Episode.10 勉強しなさいよ
あの鉄野郎との死闘から、三日ほどが経った。
俺は昼下がりの河川敷にある広場で、マチ指導のもと
「GGスイッチ」を使った飛行訓練の真っ最中。
スイッチを押し、
「身体を軽くする」と脳内で強く念じる。
途端に身体が軽くなり、僅かに地面を蹴っただけで、
ロケットみたいな勢いで大空へと身体がブッ飛んだ。
「おわ、わわわわわっ!?」
だが、空中での姿勢制御がクソほど難しい。
バランスを崩してジタバタと手足を暴れさせた
俺の身体は、そのまま無様に放物線を描き――
バシャーーーンッ!
盛大なしぶきを上げて、
目の前の川へとチャポォンと浮き上がった。
「あんたさぁ、なんで空飛ぶのだけ
そんなに下手くそなのよー!
元々それ、質量を軽くするための機械なのよ?」
岸辺からマチがタオルを抱えて駆け寄ってくる。
くそ、これで何回目だよ。
俺は犬かきで必死に岸へと泳ぎ着き、
スイッチを切ってタオルを受け取った。
「……ちっ、得手不得手ってモンがあんだよ」
今朝、バチバチに固めてきた自慢のリーゼントも、
度重なる川へのダイブでもはや見る影もない。
だらりと顔に垂れ下がった髪を、
俺はタオルで手荒に拭いながら、
力任せに後ろへと掻き揚げてオールバックにまとめた。
「空さえ自由に飛べれば、
今後の戦いも少しは楽になると思ったんだけど……
ツトムには少し高等すぎたみたいね」
マチはハァと大げさに肩を落とし、
ヤレヤレと呆れ顔を作る。
「そんなことよりよ……
マチ、あの校舎の壁の穴……本当にバレねぇよな?」
情けない話だが、俺の内心はガクガクと震えていた。
あの戦いの最中、俺は校舎のコンクリート壁に、
トラックが通れるレベルの
バカデケェ大穴をブチ開けてたからな。
「あ、あんなの、
生身の人間がやったなんて誰も思いっこないってば!」
マチの奴、声がちょっと動揺してやがる。
そりゃそうだ。
今やテレビのニュースをつければ、
毎日、俺たちの学校の報道で持ち切りだ。
しかも被害は俺の壁破壊だけじゃない。
マチの魔法っぽいヤツの余波で
中庭は焼け野原、窓ガラスはほぼ全割れ。
逃げ惑った生徒や先公たちが
「怪しい大人がいた」と証言したことで、
世間的には『正体不明のテロ組織の襲撃』
ということになって、
学校はしばらく臨時休校になった。
……しかしだ!
実際、学校をボロボロにした大半の原因は俺とマチだ。
罪をなすりつけるのに最高だった鉄野郎の残骸も
マチが「オーバーテクノロジーだから」とか言って、
怪しい術でドロドロに溶かしちまったし。
おまけに、タケシのことまで完全に忘れてて、
慌てて夜中に救出したからな。
マジでヤベェ。バレたら退学どころか、
お袋の鉄拳で俺がスクラップにされる。
「とにかく! もし警察とかに何か聞かれたら
『完黙(完全黙秘)』よ、完黙! 堂々としてなさい!」
いや、完黙って……
普通は捕まってからすることじゃねぇのか?
職質レベルで完全黙秘してたら
怪しさマックスだろ……
動揺を隠しきれないマチは、
あからさまに空気を変えようと、
わざとらしく話を振ってきた。
「そういえば、今日はコマチ来ないねー。
下手っぴなツトムの飛行訓練に、
呆れて愛想を尽かしちゃったのかなー?」
「下手って、テメェな……
コマチなら駅前の図書館に行くって言ってたぞ。
なんか、勉強したいとかって」
「ふーん。アタシたちNOVAに狙われてるんだから、
できるだけ近くにいた方が安全なんだけどね」
マチが不満げに呟きながら、
目の前の空中にデバイスを広げて操作し始める。
「あ、本当だ。ちゃんと図書館にいるわね」
「テメェ、コマチに発信機でも仕込んでんのか?」
「あったり前でしょ。
いつ連れ去られるか分からないのよ?
NOVAが次に刺客を送ってくるなら、
アタシかコマチのところなんだから」
「まあ、そりゃそうかもだけどよ……
よく分かんねぇけど、プライバシーとか、
ちったぁ考えてやれよな」
「あー、はいはい。アタシとコマチの間なら、
プライバシーも何もないから気にしなくていいの」
なんだよ、その謎の自信は。
てか、コイツら、出会ってすぐ仲が良くなってたよな。
それに、どことなく顔も仕草も似ているような……
「そんなことより、コマチが勉強してるって言うなら
あんたも勉強しなさいよ。アタシが教えたげるから」
「はぁ!? 嫌に決まってんだろ、誰が勉強なんか。
つーかテメェ、学校の勉強なんて覚えてんのかよ?」
「あんなの教科書をなぞるだけでしょ?
国語の『作者の気持ち』以外なら、余裕よ」
コマチと同じような生意気なことを言いやがる。
「ほら、風邪を引く前に帰ってシャワー!
そのあと勉強だからねー!」
マチはどこか楽しそうに、
タタタッと軽い足取りで家路へと歩き出した。
……勉強なんて死んでもしたくねぇよ。
『作者の気持ち』なんか分からなくていいから、
とりあえず今、最高に憂鬱になっている
俺の気持ちを分かれっつーの。
俺はそんな恨み言を心の中で呟きながら、
ずぶ濡れのオールバックのまま、
マチの後ろ姿を追いかけた。
※ ※ ※
あたしは静まり返った図書館で、
ずらりと並んだ本の背表紙をぼんやりと眺めていた。
先日のマチの話を聞いて、
今の研究は続けていてはいけないって思い知らされた。
アインシュタインの相対性理論をベースにした
アタシの研究は、とりあえず、ここで完全に封印しよう。
だけど、悲しいかな、ずっと習慣にしていた
『研究グセ』がどうしても抜けない。
何か、物理や数学とは全く関係のない、
新しい趣味でも見つけないとなぁ……
『集合・位相入門』
『線形代数学』
『フェルマーの最終定理』
……あぁ、もう。無意識のうちに、
足が自然と専門書コーナーに
向いちゃってる。結局、気になっちゃうんだよなー。
自嘲気味に息を吐きながら、
棚の一冊に手を伸ばしたその瞬間。
同じ本を狙っていたらしい他のお客さんと、
指先が小さく触れ合った。
「あっ、すみません!」
反射的に謝って顔を上げると、
そこにいたのは、いかにも知的な雰囲気を纏った
爽やかそうな若い男性だった。
「いえ、こちらこそ。
……でも、これ、結構難しい本ですよ?
お若いのに珍しいですね」
あなただって若いんじゃないの?
なんて心の中で思いつつも、
あたしは愛想笑いを返して答える。
「あはは……
こういうのをパズルみたいに解くのが、
昔から好きなんです。
でも、もう……少しお休みしようかなって思ってて」
少し残念そうな顔で本棚を見つめるあたしに、
その男の人は不思議そうに眉をひそめた。
「なぜです? 好きなんでしょう?」
「うまくは言えないんですけど
……あたしの研究が進むと、
将来、良くないことが起きるかもしれないなって、
思い始めちゃって……」
まさか、未来からもう一人の自分が来て、
世界がめちゃくちゃになったことを知った、
なんて言っても信じてもらえるはずがない。
だけど、どう説明していいか分からなくて言葉を濁す。
すると男の人は、
まるでクイズの答えがわかったかのように、
嬉しそうに目を細めた。
「あぁ――なるほど。あなた『コマチさん』ですね」
「……っ!? ど、どうしてあたしの名前を?」
心臓が跳ね上がった。あたしは咄嗟に距離を取り、
いつでもこの場から逃げ出せるように身構える。
「あ、怪しい者じゃないです。驚かせてすみません」
男の人は両手を軽く上げて、困ったように微笑んだ。
「僕は、未来からコマチさんを追って
この時代へ来ました。
……えぇと、ユウヤです、そう呼んでください」
未来から――追ってきた!? NOVAのロボットなの!?
「あ、違います違います!
僕はNOVAのやり方に愛想を尽かして、
組織を抜けてここに来たんです。あなたを捕まえたり、
危害を加えるつもりなんてありませんよ」
「……そ、そうなの?」
ジリジリと後ずさりしながらも、あたしは尋ねる。
まだ完全に信用したわけじゃない。
「僕が未来で提供した技術が、
あんな凄惨な結果を招くなんて思っていなかった。
……そういう意味では
『未来のコマチさん』と同じです。
僕は、自分の科学者としての最大の過ちである
『ギアナイト』をすべて消滅させるために、
この時代へ来たんです」
「あ、あなたがあのロボットを作ったの……!?」
あたしは驚愕のあまり、声が裏返りそうになった。
でもどう見てもハタチ前後、マチよりも若そうだ。
それで、あのロボットを発明したの?!
この人、本当に信用していいんだろうか?
でも、もしあたしを騙して無理やり連れ去るつもりなら、
わざわざ自分の正体をこんな風に
明かしたりしないよね? 普通。
「あなたは『今のコマチさん』ですね。
きっと、未来のあなたに接触して、
研究を辞めるように言われているんでしょう?」
「えっと……、はい」
「あなたの発見は偉大だった。
それが歴史から消えてしまうのは、
同じ科学者として非常に残念ですが……
まあ、その話は今はいいでしょう」
ユウヤさんは親しみやすい笑みを浮かべ、
あたしの顔を覗き込んできた。
「数理物理の研究はお休みするとして……
では、それ以外の『お勉強』はいかがですか?」
「他の……勉強?」
相対性理論から離れる。
それ以外なんて、今まで真剣に考えたこともなかった。
だけど、それなら大丈夫かな?
「……そうですね。……例えば」
ユウヤさんは楽しそうに本棚を見回すと、
滑らかな手つきで一冊の専門書を抜き取った。
「これなんて、どうでしょう? 」
彼が差し出してきた本のタイトルは……
――『量子力学』。




