第68話 竜影流
ある日の午後。
黒竜城の訓練場には、軽快な木剣の音が響いていた。
カンッ。
カンッ。
向かい合っているのは、第一王子ノクスと第一王女アステリア。
二人は息の合った動きで木剣を交え、美しい剣筋を披露している。
流れるような足運び。
淀みのない太刀筋。
互いを信頼し合うような、息の合った攻防だった。
その様子を、エリシアは少し離れた場所から静かに見つめていた。
ゼノンが隣へ歩み寄る。
「見事だろう」
エリシアは小さく頷いた。
「はい……」
ゼノンはどこか誇らしげに微笑む。
「これは竜影流」
「我ら竜族が、建国以前より受け継いできた剣術だ」
「流祖は、我らが神――竜神皇様」
「竜として培った戦い方を、人の姿でも扱えるよう体系化した流派でもある」
ノクスが鋭く踏み込み、アステリアが軽やかに受け流す。
木剣が何度も交差する。
しかし二人の表情には、緊張よりも楽しさが浮かんでいた。
兄妹は笑い合いながら、木剣を交えている。
その姿を見た瞬間だった。
エリシアの脳裏へ、幼い日の記憶が蘇る。
――『エリシア』
――『お前も、そろそろヴァレンシュタイン流剣術を学ばねばならんな』
三歳の春。
初めて木剣を握った日。
小さな両手には少し重くて。
ふらふらしながらも、懸命に振り下ろした。
――『見たか、エレオノーラ!』
――『初めてとは思えん!』
――『天才だぞ!』
目を輝かせる父。
思わず吹き出す母。
――『この筋の良さ!』
――『間違いなく私に似た!』
――『ヴァレンシュタイン家は安泰だ!』
庭いっぱいに響く笑い声。
兄や姉たちも駆け寄ってきた。
――『兄ちゃんが剣術を教えてあげるからな!』
――『一緒に強くなろう!』
みんなが笑っていた。
父も。
母も。
兄も。
姉たちも。
そして。
エリシアも笑っていた。
あの日は、本当に幸せだった。
しかし。
その温かな記憶は、ゆっくりと別の記憶へ塗り替えられていく。
――『立つんだ、エリシア!』
――『悪い心に負けるな!』
振り下ろされる木剣。
腕へ走る激しい痛み。
涙。
恐怖。
大好きだった兄の笑顔は、もうそこにはなかった。
エリシアの身体が、小さく震える。
ゼノンは、その変化には気付かなかった。
穏やかな表情のまま、優しく問い掛ける。
「エリシア」
「お前も、やってみるか?」
一瞬だけ。
断りたいという思いが胸をよぎる。
木剣が怖い。
また叩かれる気がする。
逃げたい。
けれど。
(だめ)
(嫌われちゃだめ)
(期待に応えないと)
(ちゃんと笑わないと)
胸の奥で湧き上がる恐怖を押し殺し。
エリシアは精一杯、笑顔を作った。
「……はい!」
ゼノンは満足そうに頷く。
「よし」
ノクスは木剣を一本手に取ると、ゆっくりとエリシアの前へ歩み寄った。
「まずは、これを使うといい」
差し出された木剣を、エリシアは両手で受け取る。
久しぶりに握る木剣。
その重みは。
父と笑い合った幸せな記憶と。
兄に打たれ続けた悲しい記憶を。
同時に呼び覚ましていた。




