SS 第6話 ただいま
夕方。
三人は、黒竜城へ帰ってきた。
「ただいま戻りました!」
エリシアの元気な声が、城内へ響く。
初めての城下町。
たくさんの人々に歓迎され。
子どもたちと話し。
迷子の幼竜と出会い。
少し怖いこともあったけれど。
それでも、エリシアにとっては忘れられない一日になった。
だから。
何も考えず、笑顔で城へ帰ってきた。
しかし。
「――そこへ並びなさい」
低い声だった。
三人の足が、ぴたりと止まる。
顔を上げた先にいたのは、黒竜王ゼノン。
そして、王妃セレーネだった。
二人とも笑っていない。
「ノクス」
「はい」
「アステリア」
「……はい」
「エリシア」
「は、はい!」
ゼノンは三人を真っ直ぐに見据える。
「もう一度言う」
「三人とも、そこへ並びなさい」
「……はい」
三人は大人しく横一列に並んだ。
ノクス。
アステリア。
エリシア。
重苦しい沈黙が流れる。
やがて、ゼノンが口を開いた。
「今日、お前たちは何をした?」
「……城下町へ行きました」
ノクスが答える。
「誰の許可を得て?」
「……誰の許可も得ておりません」
「私かセレーネに、外出すると伝えたか?」
「……いいえ」
「護衛は?」
「……つけておりません」
ゼノンの表情が険しくなる。
「自分たちが何をしたのか、本当に分かっているのか!」
鋭い声が、城内へ響き渡った。
「……っ!」
エリシアの小さな身体が震える。
「お前たちは王族だ!」
「何かあれば、自分たちだけの問題では済まぬ!」
「ましてやエリシアにとっては、初めての城下町だ!」
ゼノンの声には、明確な怒りがあった。
「ノクス!」
「はい!」
「お前は第一王子だ!」
「二人の兄として、最も冷静でなければならぬ立場だろう!」
「……申し訳ありません」
「アステリア!」
「はい!」
「お前もだ!」
「思いつきだけで行動するな!」
「もし何かあったら、どうするつもりだった!」
「……申し訳ありません」
そして。
ゼノンの黄金色の瞳が、エリシアへ向けられる。
「エリシア!」
「は、はいっ!」
エリシアはびくりと肩を震わせた。
「お前もだ!」
「ノクスとアステリアが行くと言ったからといって、何も考えずについていってよいわけではない!」
「分からなければ聞きなさい!」
「不安なら相談しなさい!」
「黙っていなくなることだけは、絶対に許さん!」
「……っ」
エリシアは俯いた。
「ご、ごめんなさい……」
「謝れば済む問題ではない!」
「……!」
エリシアの瞳が大きく揺れる。
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
怒られた。
お父様に。
こんなに強く。
今まで一度も、自分へこんな声を出したことなどなかったのに。
(嫌われた……?)
その考えが、頭をよぎる。
(私……)
(嫌われちゃった……?)
胸の奥から、昔の記憶が蘇る。
父に怒られた。
母に責められた。
兄や姉から距離を置かれた。
そして最後には。
捨てられた。
(また……?)
(私、また捨てられるの……?)
怖い。
涙が出そうになる。
けれど、泣いたら、もっと怒られるかもしれない。
エリシアは必死に涙を堪えた。
そんな娘の心など知らず。
セレーネも厳しい表情で三人を見つめる。
「私も、とても怒っています」
三人が一斉に背筋を伸ばす。
「あなたたちは、私たちがどれほど心配したと思っているのですか?」
「城内を探してもいない」
「研究所にもいない」
「誰も行き先を知らない」
「もし事故に遭っていたら?」
「もし事件に巻き込まれていたら?」
「もし帰ってこなかったら?」
セレーネの声が、僅かに震えた。
「私たちが、どんな気持ちであなたたちの帰りを待っていたと思っているのですか!」
「……申し訳ありません」
ノクスが深く頭を下げる。
アステリアも俯いた。
「ごめんなさい……」
エリシアも、小さな声で謝る。
「ごめんなさい……」
けれど。
その心の中は、恐怖でいっぱいだった。
(嫌われたくない……)
(お願い……)
(もう、捨てないで……)
その時だった。
セレーネの視線が、ノクスの身体で止まった。
「……ノクス?」
「はい」
「こちらを向きなさい」
「……」
ノクスは僅かに身体をずらした。
まるで、何かを隠すように。
ゼノンの目が細くなる。
「ノクス」
「はい」
「何を隠している?」
「何も」
「こちらを向け」
「……」
ノクスは諦めたように身体を正面へ向ける。
破れた服。
その下に残る傷。
沈黙。
ゼノンの顔から表情が消えた。
「……ノクス」
低い声だった。
「その怪我は何だ?」
「大したことではありません」
「質問に答えろ」
「……幼い竜の魔力が少し暴発しただけです」
「少し?」
セレーネの声が低くなる。
「それのどこが、少しなのですか!」
「……」
「ノクス!」
「はい!」
「なぜ隠そうとしたのです!」
「母上、本当に大した怪我では――」
「それを決めるのはあなたではありません!」
ノクスの笑顔が引きつる。
「い、いや、母上。本当に軽傷で――」
「ノクス」
「はい」
「座りなさい」
「……はい」
第一王子、撃沈。
ノクスは大人しく椅子へ座った。
そして。
アステリアが、そっとその場から離れようとする。
一歩。
「アステリア」
「はいっ!」
「どこへ行く?」
「い、いえ……少し喉が渇いたなぁ、と……」
「座りなさい」
「……はい」
第一王女も撃沈。
その時。
エリシアが慌てて前へ出た。
「あ、あの!」
ゼノンとセレーネが振り返る。
「お兄様は悪くありません!」
「お兄様は、私を守ってくださったんです!」
「幼竜の魔力が暴発して……」
「それで、お兄様が私を庇って……」
エリシアは必死に説明する。
そして。
これ以上、怒られないように。
咄嗟に笑った。
「でも!」
「私は全然大丈夫です!」
「本当に何ともありません!」
「だから、そんなに心配しなくても――」
「エリシア」
ゼノンが遮る。
「……はい」
「こちらへ来なさい」
「……」
エリシアの身体が固まった。
怖い。
また怒られる。
けれど、逆らえば、もっと嫌われるかもしれない。
エリシアは恐る恐る、ゼノンの前へ歩いていく。
「顔を上げなさい」
「……はい」
エリシアは無理に笑った。
「本当に大丈夫です」
「私、全然怖くなかったですし」
「怪我もしていませんから」
「だから――」
「誤魔化すな」
「……っ!」
エリシアの顔から笑顔が消える。
ゼノンは娘を真っ直ぐに見つめていた。
「怖かったのだろう?」
「……」
「ノクスが怪我をして、自分のせいだと思ったのだろう?」
「……違います」
「エリシア」
「……」
「私たちにまで、無理に笑う必要はない」
その瞬間。
エリシアの瞳から、ぽろりと涙が零れた。
「……ごめんなさい」
「また謝ったな」
「……っ」
エリシアは唇を噛む。
そして。
とうとう堪えきれなくなった。
「嫌わないでください……」
ゼノンの表情が変わる。
セレーネも息を呑んだ。
「私……」
「もう勝手に出掛けません」
「ちゃんと言うことを聞きます」
「迷惑も掛けません」
「いい子にしますから……」
涙が次々と溢れる。
「だから……」
「捨てないでください……」
沈黙。
次の瞬間。
ゼノンはエリシアの小さな身体を、強く抱きしめた。
「馬鹿者」
「……お父様?」
「誰がお前を捨てると言った」
「でも……怒って……」
「怒るに決まっているだろう!」
ゼノンの声は、まだ強かった。
けれど。
抱きしめる腕は、どこまでも優しかった。
「お前たちが大切だからだ!」
「どうでもいい子なら、わざわざ叱る必要などない!」
エリシアが目を見開く。
ゼノンはノクスとアステリアも見る。
「二人とも、こちらへ来い」
「父上……」
「お父様……」
「早くしろ」
二人も立ち上がる。
ゼノンは三人をまとめて抱き寄せた。
「わっ!」
「ちょ、お父様!」
「父上、少し苦しいです」
「黙れ。心配を掛けた罰だ」
その隣から。
セレーネも三人を優しく抱きしめる。
「本当に……」
「あなたたちは、私たちがどれほど心配したと思っているのですか」
その声は、少し震えていた。
「ノクス」
「アステリア」
「エリシア」
「あなたたち三人とも、私たちの大切な子どもです」
「誰か一人でも帰ってこなければ」
「私はきっと、耐えられません」
エリシアは何も言えなかった。
実家でも。
怒られたことはあった。
その度に怖かった。
声を荒らげられることが。
責められることが。
嫌われることが。
そして最後には。
本当に捨てられた。
だから。
怒られることは、嫌われることだと思っていた。
けれど。
今は違った。
こんなに強く叱られたのに。
父の腕は、自分を離そうとしない。
母の手は、優しく頭を撫でている。
兄が隣にいて。
姉も一緒に抱きしめられている。
温かい。
怒られたのに。
どうしてこんなに温かいのだろう。
ゼノンは三人を抱きしめたまま、静かに告げる。
「よく覚えておけ」
「私は、お前たちに腹を立てているだけではない」
「心配しているのだ」
「ノクス」
「アステリア」
「エリシア」
一人ひとり。
大切な子どもたちの名前を呼ぶ。
「私はいつも、お前たちが思っている以上に、お前たちのことを心配している」
「そのことを、夢々忘れるな」
「……はい」
三人は揃って答えた。
エリシアは、そっと父の服を握る。
「お父様……」
「何だ?」
「私のこと……嫌いになってない?」
ゼノンは一瞬、目を丸くした。
そして。
大きな手で娘の頭を撫でる。
「なるわけがないだろう」
セレーネも微笑む。
「むしろ、もっと大切になっていますよ」
「……本当?」
「ああ」
「本当です」
エリシアの瞳から、また涙が零れる。
けれど。
今度の涙は、怖いからではなかった。
「……ただいま」
もう一度。
小さな声で言った。
ゼノンは優しく答える。
「ああ」
「おかえり、エリシア」
セレーネも微笑む。
「おかえりなさい」
その言葉を聞いて。
エリシアは、ようやく笑った。
怒られた。
とても強く。
怖いと思った。
嫌われたと思った。
けれど。
違った。
大切だから叱る。
心配だから怒る。
無事でいてほしいから、強い言葉を掛ける。
そんな愛し方があることを。
エリシアは初めて知った。
そして。
自分にはもう。
何があっても「おかえり」と言ってくれる家族がいるのだと。
その温もりを。
エリシアは、父と母の腕の中で、確かに感じていた。




