第34話 人気者の友達は、思ったよりちゃんと見ている
ポップ作りをした翌日、図書室の本棚には、わたしたちの小さな言葉が置かれていた。
わたしのポップ。
玲奈さんのポップ。
朝比奈さんのポップ。
どれも名刺より少し大きいくらいの紙で、置いてあるだけなら大した存在感はない。けれど、自分の言葉だと思うと、遠くからでも妙に目に入ってしまう。
朝、図書室前を通ったときもそうだった。
ちらっと見るだけのつもりが、結局足を止めてしまった。
昨日置いたばかりのポップは、まだちゃんとそこにあった。誰かが触ったのか、わたしのポップだけ少しだけ斜めになっていて、それを直そうか迷ったけれど、開館前の図書室に勝手に入るわけにもいかず、そのまま教室へ向かった。
別に、気にしすぎることではない。
ただのポップだ。
ただの本の紹介だ。
そう思うのに、朝から少し落ち着かなかった。
「ましろ、おはよう」
教室に入ると、玲奈さんがいつものように振り向いた。
斜め前の席。
もう見慣れた場所。
その場所から名前を呼ばれることにも、少しは慣れてきた。
でも、慣れたからといって平気になるわけではない。特に昨日みたいに、図書室で一緒に言葉を選んだ翌日は。
「おはよう、玲奈さん」
「今日、図書室寄ってきた?」
「……なんでわかるの」
「ちょっとだけ、顔が確認してきましたって顔してた」
「どんな顔」
「ポップがちゃんとあるか気にしてる顔」
当たっている。
当たっているから余計に悔しい。
「玲奈さんも見たの?」
「見たよ。ましろの、少し斜めになってた」
「やっぱり?」
「うん。直したかったけど、まだ開いてなかった」
「同じこと考えてる……」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
同じこと。
それだけで、妙に近く感じる。
玲奈さんは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、昼休みに直しに行く?」
「そんな理由で?」
「大事な理由だよ。ましろの言葉が斜めになってるの、気になるし」
「わたしの言葉って言わないで」
「でも、ましろの言葉でしょ」
「……そうだけど」
否定できないのが、また恥ずかしい。
机の上に鞄を置きながら、わたしは少しだけ視線を逸らした。
そのときだった。
「玲奈、おはよー」
教室の入口から明るい声がした。
玲奈さんの友達だ。
同じクラスの、いつも玲奈さんの周りにいる女子二人。名前は覚えている。水瀬彩乃さんと、倉田芽衣さん。
どちらも明るくて、話しやすそうで、いかにもクラスの中心にいる子たちだった。
今まで何度か挨拶くらいはしたことがある。
でも、深く話したことはない。
わたしとは、住む空気が少し違う人たちだ。
「おはよう、彩乃、芽衣」
玲奈さんが自然に返す。
その姿を見ると、やっぱり玲奈さんは人気者なのだと思う。
誰かに呼ばれて、すぐ笑える。
相手のテンションに合わせて、明るく返せる。
そういうところが、わたしには少し眩しい。
水瀬さんは玲奈さんの席まで来ると、すぐにわたしの方を見た。
「小日向さんもおはよ」
「あ、おはよう」
返事が少し遅れた。
水瀬さんは気にしていない様子で、にこっと笑う。
「最近、玲奈と仲いいよね」
直球だった。
朝から逃げ場のない直球。
隣で玲奈さんが少しだけ動きを止めたのがわかった。
「えっと……」
「いや、変な意味じゃなくて。玲奈が楽しそうだからさ」
水瀬さんは軽い口調で言った。
倉田さんも頷く。
「うんうん。玲奈、前から誰とでも仲いいけど、最近ちょっと違う感じする」
「芽衣」
玲奈さんが少しだけ困ったように名前を呼ぶ。
でも、倉田さんはにやっと笑った。
「だって本当じゃん。お昼も小日向さんのところ行くし、放課後も図書室行くし」
「図書室のことまで知ってるの?」
思わず聞いてしまった。
すると倉田さんは、少し得意げに胸を張った。
「玲奈が言ってた」
「玲奈さんが?」
わたしが玲奈さんを見ると、玲奈さんは少しだけ視線を逸らした。
「……少しだけ」
「少し?」
水瀬さんがすかさず突っ込む。
「けっこう話してたよね。小日向さんが本に詳しいとか、紹介カード一緒に書いたとか、ポップも作ったとか」
「彩乃」
「はいはい、ここまでにしとく」
水瀬さんは笑って手を振った。
わたしは、どう反応すればいいのかわからなかった。
玲奈さんが、わたしの話をしていた。
友達に。
それは、恥ずかしい。
でも、それだけではなかった。
少しだけ、嬉しかった。
自分の知らないところで、玲奈さんの中にわたしの話題がある。
そう思うと、胸の奥が落ち着かなくなる。
「小日向さん」
倉田さんが、少しだけ身を乗り出す。
「玲奈、迷惑かけてない?」
「迷惑?」
「距離近いじゃん、この子」
言い方があまりにも自然で、わたしは思わず玲奈さんを見た。
玲奈さんは、明らかに少し困っている。
「芽衣、それ本人の前で言う?」
「言うよ。だって自覚あるでしょ」
「あるけど」
「あるんだ」
わたしが小さく言うと、玲奈さんは少しだけ拗ねたような顔をした。
「ましろまで」
「いや、あるんだなって」
「あるよ。最近は特に」
「特に?」
「……うん」
そこで言葉が止まる。
水瀬さんと倉田さんが、同時に玲奈さんを見る。
そして、同時に笑った。
「ほらね」
「違うから」
「何も言ってないよ?」
「顔が言ってる」
この二人も、みおとは別方向に鋭い。
人気者の友達というのは、もう少し軽くて、何でも笑って流す人たちだと勝手に思っていた。
でも違う。
玲奈さんのことを、ちゃんと見ている。
わたしがそう思っていると、水瀬さんが少しだけ声をやわらかくした。
「小日向さん、玲奈がぐいぐい行きすぎたら、ちゃんと言ってね」
「え?」
「この子、楽しそうになると距離感わかんなくなるから」
「それは……少し、わかります」
正直に言ってしまった。
玲奈さんが小さく「ましろ」と抗議する。
でも、水瀬さんと倉田さんは笑っていた。
「だよね」
「でも、小日向さんなら大丈夫そう」
倉田さんが言う。
「大丈夫そう?」
「うん。ちゃんと困ってるって顔するし、でも嫌そうじゃないから」
また顔。
どこまで顔に出ているのだろう。
わたしは思わず片手で口元を押さえた。
水瀬さんが、少しだけ申し訳なさそうに笑う。
「あ、ごめん。見すぎ?」
「いえ……最近、言われ慣れてきました」
「誰に?」
「みおとか、玲奈さんとか、朝比奈さんとか……」
「増えてるねえ」
水瀬さんが笑う。
でも、その笑い方に嫌な感じはなかった。
「なんか安心した」
「安心?」
「玲奈、最近楽しそうだけど、ちょっと必死にも見えたから」
玲奈さんが、今度は本当に黙った。
必死。
その言葉は、わたしにも少し刺さった。
玲奈さんはいつも、余裕があるように見える。
明るくて、自然で、誰にでも好かれて。
でも、わたしはもう少しだけ知っている。
近づくたびに、怖いと思っていること。
逃げないか気にしていること。
それを知っているから、水瀬さんの言葉がただの軽口ではないとわかった。
「彩乃」
玲奈さんが小さく言う。
水瀬さんは肩をすくめた。
「ごめん。でも心配だったの。玲奈が誰かにあんなふうに向かっていくの、珍しいから」
「珍しい?」
わたしが聞き返すと、倉田さんが頷いた。
「うん。玲奈って誰とでも仲いいけど、自分からずっと同じ子のところ行くの、あんまりないよ」
玲奈さんは何も言わなかった。
その沈黙が、答えみたいだった。
わたしは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
珍しい。
玲奈さんが、わたしのところへ来ること。
毎朝、名前を呼ぶこと。
昼休みにお弁当を持ってくること。
図書室へ一緒に行くこと。
それは、玲奈さんにとっても当たり前ではなかったのだ。
「……迷惑ではないです」
気づけば、そう言っていた。
三人の視線がこちらに向く。
わたしは少しだけ手元を見て、それから続けた。
「落ち着かないことはありますけど、迷惑ではないです」
玲奈さんが、息を止めたように見えた。
水瀬さんと倉田さんは、顔を見合わせる。
それから、二人ともやわらかく笑った。
「そっか」
「ならよかった」
水瀬さんはそう言って、玲奈さんの肩を軽く叩いた。
「よかったね、玲奈」
「……うん」
玲奈さんの声が少しだけ小さかった。
その顔を見ると、こちらまで恥ずかしくなる。
言わなければよかった、とは思わない。
でも、朝の教室で言うには少し近すぎる言葉だったかもしれない。
後ろから、聞き覚えのある声がした。
「おはよー。……何この空気」
みおだった。
鞄を片手に持ったまま、教室の入口で立ち止まっている。
そして、わたしと玲奈さん、水瀬さん、倉田さんを見て、すぐににやっとした。
「ましろ、朝からまた何か言った?」
「言ってない」
「絶対言った顔してる」
「だから顔で判断しないで」
「顔に出るからねえ」
水瀬さんが笑う。
「あ、藤咲さんだよね。小日向さんの幼なじみの」
「そうです。古参です」
「古参なんだ」
「はい。よろしくお願いします」
みおは妙に堂々とした顔で名乗った。
水瀬さんと倉田さんも面白そうに笑っている。
なんだろう。
わたしの周りの人たちが、どんどんつながっていく。
少し前までなら、それだけで逃げ出したくなっていたと思う。
でも今は、少しだけ違った。
恥ずかしい。
落ち着かない。
でも、嫌ではない。
「玲奈さんの友達って、ちゃんとしてるね」
みおがわたしの横で小さく言った。
「うん」
「ましろ、ちょっと安心した?」
「……少し」
「そっか」
みおはそれ以上からかわなかった。
水瀬さんたちは予鈴が鳴る前に自分たちの席へ戻っていった。
去り際、倉田さんが玲奈さんに向かって小さく言う。
「玲奈、ちゃんと大事にしなよ」
「わかってる」
「ならよし」
それだけのやり取り。
でも、その“わかってる”が、わたしには少し重く聞こえた。
玲奈さんは自分の席へ戻る前に、わたしの近くで立ち止まった。
「ましろ」
「うん?」
「さっき、ありがとう」
「何が?」
「迷惑じゃないって言ってくれたこと」
胸が少しだけ鳴る。
「……本当のことだから」
「それが嬉しい」
「そっか」
「うん」
玲奈さんは、いつものように笑った。
でも、その笑顔は少しだけ照れていた。
予鈴が鳴って、朝の空気が授業の準備へ変わっていく。
わたしは席に座り、教科書を取り出した。
周りには、玲奈さんの友達。
みお。
玲奈さん。
少し遠くには、朝比奈さんや篠宮先輩もいる。
わたしはもう、誰にも見られていない場所にはいないのかもしれない。
けれど、それが前ほど怖くなかった。
見られている。
でも、ちゃんと見てくれる人たちがいる。
その違いは、思っていたより大きかった。
昼休み、予定通り玲奈さんと図書室へ行った。
ポップを直すついでに、斜めになっていたわたしのポップもそっと整える。
「これでよし」
玲奈さんが満足そうに言う。
「大げさ」
「大事だから」
「ポップが?」
「ましろの言葉が」
またそうやって。
でも、今日は少しだけ受け取れた。
「玲奈さんのも、ちゃんと置いてあるね」
「うん」
「よかった」
わたしが言うと、玲奈さんがこちらを見た。
「ましろがそう言ってくれるの、嬉しい」
「……何でも嬉しがる」
「ましろ関係はね」
「限定しないで」
「限定したい」
言葉が近い。
図書室前の静かな廊下で、二人だけの声が少しだけ響く。
朝の教室で、玲奈さんの友達が言っていた。
大事にしなよ。
わかってる。
そのやり取りを思い出す。
大事にする。
される。
まだ、うまくわからない。
でも、玲奈さんがわたしの言葉を大事にしてくれていることは、少しずつわかってきた。
「玲奈さん」
「何?」
「わたしも、玲奈さんの言葉、ちゃんと大事にしてると思う」
言った瞬間、自分でも驚いた。
玲奈さんも驚いた顔をした。
でも、今さら取り消せない。
「……思う、って何か変だけど」
「ううん」
玲奈さんは首を横に振った。
「すごく嬉しい」
「また嬉しい」
「だって嬉しいから」
玲奈さんは笑った。
その笑顔を見て、わたしも少しだけ笑った。
人気者の友達は、思ったよりちゃんと見ていた。
玲奈さんがわたしに向かってきていることも。
少し必死だったことも。
そして、たぶん玲奈さんが本当に大事にしているものも。
そういう人たちに見守られている玲奈さんを、わたしは少し羨ましく思った。
でも同時に、安心もした。
玲奈さんの周りにも、ちゃんと見てくれる人がいる。
それは、わたしにとっても嬉しいことだった。




