って、あまり仲良くないんですか?」


「どうしてそう思う?」


「だって……」


 エリシアは指を折りながら、一生懸命に言葉を探した。


「人間の国と竜族の国って、ほとんど交流がないですよね?」


「ああ」


「お互いの国へ行ったり、一緒に暮らしたりもしないんですか?」


「ほとんどないな」


「どうしてですか?」


 その問いに、ゼノンはしばらく黙っていた。


 やがて静かに口を開く。


「今は、そうだ」


「今は?」


「ああ」


 ゼノンは穏やかに頷く。


「だが、かつては違った」


「そうなんですか?」


「ああ」


「かつて、人と竜は共に生きていた」


 今の人間と竜族は、互いに深く関わることがない。


 不可侵。


 不干渉。


 それが長い年月をかけて築かれてきた関係だった。


 けれど。


 かつては違った。


「竜族は人間へ知恵を授けた」


「人間はそれを学び、新たな知恵を生み出した」


「互いに助け合い」


「互いに支え合い」


「同じ世界を共に歩んでいた時代があったのだ」


「へぇ……」


 エリシアは感心したように声を漏らす。


 そんな時代が、本当にあったのだ。


 人と竜が笑い合い、助け合って暮らしていた世界。


 今では想像もできない光景だった。


 そして、ふと一つの疑問が浮かぶ。


「あれ?」


「どうした?」


「そういえば……」


 エリシアはゼノンを見上げた。


「どうして竜族の皆さんは、人の姿をしているんですか?」


「本当は、大きな竜なんですよね?」


「ああ」


「お父様も」


「お母様も」


「お兄様も、お姉様も」


「クロノス様も」


「みんな、人間と同じ姿をしています」


 エリシアは不思議そうに首を傾げた。


「どうしてですか?」


 それは、ずっと胸の奥にあった疑問だった。


 黒曜山で初めて黒竜が人の姿へ変わった時。


 そして黒竜城で暮らす竜族たちが、皆、人の姿で生活していると知った時。


 何度も尋ねようと思った。


 けれど、あの頃は聞く勇気がなかった。


 今は違う。


 父の温かな腕の中で、安心して尋ねることができた。


 ゼノンは少しだけ目を細める。


 そして静かに答えた。


「人が、羨ましいからだ」


「……え?」


 エリシアは目を丸くした。


「人間が……羨ましい?」


「ああ」


「我ら竜族は、人を羨ましく思っている」


「でも……」


 エリシアはますます分からなくなる。


「竜族の方が、ずっと強いです」


「空も飛べます」


「とっても長生きします」


「それに、お父様は強くて、かっこよくて、優しいです」


 ゼノンは思わず微笑んだ。


「そうか」


「はい!」


 エリシアは大きく頷く。


「なのに、どうして人間が羨ましいんですか?」


 ゼノンは静かに語り始めた。


「それは、竜族だけではない」


「……え?」


「エルフも」


「ドワーフも」


「そして、この世界に生きる多くの種族も」


「人として生まれることを尊いものと考えている」


「みんな、人間になりたいんですか?」


「ああ」


「どうして……?」


 ゼノンは娘の小さな手を見つめた。


「我々は、人ではない」


「我ら竜族も」


「エルフも」


「ドワーフも」


「その本質は、精霊の仲間なのだ」


「精霊……?」


「ああ」


「人より遥かに長い時を生き」


「人にはない力を持ち」


「自然と深く結びついて生きる」


「我らは、人とは異なる理の中に生きる者たちだ」


 エリシアは父の大きな手を見る。


「じゃあ……」


「お父様は、人間じゃないんですか?」


「ああ」


 ゼノンは穏やかに笑う。


「私は竜だ」


「人の姿を取ることはできても、人ではない」


「だからこそ」


 ゼノンは静かに続けた。


「我らは人に憧れる」


「人として生まれることを羨ましく思う」


 エリシアは首を傾げた。


「人間って、そんなに凄いんですか?」


「ああ」


 ゼノンは静かに頷く。


「少なくとも」


「我ら竜族や精霊たちは、そのように理解している」


「……?」


 エリシアは首を傾げる。


「人は、天地人の三才の一つ」


「万物の霊長」


「それは、人間が自ら名乗ったものではない」


「太古より世界を見守り続けてきた我らが、そのように理解してきた呼び名だ」


「てんちじんの、さんさい……?」


「ばんぶつの、れいちょう……?」


 五歳のエリシアには、まだ難しい言葉だった。


 ゼノンは優しく微笑む。


「少し難しかったか」


「はい……」


 エリシアは素直に頷いた。


「つまり、人間って、そんなに凄いんですか?」


「ああ」


「最も強いという意味ではない」


「最も尊い可能性を授かった存在だと、我らは考えている」


「尊い……可能性?」


「ああ」


「人は善にもなれる」


「悪にもなれる」


「誰かを傷つけることもできれば」


「誰かを救うこともできる」


「多くのものを奪うこともできれば」


「多くのものを与えることもできる」


「だからこそ」


「人として生まれることには、大きな意味がある」


「我ら竜族も」


「精霊たちも」


「その尊さを信じている」


 エリシアはしばらく黙っていた。


 やがて、小さく俯く。


「……でも」


「悪い人も、いっぱいいます」


 その瞬間。


 脳裏に過去がよぎった。


 冷たい目。


 責める声。


 自分を恐れる家族。


 そして。


 黒曜山へ置き去りにされた、あの日。


「人間は……本当に、そんなに凄いものなんですか?」


 ゼノンはすぐには答えなかった。


 ただ、娘の小さな身体を少しだけ強く抱き寄せる。


「もちろん、悪い人間もいる」


 静かな声だった。


「それは、人が得難い人身を得ながら」


「何のために生まれたのかを忘れてしまうからだ」


「何のために……生まれたのか?」


「ああ」


 ゼノンは静かに頷く。


「目先のことに囚われ」


「己の欲ばかりを追い求め」


「我欲に溺れ」


「せっかく得た尊い人生を、そのまま終えてしまう者もいる」


 エリシアは黙って聞いていた。


「それは、とても哀しいことだ」


 怒りではない。


 憎しみでもない。


 ゼノンの声には、人という存在を慈しむ深い悲しみだけがあった。


「だからこそ」


 ゼノンは娘を見つめる。


「エリシア」


「はい」


「お前は、そうなってはいけない」


 エリシアは真っ直ぐ父を見上げた。


「人として生まれたことを、決して軽んじてはならぬ」


「自分が何のために生まれたのか」


「何のために生きるのか」


「すぐに答えを出す必要はない」


「お前はまだ五歳なのだからな」


「はい」


「だが」


 ゼノンは優しく娘の頭を撫でる。


「いつか、お前自身の答えを見つけなさい」


「そして、その答えを決して忘れてはならぬ」


「……はい」


 エリシアは、小さく、それでも力強く頷いた。


 そして、ふと気付く。


 ゼノンは遠くを見るような目をしていた。


 どこか寂しそうな表情だった。


「……お父様?」


「何だ?」


「悲しいんですか?」


 ゼノンは少しだけ目を見開く。


 やがて、娘の頭を優しく撫でた。


「少しな」


「どうしてですか?」


「……人と竜は」


 ゼノンは静かに答えた。


「かつて、本当に仲が良かったのだ」


 エリシアは何も言わなかった。


 ただ、もう一度父の胸へ身体を預け、小さな手で服をぎゅっと握る。


「いつか」


「ん?」


「また、仲良くなれるといいですね」


 ゼノンは娘を見つめる。


 人間として生まれ。


 竜族の娘として育つ、小さな少女。


 やがて穏やかに目を細めた。


「ああ」


「そうだな」


 この時のエリシアは、まだ知らなかった。


 いつか。


 人間として生まれ。


 竜族の娘として育った自分自身が。


 人と竜を再び結ぶ架け橋となることを。


 まだ、知らなかった。

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