第30話 正義
翌日の午後。
ヴァレンシュタイン辺境伯家の中庭。
ジークハルトは一人、木剣を手に立っていた。
その表情は固く、決意に満ちている。
「エリシア」
兄に呼ばれ、エリシアは嬉しそうに駆け寄った。
「お兄ちゃん!」
「遊んでくれるの?」
屈託のない笑顔。
その笑顔を見るたび、ジークハルトの胸は締め付けられる。
昔は毎日のように木剣を教え、肩車をし、一緒に笑い合っていた。
だが今は違う。
父の言葉が頭から離れない。
――妹を正しい道へ導け。
――家族を守れ。
――王国を守れ。
ジークハルトは静かに木剣を握り直した。
「エリシア」
「今日は遊ぶんじゃない」
「お兄ちゃんがお前を助ける」
エリシアは不思議そうに首を傾げる。
「助ける?」
「ああ」
「お前の魔法が暴走するのは、お前の中に悪い心があるからだ」
「悪い心……?」
幼いエリシアには、その意味が分からない。
ジークハルトは真っ直ぐ妹を見つめた。
「本当のお前は優しい子だ」
「でも、その悪い心がお前を苦しめている」
「だから、お兄ちゃんが追い出してやる」
エリシアは首を横に振る。
「私……悪い子じゃないよ?」
「分かってる」
ジークハルトは苦しそうに微笑んだ。
「悪いのはお前じゃない」
「悪い心だ」
「それに負けちゃ駄目なんだ」
そう言って木剣を構える。
「お兄ちゃんの言うことを聞くんだ」
「悪い心を追い出そう」
木剣が振り下ろされる。
エリシアは思わず肩をすくめた。
「いたっ……」
「立つんだ、エリシア!」
「悪い心に負けるな!」
再び木剣が振り下ろされる。
「違うもん……」
「私、悪い子じゃないもん……!」
涙を流しながら訴える。
しかし、ジークハルトは首を振った。
「泣くな!」
「その涙も悪い心がお前を惑わせているだけだ!」
「負けるな!」
「悪い心を追い出せ!」
エリシアは震えながら後ずさる。
「やだ……」
「怖いよ、お兄ちゃん……」
その言葉に、ジークハルトの胸は痛んだ。
それでも。
手を止めることはできない。
妹を守るため。
家族を守るため。
王国を守るため。
これは罰ではない。
教育だ。
愛情だ。
正しい道へ導くために必要なことなのだ。
ジークハルトは心の底から、そう信じていた。
一方のエリシアには、その想いは届かない。
伝わるのは。
大好きだった兄が、自分を恐れ、自分を否定しているという現実だけだった。




