第19話 泣かない子
あの日から。
エリシアは、一つだけ心に決めたことがあった。
――もっと、いい子になろう。
きっと。
もっといい子になれば。
お父さまも。
お母さまも。
前みたいに笑ってくれる。
また頭を撫でてくれる。
また抱きしめてくれる。
幼いエリシアは、本気でそう信じていた。
朝は誰よりも早く起きる。
使用人のお手伝いをする。
食事は好き嫌いをせず、残さず食べる。
廊下は走らない。
お兄ちゃんや、お姉ちゃんたちとも喧嘩をしない。
庭の花には、毎日欠かさず水をあげた。
「エリシアお嬢様は、本当に良い子ですね」
使用人たちは優しく微笑んでくれる。
「えへへ」
エリシアも嬉しそうに笑った。
でも。
一番褒めてほしい人は、何も言ってくれなかった。
夕方。
アルフレッドが屋敷へ帰ってくる。
エリシアは玄関まで駆け寄った。
「お帰りなさい、お父さま!」
アルフレッドは立ち止まる。
一瞬だけ優しく微笑み返した。
「……ただいま」
それだけ言って、静かに歩き去っていく。
以前なら。
「ただいま、エリシア」
そう言って抱き上げてくれた。
大きな手で頭を優しく撫でてくれた。
その温もりは、もうなかった。
エリシアは小さく笑う。
「今日は、お仕事で疲れてるんだよね」
そう自分へ言い聞かせる。
「明日はきっと……」
「明日は、前みたいに戻るよね」
その夜。
エレオノーラの部屋を訪ねる。
「お母さま」
「今日、お花のお世話をしたの」
エレオノーラは優しく微笑んだ。
「そう」
「偉かったわね」
嬉しかった。
でも。
以前なら抱きしめてくれた腕は、動かなかった。
エリシアは笑顔のまま一礼する。
「おやすみなさい」
「おやすみ、エリシア」
静かに部屋を後にする。
廊下を歩きながら、窓へ映った自分の姿を見つめた。
「もっと頑張らなきゃ」
「もっと、もっといい子にならなきゃ」
「そうしたら」
「きっと、お父さまたちは元に戻ってくれる」
そう信じていた。
だから泣かなかった。
泣いたら困らせてしまう。
泣いたら嫌われてしまう。
だから笑う。
寂しくても。
苦しくても。
悲しくても。
いつも笑顔でいようと決めた。
それが、お父さまとお母さまが好きだった、昔のエリシアだから。
けれど。
どれだけ笑っても。
どれだけ頑張っても。
その願いが届くことはなかった。
幼いエリシアは、まだ知らない。
家族との距離が、もう戻れないほど遠く離れ始めていることを。




