第69話 笑顔
訓練が始まった。
ノクスは木剣を構え、ゆっくりと基本の型を見せる。
「まずは真似をしてみよう」
「焦る必要はない」
「はい」
エリシアは木剣を握り、静かに構えた。
まだ幼い身体。
それでも、その動きは驚くほど素直だった。
踏み込み。
重心移動。
木剣の軌道。
教えられた通り、一つひとつを丁寧に再現していく。
その姿を見たノクスは、思わず目を見開いた。
「すごい……」
「初めてとは思えない」
アステリアも嬉しそうに拍手をする。
「エリシア、すごーい!」
「才能があるわ!」
周囲で見守っていた黒竜騎士たちも、感心したように頷いた。
「筋がいいな」
「飲み込みが早い」
「さすが黒竜王陛下の娘だ」
その言葉を聞いた瞬間。
エリシアの脳裏に、遠い日の記憶が蘇る。
――『見たか、エレオノーラ!』
――『初めてとは思えん!』
――『天才だぞ!』
目を輝かせる父。
誇らしそうに笑う母。
庭いっぱいに響いていた、家族の笑い声。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
けれど。
その温もりは、一瞬で別の記憶に塗り潰された。
――『立つんだ、エリシア!』
――『悪い心に負けるな!』
振り下ろされる木剣。
何度も。
何度も。
腕を叩かれた。
肩を叩かれた。
泣いても。
謝っても。
木剣が止まることはなかった。
地下室。
冷たい石の床。
独りぼっちの暗闇。
エリシアは小さく息を呑む。
それでも。
誰にも悟られないように。
精一杯、笑顔を作った。
「ありがとうございます」
ノクスは優しく頷く。
「その調子だ」
「無理をせず、少しずつ覚えていけばいい」
アステリアも笑顔で駆け寄る。
「きっとすぐ、お兄様より強くなっちゃうかも!」
「おいおい、それは困るな」
ノクスが苦笑すると、その場は温かな笑いに包まれた。
エリシアも笑う。
「ありがとうございます」
笑う。
笑う。
笑う。
苦しくても。
怖くても。
悲しくても。
笑顔でいれば。
嫌われない。
迷惑を掛けない。
捨てられない。
そう信じて。
エリシアは今日も、笑顔を浮かべ続けていた。
その笑顔は。
幸せだから生まれた笑顔ではない。
自分を守るために身に付けた。
誰にも嫌われないための。
誰にも捨てられないための。
痛々しい『仮面』だった。
まだ誰一人。
そのことに気付いてはいなかった。




