第44話 捨てられた少女
馬車は王国北部を抜け、人の気配もない山道を進んでいた。
目の前にそびえ立つのは、ノワール=ヴェル竜王国との国境――黒曜山。
古くから竜の棲む山として恐れられ、人が足を踏み入れることのない場所だった。
「わあ……」
「大きなお山!」
エリシアは窓の外を眺め、目を輝かせる。
アルフレッドは前を向いたまま何も答えない。
エレオノーラも俯き、膝の上で両手を強く握り締めていた。
やがて馬車がゆっくりと止まる。
「着いた」
アルフレッドが静かに馬車を降りる。
エリシアも嬉しそうに飛び降りた。
「ここで遊ぶの?」
無邪気な笑顔。
アルフレッドは荷台から一つの荷物を取り出し、エリシアへ手渡した。
着替え。
少しの食料。
水筒。
小さな毛布。
幼い少女が持てるだけの、わずかな荷物だった。
アルフレッドは静かに口を開く。
「エリシア」
「ここで待っていなさい」
「迎えを寄越す」
最後まで真実を告げることはなかった。
エリシアは疑うことなく、満面の笑みで頷く。
「うん!」
「分かった!」
「いい子で待ってるね!」
その笑顔が、エレオノーラの胸を締め付ける。
抱きしめたい。
謝りたい。
連れて帰りたい。
それでも。
何もできなかった。
二人は馬車へ乗り込む。
御者が手綱を振る。
馬車はゆっくりと動き始めた。
エリシアは満面の笑みで、大きく手を振る。
「いってらっしゃい!」
「待ってるね!」
その声だけが、静かな黒曜山へ響く。
アルフレッドは一度も振り返らない。
エレオノーラも涙で滲む視界のまま、顔を上げることができなかった。
馬車は少しずつ遠ざかり。
やがて、その姿は見えなくなった。
エリシアは近くの岩へ腰掛ける。
荷物を抱え、小さな足を揺らしながら待ち続けた。
「まだかな」
「早く帰ってこないかな」
時間だけが過ぎていく。
太陽は西へ傾き。
空は茜色に染まり。
やがて夜の帳が下りた。
冷たい風が吹き抜ける。
エリシアは毛布を抱き締め、小さく身体を震わせた。
「お父さま……」
「お母さま……」
返事はない。
待っても。
待っても。
誰も来ない。
エリシアは荷物を抱き締め、小さく俯いた。
「……そっか」
震える声が夜風へ溶けていく。
「私……」
「捨てられちゃったんだ」
涙がぽろり、と頬を伝う。
それでも。
エリシアは家族を恨まなかった。
ゆっくりと首を横へ振る。
「私が悪いもんね……」
小さく、自分へ言い聞かせる。
「私が悪い子だから……」
魔法が使えなければ。
みんなを怖がらせなければ。
地下室へ入れられることも。
一人になることも。
なかった。
全部。
私が悪い。
だから。
お父さまも、お母さまも悪くない。
エリシアは荷物を強く抱き締める。
「ごめんなさい……」
涙が止まらない。
「ごめんなさい……」
幼い少女の謝罪は。
静かな黒曜山へ吸い込まれるように消えていった。




