第42話 決断
その夜。
ヴァレンシュタイン辺境伯邸。
寝室には重苦しい沈黙が流れていた。
アルフレッドは窓の外を見つめたまま、静かに口を開く。
「……もう限界だ」
エレオノーラは俯いたまま、小さく肩を震わせる。
「噂は領内中へ広がった」
「領民も家臣も、不安を隠せなくなっている」
アルフレッドは拳を強く握り締めた。
「このままでは、ヴァレンシュタイン家は終わる」
「領地を失うかもしれない」
「ジークハルトたちの将来まで失われてしまう」
エレオノーラは涙を流しながら首を振る。
「でも……」
「あの子は私たちの娘よ……」
「まだ五歳なのよ……」
その言葉に、アルフレッドは静かに目を閉じた。
長い沈黙が流れる。
やがて、苦しげに口を開いた。
「ノワール=ヴェル竜王国との国境――黒曜山へ連れて行く」
エレオノーラは息を呑む。
「黒曜山……?」
「あそこは竜の棲む山よ……」
人は決して近付かない。
竜を恐れ、誰も足を踏み入れようとはしない場所。
アルフレッドは小さく頷いた。
「あそこなら、誰にも見つからない」
「……あの子には、もうここでは生きられない」
その一言で。
エレオノーラの心は完全に折れた。
「いや……」
「いやよ……!」
「あの子はまだ子どもなの!」
「一人で生きていけるわけないじゃない!」
その場へ崩れ落ち、声を上げて泣く。
アルフレッドは、その姿を見つめることもできなかった。
父親としてなら。
娘を抱き締めるべきだった。
娘を守るべきだった。
しかし。
今、彼が優先しているのは違う。
ヴァレンシュタイン辺境伯家。
領地。
領民。
そして、一族の未来。
守るべきものは、もう娘ではなくなっていた。
アルフレッドはゆっくりと踵を返す。
「……明日、連れて行く」
その言葉だけを残し、静かに部屋を後にした。
寝室には。
エレオノーラの嗚咽だけが、いつまでも響き続けていた。




