第47話 黒竜城
黒竜は夜空を駆ける。
その腕の中では、小さな少女が静かな寝息を立てていた。
やがて。
巨大な黒い城が姿を現す。
ノワール=ヴェル竜王国王城――黒竜城。
黒竜は中庭へ静かに降り立つと、淡い黒い光に包まれた。
次の瞬間。
そこに立っていたのは、先ほどの青年だった。
青年は眠るエリシアを抱えたまま、王城の奥へと歩き出す。
◇
謁見の間。
玉座には、一人の壮年の男性が静かに腰掛けていた。
ノワール=ヴェル竜王国国王。
黒竜王ゼノン。
青年は片膝をつき、恭しく頭を垂れる。
「陛下」
「黒曜山巡回中、人間の幼い少女を保護いたしました」
ゼノンは静かにエリシアへ視線を向けた。
痩せ細った身体。
無数の小さな傷や痣。
眠っている今も、不安そうに小さく身体を震わせている。
その姿を見つめたまま、ゼノンは静かに息を吐いた。
「……事情は聞かずとも分かる」
しばらく沈黙した後、穏やかに告げる。
「分かった」
「この件は、私が預かろう」
「はっ」
青年は深く一礼した。
◇
どれほど眠っていたのだろう。
エリシアはゆっくりと瞼を開く。
「……あれ?」
見知らぬ天井。
柔らかなベッド。
身体を包む温かな毛布。
地下室とは何もかも違う光景だった。
「ここ……どこ?」
不安そうに辺りを見回した、その時。
コンコン。
扉が静かに叩かれる。
「入るぞ」
穏やかな声とともに、一人の男性が部屋へ入ってきた。
漆黒の髪。
黄金色の瞳。
堂々とした佇まい。
威厳がありながらも、不思議と温かな雰囲気を纏っていた。
男性はエリシアの前まで歩み寄ると、ゆっくりと膝をつき、少女と目線を合わせる。
「目が覚めたようだな」
「怖がらなくていい」
「ここは、お前を傷付ける場所ではない」
優しい声だった。
その時。
コンコン。
再び扉が叩かれる。
「失礼いたします」
一人の侍女が部屋へ入り、男性へ深く頭を下げた。
「黒竜王陛下」
「王妃セレーネ様がお待ちでございます」
その呼び名を聞いた瞬間。
エリシアの身体がびくりと震えた。
「……黒竜王?」
頭の中へ、幼い頃から聞かされ続けた言葉が蘇る。
――竜は恐ろしい生き物。
――人を喰らう魔物。
――黒竜王は、竜族を統べる王。
目の前にいる優しい男性が。
その黒竜王。
エリシアの顔から血の気が引いていく。
「いや……」
小さく首を横へ振る。
「食べないで……」
「お願い……」
毛布を強く抱き締め、身体を小さく丸める。
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい……」
震えながら、何度も謝り続けた。
ゼノンは静かに目を伏せる。
少女が怯えているのは、自分ではない。
幼い頃から植え付けられてきた恐怖そのものなのだ。
無理に近付いても、不安を強めるだけだろう。
ゼノンはゆっくりと立ち上がった。
「安心しろ」
「ここでは誰も、お前を傷付けない」
「今は何も考えず、ゆっくり休むといい」
穏やかにそう告げると、静かに部屋を後にした。
扉が閉まる。
静寂が戻る部屋。
エリシアは毛布へ顔を埋め、小さく身体を震わせ続けていた。
あの人は優しかった。
でも。
ここは竜の国。
そして、あの人は竜族を統べる黒竜王。
幼い少女の恐怖は、まだ消えることはなかった。




