SS 第1話 初めての城下町
妖精眼鏡の完成と表彰から、しばらく後。
ある日のこと。
黒竜城の一室で、アステリアが突然、両手を叩いた。
「毎日毎日、お城の中ばかりじゃつまらないわよね!」
エリシアはきょとんと首を傾げる。
「そう、でしょうか?」
「そうよ!」
アステリアはにこりと笑う。
「エリー、城下町へ行きましょう!」
「城下町……ですか?」
「ええ!」
「私たちが連れていってあげる!」
エリシアの瞳が僅かに輝いた。
城下町。
これまでのエリシアの生活は、黒竜城と宮廷魔導研究所を行き来することがほとんどだった。
国民と直接触れ合う機会は、まだそれほど多くない。
「行ってみたいです!」
思わず答えた後。
エリシアは、はっとする。
「でも……」
「お父様とお母様に、お話ししなくてもいいんですか?」
その言葉に。
アステリアは胸を張った。
「大丈夫!」
「ちょっと遊びに行くだけだから!」
「すぐに帰ってくれば分からないわよ!」
「分からないって……」
ノクスが苦笑する。
「それは駄目なんじゃないか?」
「もう、お兄様は細かいわね!」
アステリアは頬を膨らませた。
「城下町はすぐそこよ?」
「私たち三人もいるんだから大丈夫!」
「せめて護衛くらいは――」
「いらないわよ!」
アステリアは即答した。
「ちょっと遊ぶだけなんだから!」
「護衛がぞろぞろついてきたら、全然楽しくないじゃない!」
「しかしな……」
「大丈夫だって!」
アステリアはノクスの腕を掴む。
「お兄様は第一王子!」
「私は第一王女!」
「それにエリーだって、とっても強い!」
「何があるっていうのよ!」
「そういう油断が一番危ないと思うんだが……」
ノクスは深いため息を吐いた。
しかし。
期待に満ちた顔でこちらを見つめるエリシアに気付く。
「……」
「……お兄様?」
エリシアが小さく首を傾げる。
ノクスはしばらく黙り込んだ後。
諦めたように微笑んだ。
「……分かったよ」
「やった!」
アステリアが歓声を上げる。
「ただし」
ノクスは人差し指を立てた。
「本当に少しだけだ」
「暗くなる前には必ず帰る」
「分かってるわよ!」
「本当に分かっているのか?」
「もちろん!」
あまりにも自信満々に答える妹を見て。
ノクスは、もう一度深いため息を吐いた。
エリシアは少しだけ不安そうに尋ねる。
「本当に、大丈夫でしょうか……?」
アステリアは満面の笑みで、エリシアの手を握った。
「大丈夫!」
「さあ、行きましょう!」
「はい!」
こうして。
エリシアは第一王子ノクスと第一王女アステリアに連れられ。
両親には内緒で。
護衛もつけず。
初めて黒竜国の城下町を訪れることになった。
◇
城下町へ足を踏み入れた瞬間。
人々はすぐに三人の姿へ気付いた。
「あっ!」
「第一王子殿下だ!」
「第一王女殿下もいらっしゃるぞ!」
驚きと喜びの声が上がる。
そして。
その視線は、ノクスとアステリアの間に立つ小さな少女へ向けられた。
「あっ……!」
「竜姫様だ!」
「エリシア様!」
「エリシア殿下!」
「妖精眼鏡を作ったお姫様だ!」
大きな歓声が、城下町に広がっていく。
突然の歓迎に、エリシアは戸惑ったように目を丸くする。
「わ、私……?」
けれど。
そこに悪意はなかった。
誰もが笑顔で。
誰もが嬉しそうに手を振っている。
自分を恐れる目はない。
人間だからと距離を置く者もいない。
皆が。
心からエリシアを歓迎してくれていた。
アステリアは得意げに笑う。
「ほらね?」
「みんな、エリーのことが大好きなのよ!」
エリシアは照れくさそうに、小さく頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
そのぎこちない仕草に。
周囲の人々は、さらに温かな笑みを浮かべる。
◇
やがて。
好奇心旺盛な子どもたちが、三人のもとへ集まってきた。
「エリシア様!」
「人間って、本当に百年くらいしか生きないの?」
「人間は空を飛べないって本当?」
「人間の子どもは、何をして遊ぶの?」
「人間の国にも魔道具はあるの?」
次々と浴びせられる質問。
エリシアは最初こそ戸惑ったが、やがて一つひとつ楽しそうに答えていく。
「えっと……人間は、竜族の方々ほど長くは生きられません」
「空も、普通は飛べないです」
「子どもは……鬼ごっこや、かくれんぼをしたりします」
「魔道具は、国によって違うと思いますけど……たぶん、黒竜国ほど多くはありません」
「へぇー!」
「人間って不思議!」
「空を飛べないのに、どうやって遠くまで行くの?」
「馬車に乗ります」
「馬車!」
「かっこいい!」
子どもたちは目を輝かせる。
エリシアも、少しずつ緊張が解けていった。
けれど。
一人の子どもが、何気なく尋ねる。
「エリシア様は、人間の国ではどんな暮らしをしていたの?」
その瞬間。
エリシアの笑顔が、一瞬だけ止まった。
ほんの僅かな変化。
けれど。
それに真っ先に気付いたのは、ノクスだった。
「その話はやめよう」
穏やかな声だった。
しかし。
有無を言わせない響きがあった。
子どもたちは、はっと口を閉じる。
アステリアもすぐに明るい笑顔で割って入った。
「それよりエリー!」
「あっちのお店に行きましょう!」
「甘い焼き菓子が、とってもおいしいのよ!」
「焼き菓子……」
エリシアが小さく呟く。
アステリアはその手を取った。
「そう!」
「せっかく城下町へ来たんだから、楽しいことをたくさんしましょう!」
ノクスも優しく微笑む。
「行こう、エリシア」
「はい……!」
二人は。
事情を知らない子どもを責めなかった。
エリシアへ過去を語らせることもしなかった。
ただ自然に。
妹が傷つかないように、話題を変えてくれた。
エリシアは。
ノクスとアステリアの背中を見つめる。
胸の奥に、小さな温もりが灯る。
(お兄様とお姉様は……)
(私のことを、ちゃんと見てくれている)
自分が何も言わなくても。
ほんの少し笑顔が曇っただけで。
二人は気付いてくれる。
そして。
何も聞かず。
何も責めず。
ただ、自分を守ってくれる。
そのことが。
エリシアには、何より嬉しかった。




